司祭の言葉 6/20

年間第12主日B年

 今日の福音で疑問に思うことがあります。何故ペトロたちは嵐を恐れ、イエスを起こしたのでしょうか・・と言うことです。今回の嵐はガリラヤ湖固有の嵐だといわれています。その地形が嵐を呼ぶのだそうです。

でも彼らは漁師ですよ。何度もそのような嵐には遭遇しているはずです。何をそんなに恐れたのでしょうか。しかも起こした相手はイエス、大工ですよ。船のことなど知っているはずはない。漁師のメンツにかけて、何とかしようと思うはずです。でもイエスを起こした。なぜでしょうか。船を出すように言ったのはイエス、確かに責任はあります。とは言え、疑問です。漁師が白旗を上げたのですから。いくら恐怖にかられたとはいえ、理解できません。あるいは船出したのはイエスのせいなのだからと、文句を言いたかったのでしょうか。

 人間はその誕生以来常に恐怖にさらされてきました。周りの獣たちはみな牙と鋭い爪、そして嗅覚を持っています。弱い人間はいつも逃げ回り、その中で道具を工夫し、火を発見し、文明を発展させ恐れを克服してきました。原初の人間にとって恐怖を持つことは、大切なことでした。それによって身を守り、生き延びてきたのです。
 この恐れを利用し金儲けをたくらむ人たちがいます。オレオレ詐欺がそうです。息子が孫が窮地に陥っている・・そう思わせて、その窮地から脱するためにお金が必要だといいくるめ、お年寄りからお金をだまし取る、許せない輩らです。
 先日は私のところに一通のメールが来ました。私のパソコンを支配し、自由に操作し、ついているカメラも自由に操って、部屋の中をくまなくのぞき見し、動画を撮った。これをインターネット上にばらまかれたくなければ、ビットコインで1700ドルほどを振り込め。そうすればすべてを廃棄し、二度と侵入しないなどと言うものでした。個人情報が流されるという恐れを持たせ、金を奪おうという手口です。

 聖書は「主を恐れることは知恵の初め」・・と言います。(箴言1の7)
 正しい恐れ、それは大切なことですが、むやみに恐れる事、不安にかられることを主は戒めておられます。主がともにおられる限り、わたしたちは主に信頼すべきなのです。
 今日の福音の要点は、イエスが嵐を鎮めたということよりも、弟子たちの弱さを通じて、神への信頼の大切さが語られていることです。