司祭の言葉 5/23

聖霊降臨の主日B年

 今好んで見ている番組があります。  イチケイノカラス  検事もの、刑事もの、弁護士ものなど、いろいろありますが、裁判官ものと言うのはあまりなかったように思います。弁護士物はたくさん作られています。依頼者が途中で投げ出し放棄しようとしても、熱心な弁護士が依頼者を説得し裁判に勝利する・・など。

 きょうの福音の箇所は、最後の晩さんの席でイエスが語られた弁護者を送ると言う約束です。「弁護者」はギリシア語で「パラクレートスparakletos」です。
 「パラpara」は「そばに」、「クレートス」は「カレオーkaleo(呼ぶ)」という動詞から来ていて「そばに呼ばれた者」の意味です。
 ヨハネの第一の手紙2章1節には「御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」という言葉があります。

 システィーナ礼拝堂正面壁画には、ミケランジェロの最後の審判の絵が描かれています。そこにはイエスが審判をしている様子が描かれていますので、審判者としてのイエスのイメージが強いかもしれませんが、イエスはご自分の血をもって私たちのために執り成しをしてくださったのですから、イエスこそは第一の弁護者なのです。
 そこで、今日の福音書では、イエスの約束として、聖霊について「別のパラクレートス」という言葉が使われています。
 教会が祈るときにいつもイエスの名によって祈るのは、イエスこそが第一の弁護者、とりなすお方だからです。

 ペンテコステに始まる教会の誕生は、大きな試練の始まりでもありました。試練に立つ教会は弁護者の助けを必要としていました。
 イエスは迫害の予告をしてから、弁護者としての聖霊を約束しています。そして言うべきことは聖霊が教えてくださると勇気づけます。

 弁護者である聖霊は、現代に生きる私たちにも派遣されています。私たちがどの様に歩むべきかを迷い途方にくれたときに、聖霊は「助け手」となって、真理を悟らせます。神は聖霊を遣わしてイエスが語られた言葉をわたしたちにも思い起こさせます。そのような体験は無いでしょうか。

 キリストを信じるものは、天と地の両方に「弁護者」を持ち、父と子と一緒に住むことを許されていると言うことを、忘れないようにしましょう。