司祭の言葉 5/16

主の昇天

 現在はロケットで頻繁に宇宙に飛び出す時代です。今の子供たちはこのご昇天をどのようにとらえるのでしょうか。いや皆さんはどうでしょうか。

 ソ連の宇宙飛行士ガガーリンは、人類初の有人宇宙飛行士として、1961年ボストーク1号に乗りました。 その言葉として知られる「地球は青かった」は、1961年4月13日付けのイズベスチヤに掲載された言葉によるものです。
 ガガーリンの地球周回中の言葉として報道され、有名になったものとして「ここに神は見当たらない」というものがありますが、記録にはその種の発言は一切残されていないそうです。

 ビデオのルカによる福音では、イエスの目から見て地上がぐんぐん小さくなってゆきやがて雲が周りを覆う映像でイエスの焦点が表現されています。
 使徒言行録は、イエスが雲に覆われて彼らの目から見えなくなったと表現しています。
 神の 栄光 のうちに入られたことを、雲という言葉で示しているのです。 天は場所ではありません。 だから何故天を見つめて立っているのかと言われたのです。

 栄光は ヘブライ語もギリシャ語も 「重い」が本来の意味で荘重 威厳 卓越性を意味するようになり、聖書で言う 神の栄光は、神の卓越性を意味しています。
 イエスはご自分の十字架によって神の卓越性を示しました。
 神の栄光とは 一人子を与えるほどの神の愛そのものです 

 旧約において、神の栄光はエジプト脱出の時 もえる芝の中とにあらわれ、シナイのもえる炎の中にあらわれましたが、新約において、その栄光はキリスト誕生と十字架 復活を通して現れ、その昇天を持って完成するのです。

 フィリッピ人への手紙は(2の6~11)次のように言います。

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしくして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

 このことから教会の典礼では、昔からの伝統的では、栄光の賛歌のときに、イエスの名がてくると式長は司祭の方を向いてレベレンチアといい、皆頭を下げます。

 神と人との隔ての幕を取り去られた主は、天にのぼられ、わたしたちの中に住まわれます。キャンドルの火は消され、私たちの心のうちに復活の火を移します。
一人一人はそれぞれ聖なる宮を携えているのですが、多くの人はその宮に入ることを忘れているのです。