司祭の言葉 1/30

年間第4主日C年

 今日のお話は故郷で受け入れられなかったイエス様の。お話です。なぜ受け入れられなかったのでしょうか。 イエス様の宣教はカペナウムから始まっています。

 今日のルカによる福音書では、受洗後すぐナザレに行ったかのように記されています。
でもマタイとマルコを見ますと、ガリラヤ湖の湖畔でシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを召し出し、カナの結婚式に出席し、それからエルサレムに上って宮きよめを行い、ニコデモと対話し、再びガリラヤに戻る途中ではサマリアの女と対話しています。

 それからカナで王官の子を癒し、ガリラヤ湖での大漁、カペナウムの会堂での悪魔付きの癒し、ペトロの義母の癒し、全ガリラヤをめぐる宣教、重い皮膚病の癒し、中風患者の癒し、マタイの召命、断食問答、麦の穂と安息日、会堂での片手萎えの人の癒し、12使徒の選びと派遣が行われ、そのあとイエスを取り押さえに来た身内の話、山上の垂訓、種まきの譬え、毒麦の譬え、ゲラザの悪魔付き、ヤイロの娘のいやし・・・と話が続き、そのあとに郷里に行くのです。

 ナザレではなく、カペナウムで宣教をはじめたイエス様、そして聞こえてくる噂・・人々は憤慨していたのではないでしょうか。 イエス様がよそで行いはじめた奇跡を、最初にうける権利が自分たちにはあると感じていたかも知れません。
自分たちこそ優先されるべきであったと。
 この憤りが彼の主張に対する疑念を生み出し、この疑念が、この人はヨゼフの子ではないかという問となりました。イエス様は彼らの町の大工であり、彼らと同じ普通の労働者として生活していました。マエスタのような特殊技能もなければ 、ファリサイ人のような高等教育も、宣教者としての養成も受けていませんでした。彼はナザレに生活する間、何ら卓越したところを見せなかったのです。
 百歩譲って、イエス様の知恵と学問を認めるだけのことなら、故郷に錦を飾った青年として受け入れたかもしれません。しかしイエス様が一介の労働者の分を越えて、イスラエルを解放すべく、神からつかわされた者のごとく振る舞っている・・と見なしたのです。
 メシアと名乗るような、大それたことは認めるわけにはいかなかったのです。
 ここでは皆イエス様の出生を知っています。いい若い者ではありましたが、村人の一人でした。髪の毛に鉋屑をつけて、父親のヨゼフと仕事を探しにも来ました。先入観が邪魔をしたのです。
 そこに加えて寝耳に水の話、 軽蔑されるべき異邦人の方がアブラハムの子孫ふさわしいとまで言うとは。

 「エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」

 このイエス様の言葉は、ナザレの人々には不快極まり無かったと思います。
 自分たちの軽蔑してやまない、神が地獄の薪として創造されたと思っていた異邦人のほうが、神の目に祝福されているとまで言ったのです。

 ナザレの人々の夢見たメシアは、ナポレオンの騎馬姿のように、壮麗な額縁の中で威厳をもった姿でした。メシアは 勇者のすがたであるはずだ。人々はメシアのイメージを勝手に作り上げていたのです。
 そして怒った人々はイエス様を崖から突き落とそうとしました。この時からイエス様とイエス様に反対する人々との対立は決定的なものとなりました。故郷の人々がイエス様を完全に拒否したのです。そして十字架への歩みが加速することとなります。

 私たちもイエス様を知っているにもかかわらず、認めないことが多いのではないでしょうか。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18の20)と主は言われました。

それにもかかわらず、私たちは神を外に探し求めています。その神は私たちの中にいるのに道ですれ違っているのに・・です。イエス様は去ったのではなく、私たちの仲間内におられるのです。

 しかしながら、私たちの偏見がナザレの人々のように、自分たちの目を塞いでいるのです。
 いろいろな偏見があります。コロナ下のいまはとくにひどくなっています。それらすべての偏見から解放されるように祈りましょう。主は助けてくださいます。

主の祝福を祈ります。

カトリック春日部教会 司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 1/23

年間第3主日C年(ルカ1章1-4節、4章14-21節)

 皆様おはようございます。年間第三主日のホミリアです。
 今日の福音ははじめにルカ福音書の序文が述べられ、ガリラヤから宣教が始まった次第を述べています。「多くの人々が既に手を着けています」とあります。マルコ福音書が最初に書かれたと思われますので、ルカはその内容を知っていて、満足していない様子が見て取れます。そして自分なりに満足できるものを書こうと思い立ったのでしょう。
 「テオフィロ」という名の人物に向けて書かれたように見えますが、その存在はわかっていませんので、この名前が「神を愛する人」「神に愛された人」ですので、わたしたちすべてに向けて書かれたもの・・・そう考えられています。

 ヨルダン川での洗礼の時から、イエス様の活動のすべては、聖霊に導かれていたことが強調され、御霊の力に満ち溢れてガリラヤから宣教が始まったことが強調されています。

 イエス様の活動はガリラヤの会堂から始まりました。会堂では聖書(旧約聖書)が朗読されましたが、朗読者を頼むのは会堂司役割でした。当時の書物は巻物でしたので、イエス様はたまたま開いた箇所をお読みになったことになります。

 わたしは、聖書の箇所を探すときには、コンコルダンスという書物を使います。例えば、捕らわれ人・・・その言葉を探すと、関係ある聖書の12のヶ所が全て示されていますので、容易に探したいところを見つけることが出来ます。
 でも、イエス様の頭には全ての聖書の箇所が入っていたことでしょう、ですからイザヤ書が手渡されたとき、とっさに読むべき箇所を頭に思い描き、そこを開いたのかも知れません。

 イエス様が朗読したのはイザヤ書56~66章までの「第三イザヤ」と呼ばれる部分です。この箇所は本来、第三イザヤと呼ばれる預言者が自分自身の召命について語っている場所です。しかし他方、「油を注がれる」と言う言葉はクリストス・・「キリスト」を意味する言葉でもありますので、イエス様の時代にはこの箇所が「来るべきメシア」についての預言と考えられていました。そしてイエス様は、この言葉が今日実現したとおっしゃったのです。人々は驚きをもってこのメッセージを聞いたと思います。

 イエス様のメッセージは「神の哀れみ」をつげることでした。今日の福音はそのことを強く語っています。

 イザヤ61章1-2からの引用ですが
捕らわれている人に解放を ・・・・ 圧迫されている人を自由にし

・・・そしてそれは恵みの年を告げるため・・ ということになります。

 恵みの年とは・・・ヨベルの年で、50年に一度やってきました。負債を帳消しにする年でした。(このことから全免償の与えられる聖年は50年ごととされましたが、のちに、 みんなが一生に一度は参加できるように25年に一度とされました)

 そして注目すべきはイザヤ61章の2節を、途中でやめていることです。
 省かれた言葉は  →  わたしたちの神が報復される日を告げさせ・・というところです。
 この部分を読まなかったのは、イエス様の任務は哀れみであり、報復ではなかったからだと思われます。

 わたしたちが在籍していた、東京大神学校の院長は、哀れみの人でした
 神学生が夜遅く騒いで飲んで帰ってきてもそれを許し、(もちろん説教はされましたが)司教に対しては神学生を守るために体を張りました。神学生はずいぶんと迷惑をかけました。
 修道会では、会に合わないと判断されると、いつのまにか家に帰されました。別れの言葉もなしに。

 私たちもまた、守られて司祭になって、それぞれが教会で働いています。

 イエス様が与えようとしたのは、愛であり怒りではありませんでした。

 「貧しい人」は経済的に、またその他の理由で圧迫されている人のことで、後に出てくる「捕らわれている人」「目の見えない人」「圧迫されている人」すべてを含む言葉です。
 「福音」は「よい知らせ」と言う意味ですが、一言で言えば、「神による圧迫からの解放」だと言えると思います。
 人間を縛っているあらゆるものからの解放、その根っこにある罪からの解放、これこそがイエス様の使命であり、福音だと言うことが出来ます。

 私たちはイエス様に習おうとするなら、政治団体ではないけれど、人々の解放のために働かなくてはならないのです。  

 今日は特別献金の日です。 子供たちのうちから、哀れみの心を養うためにこの日が設けられています。そして、世界中の子供たちに目を向けるように。

 新型コロナウイルス オミクロン株の広がりのために、ミサの一般公開は今日23日から来月の27日まで休止となる旨司教様から通達がありました。パンデミックで苦しむ世界中の人々を覚え、夫々の場で祈りを捧げましょう。

 司祭はミサのうちに皆様のご家庭を覚え、お祈りしております。

 主の祝福が皆様の上にありますように。        司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 1/16

年間第2主日C年

 イエスの洗礼についての記述の後に3回(1章29,35,43節)「その翌日」という言葉があり、きょうの箇所に「三日目に」とありますので、全部で6日間の出来事ということになります。かなり詳しく日付を追っているのは、重要な出来事と考えたからでしょう。(2章12節以下にはこのような日付を追う表現はありません)

 ブドウ酒がはじめて聖書に出てくるのは何処でしょうか? ノアが飲み過ぎて酔いつぶれたときの話です。 それで、ユダヤ人たちはブドウ酒の作り方をノアに教えたのは神であると信じて疑いませんでした。 聖書には141回ブドウ酒という言葉が出てくるそうです。
 酒屋さんの宣伝をするつもりはありませんが、聖書はブドウの汁を熱烈な言葉で称賛しました。 VINUM LAETIFICAT COR HOMINIS
 「ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ/パンは人の心を支える。(詩編104)
 「酒は適度に飲めば、/人に生気を与える。酒なき人生とは何であろうか。」(集会の書31の27)」勿論飲み過ぎについては強く戒めています。
「過度の飲酒は気分を損ない、/いらだちや、間違いのもととなる。深酒は愚か者の気を高ぶらせて足をふらつかせ、/力を弱めて、傷を負わせる。」

 金属または陶器でできた杯は大きく、問題がありました。飲みすぎたのです。 一般の言語であったアラム語で、結婚をミスティタ「酒宴」と呼んでいた程です。(イエス時代の日常生活Ⅱのp85)
 宴会の途中でぶどう酒がなくなるというのは大ピンチです。現代なら電話一本で酒屋さんからお酒が届きますし、披露宴会場で行われるから、お酒の準備は不要です。でも当時は・・花婿がかなりの量を用意しました。
 「すべての親類、全村、すべての友人、友人の友人が招かれた。祝宴は7日間、時としてその倍も続いた。」(イエス時代の日常生活Ⅰのp206)

 カナで行われた婚礼には母マリアも出席していました。誰かマリアに近い人の婚宴で、手伝いに来ていたのでしょうか。その関係でイエスも招かれていたと考えられます。

 母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言うと、イエスは母に言います。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来て いません。」 母マリアは、台所に立っていたのでしょうか、宴会がうまくゆく様に、心をくばる姿がうかがえます。そしてイエスに、まず最初にブドウ酒が切れそうなことをつげています。 しかし、マリアがせっかく花婿に恥をかかせないように気配りをし、耳打ちしたのに、なぜ、イエスはこんな冷たくとれる言葉をおっしゃったのでしょうか。
 この出来事は、まさに公生活の出発点にありました。 イエスは30年間、母マリアと父ヨセフとの水入らずの家庭生活をしていました。そして、時が来て、救い主としての役目を果たすべく公の場に出ての生活が今始まったところでした。このときの母マリアの気持ちはどのようなものだったでしょうか。我が子はこれからどこへ行くのか。家に帰って来ることはあるのか。できることなら、母としてゆるされる範囲内で一緒に時を過ごしたい。今までのナザレでの生活に近い生活を期待したい、そう思っていたに違いありません。 

 そのとき、祝宴の喜びを増すためのぶどう酒が尽きてしまいました。それを目ざとく見つけたマリアはナザレの時のように、母親らしくイエスに耳打ちします。「 ぶどう酒がなくなりました 」と。それに対して、イエスは、「 お母さん、今はナザレの時とは違います。天の御父の望みに従い、村を出て、公生活を始めたのです。だから、もはや直接わたしに言うべきではありません 」とはっきり告げたのです。                          
 では、その次の「 わたしの時はまだ来ていません 」という言葉はどういう意味なのでしょうか。 ヨハネ福音書の中で「わたしの時=イエスの時」とは十字架の時です(ヨハネ12章23,27節、13章1節、17章1節など)。それは、同時にイエスが父のもとに行く栄光の時でもあります。

 それでもマリアは、それを心に留め、召し使いに言います。「 この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください 」と。マリアはすぐに、必ず一番いい方法をとって下ると信頼しきって、イエスの言うとおりにして下さいと召し使いに告げます。
 1歩退いて、イエスの公生活を陰ながら手伝う。これこそがマリアの道です。
 世の中の人間関係のむつかしさの根本は、距離の取り方です。たとえ親であっても、ある一定の年齢になったら我が子としっかり距離を取ることの大切さを私たちは学ぶ必要があります。 

 正月、セウイで家に帰ったものは1名のみ、多くは正月帰省の問い合わせもありません。精神障害者の家族は上手く距離が取れないのです。急性期の時の様子が
トラウマになって・・・拒否するか  あるいは・・・
共依存となるか・・・部家の片づけ 下着の洗濯 一挙手一投足
          下宿しながら洗濯物を段ボールに入れて家に・・・

 月曜日は成人の日でした。彼らは、これから社会人として責任ある者として一本立ちしていかなければなりません。その前途に神様の豊かな祝福があるように祈りつつ、成人を迎えたわが子に対して、親もまた、今日の福音から大切なことを学ぶことが出来るのではないでしょうか。
  1.全面的な子供への信頼の姿と
  2.距離をとって自立の手助けをすること・・です。

司祭の言葉 1/9

主の洗礼

 今日の福音の、語られている状況を見てみましょう。荒野で呼びかける声があり、これに応える動きがありました。ユダヤ人は洗礼について知っていました。異教からの改宗者は洗礼を受けることが必要だったからです。でもユダヤ人自身が悔い改めの洗礼をうけることは無かったのです。しかしこのとき、人々の心は回心に向かって動いていました。
 イエスは、そこに神の意志をみました。そしてみんなと同じところに立つために、洗礼を受けました。

 イエスが洗礼を受けたという事実よりも、大切なのは、その後に起こったことです。

 (a)天が裂け、 (b)聖霊がイエスに降(くだ)り、 (c)「わたしの愛する子」という声が聞こえました。
 

 いま、そしてこれから何をなすべきか、
 父なる神の応えです。
「天が裂け」というのは、神がこの世界に介入してくることを表す表現です。
聖書では洗礼の箇所と、受難を前にした山の上でモーセとエリヤが現れたときに、声が聞こえています。
 イエスのこれからの行き方を、それでいいのだと、神が承認したことを示しています。

 イエスは弟子たちに「あなたがたは私が飲む盃を飲み、私が受けるバプティスマ(洗礼)を受けることが出来るか(マルコ10・38参照)、」と言われたことがあります。それは十字架と死を意味していました。かくして、人々とともに神のいのちへと立ち上がる。この洗礼の出来事の中に、イエスの生き方全体を表す象徴的な意味を感じ取ることができます。  

 さらに洗礼者ヨハネの言葉の中にも・・・
 ヨハネは自分の立場について「自分はメシアではない。来たるべき方を指し示す荒れ野で叫ぶ声」・・で、それが使命だと言ったのです。
 ヨハネの弟子たちはうろたえます。その後多くの弟子がヨハネからイエスの方に移って行くのを見たからです。

 (ヨハネによる福音 3の22から30) 
「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。
 ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。

 彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。
 わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。
 花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」                      

 ヨハネは、自分の立場について「自分はメシアではない」「自分はあの方の前に使わされたものだ」・・と明言します。自分の役割についての、確固たる確信を持っていたのです。

 私達はどうでしょうか、自分の立場について確固たるものを持っているでしょうか。

 私には一つの大きな失敗があります  厚労省の担当から社会福祉法人の立て直しを頼まれ理事長を引き受けたときのこと、前理事長も了解していたはずなのですが、実際改革に手を付け始めると・・・改革に対する前理事長の抵抗もあり・・結果的には、小生がうつ病になりました。 そして友人も失いました。
 自分は引っ張る側ではなく 支える側と理解していたのですが、頼まれて引っ張る側になった、・・・それが失敗の原因でしょう。  

 映画やドラマにおいても、主役と脇役があり・・・名わき役がいて主役は輝けますし、自分も輝けるのではないでしょうか。

 自分の得意なところは何か、今日の福音の、特にヨハネの態度に学ぶところは多いとおもいます。

 そして、教会の役割はどこにあるのでしょうか。
 教会が立派になることではないと思います。
 それは、ヨハネのように・・イエスを指し示すこと、イエスの福音を伝えることにあると思います。
 さて、それでは、どう福音を伝えましょうか。ともに考えてみましょう。

司祭の言葉2021

司祭の言葉 1/2

主の公現

 今日は主の公現の祝日です。本来は1月6日ですが、日本では1月2日から8日までの間の主日に祝われています。平日に祝うのは難しいからです。 「公現」はギリシア語で「エピファネイア」、「輝き出る」と言う意味です。イエスが神の子キリストとしてユダヤ人以外に現されたことを記念します。
 蛇足ですが、博士たちが贈り物をしたことから、フランスやイタリアまたメキシコなどでは、この日にクリスマスのプレゼントをするそうです。

 「占星術の学者」はギリシア語では「マゴスmagos」です。メディア(今のイラン)の一部族であり、祭司階級だった「マギ」に属する人の意味です。

 ご公現祭というのはユダヤの中に生まれたイエスという方が,ユダヤ人でない人にも開かれているということを公言する祝日です。教会は全ての人のために開かれているということを祝っているのです。初代教会にとって,これはとても大事なことでした。これまでのユダヤ教はユダヤ民族宗教の域をでず、ユダヤ人の宗教にとどまったままだったのです。
 キリスト教はその点イエス様のお言葉にある通り、宣教をその使命として、全世界に開かれています。

 さて、キリスト教は遠藤周作の小説に見られる通り、日本の土壌の中にしっかりと,植え付けられていくものであると思うのですが、多くの多国籍の信者さんが教会の中にいることを考えますと、普遍性・カトリックということを,いつも意識する必要があります。

 さいたま教区では日本人信徒の何倍もの外国人信徒がいます。  その人たちが日本の教会の中にどのように受け入れられていくのか,彼らを通して日本の教会が今からどのように変わっていくのか、そこを注目してゆくことが必要であると思います。

 神学生もメキシコ人、韓国人、ベトナム人がいます。司祭達もブラジルに研修に行ったり、台湾に研修に行ったりしています。日本人に帰化して働いている司祭方もおります。
 これからの宣教は、このような現状を踏まえたものになってゆくはずです。

 新しいものをどのように受け入れていくのか,さらに日本の文化をどのように守っていくのか,考察すべき課題は沢山あります。
 川口教会では教会学校の子ども達はほとんどベトナム2世3世です。福音も毎日曜、ベトナム語タガログ語英語でも朗読されます。第4日曜には説教も、ベトナム語と日本語で行われています。この現実の前に,日本の教会はどういう路線をとっていけばいいのでしょうか。
と同時に,インターネットで代表されるように、地球規模化(グローバル化)の時代にあって、日本の社会そのものが大きく変動しています。その中にあって,私たちはどのようなメッセージを社会に送り、あるべき教会の姿をどのように模索していくのでしょうか。
 今多くの教会がホームページで、自分たちの教会を紹介し始めておりますし、それらを見て教会に来られる方も増えています。大きな変化だと思います。

 今日の福音書の中で「ヘロデは恐れた」と言われています。「彼は不安を抱いた」とも言われています。先が見えないときに人は不安になります。
 正月、テレビでは厄払いのために宮参りをするように呼びかけ、不安をあおっています。ダイレクトメールで厄年のお知らせまで送られてきます。普段は信仰を持っていないような人でもこの時期、人は特別な気持ちになるようです。
 信者さんの家庭でも厄年に当たる信者でないお婿さんが、初詣に行ったなど聞いています。

 イエスという幼子がどうして不安の原因になったのでしょう。成長して政治的に権力を持ってきたときのことを考えて不安になったのでしょうか。

 ヘロデの不安は,先が見えないことに自分の頭で考えて何とかして問題を解決しようと焦ったことにあります。
 先週読んだマリアのやり方と比較すると何かがはっきりします。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて,思い巡らしていた。」と聖書は書いています。

 ヘロデは自分の頭だけで,不安を何とか取り除こうとし、結果的には幼子たちを殺してしまいました。 他方、マリアは神のことばに信頼してじっくり考えながら,神様がして下さるだろうと思うことに頭を下げます。

 公現祭にあたり,2つの点を心に止めたいと思います。


1 私たちが信じているキリスト教は,どんな文化にも適応してきました。ですから、社会の中に市民権を持つまで,私たちはキリスト教のあり方を考える必要があるのではないかということ。

2 私たちも今の社会や教会ということに不安を抱いていますが、マリア様のように心に思い巡らして信頼する心をもつことが大切だということ。

聖霊が私たちを導いてくださいますように。