司祭の言葉 1/17

年間第2主日B年

 さて、今日の福音ですが、一章のヨハネの証の部分から続いています。括弧して〔そのとき〕とありますが、原文では「その翌日」とあります。何の翌日かと言いますと、イエスが洗礼を受けた翌日ヨハネは向こうを往くイエスを見て弟子たちに「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」とのべています。今日の話はその翌日、つまりイエスの洗礼から三日目の話として述べられているのです。この日も歩いているイエスを見て一緒にいた二人の弟子に再び「見よ、神の小羊だ」というのです。そしてこれを聞いた二人の弟子、ヨハネとアンデレはイエスの傍に行くことになります。

 イスラエルの民のエジプト脱出の夜、エジプト中の長子の命が断たれましたが、小羊を屠りその血を家の鴨居に塗ったイスラエルの家では長子の命が保たれました。小羊が身代わりとなったからです。この時以来は毎年過ぎ越し祭で小羊を屠ってこれを記念するとともに、毎日人々の罪の赦しを願って子羊が屠られてきました。洗礼者ヨハネの「神の小羊」と言う言葉には、イエスが生贄となってイスラエルを贖うという思いが込められています。ヨハネは自分の栄光を求めるのではなく弟子たちにイエスを指し示し、イエスのもとに行く様に仕向けたのです。他の弟子たちはイエスのもとに行く人々を見てねたみますが、ヨハネはそれが自分の使命であると語ります。ヨハネは自分の役割を深く自覚していたのです。
 多くの場合人は自分の限界を認めたくなくて、人をねたみます。私も妬み心が人一倍強いと思います。サッカーなどスポーツの試合を落ち着いて見ていられないのも、ハラハラドキドキするのが苦手と言う気の弱さだけではなく、妬み心のせいかもしれません。自分にその能力のないことをまざまざと見せつけられますから。

 さて、この後もいくつかの黙想ポイントがあります。
内気なため正面切ってイエスに近づく事が出来なかったふたりの弟子に、イエスから彼らに歩み寄られっました。 人間の心が真理を求めはじめる時、主はわたしたちの元に来て下さいます。何を求めているのか・・・と。
 ヨハネの弟子達の返答は直接答になっていません。 「どこに滞在しておられますか・・」
 彼らがのぞんでいたのは、イエスと歩きながら話す事だけではなかったのです。それでは、イエスと知り合い、ただ言葉を交わすだけで終わってしまいますから、泊まって、自分達の悩みや問題をイエスに聞いてもらいたいと望んでいたのでしょう。

 38-39節にある3回の「泊まる」はギリシア語では「メノーmeno」という言葉が使れていますが、この言葉はヨハネ福音書の中で大切な使われ方をしているといいます。
 ヨハネ15章には「 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。・・・ わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」とありますが、ここで「つながっている」と訳されているのは「メノー」です。
 「メノー」は父とイエス、イエスとわたしたちの深い結びつきを表す特別な言葉です。「どこに泊まっておられますか」は、単に滞在先をたずねているだけでなく、「あなたはいったいどういう方ですか。神とどのような関係にあるのですか」という問いでもあるのです。

 父なる神にイエスが留まり、そのイエスに弟子達が留まる事によって、かれらのあたらしいあゆみがはじまります。

 思えば神学生の頃 北側の部屋で遅くまで議論し飲み明かしました。司祭となって長江司教さんともよく飲みました。第二バチカン公会議の動向を学びながら夜中まで・・。修道士さんがのぞきに来て司教さんを見てあわてて引っ込んだこともありました。夜を徹して教会の現状について、未来について議論を戦わしました。今でも残る強い印象です。仲間が一人また一人と天に召され、今ではその時のような情熱も根気もなくなってしまっているのが寂しいですね。

「午後四時ごろのことである」という言葉は、日没に近いあかね色の日差しの中でイエスと初めて出会った、忘れ得ない強い感動を伝えようとしているのかもしれません。