司祭の言葉 3/14

四旬節第4主日(ヨハネ3章14節-21節)

 今日はバラの主日です。今日の入祭唱は、「神の民よ、喜べ。悲しみに沈んでいたものよ、喜べ。」「神は豊かな慰めで、あなた方を満たしてくださる」(イザヤ書66の10.11)と謳います。皆さん十分に疲れていますよね、コロナコロナで一年になりますから。でもこのままいけば、今年は復活祭を祝うことができそうですね、そして復活祭には、春日部教会で一人のご婦人の洗礼式も予定されています。大きな喜びです。

 神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された・・・イエス様はそう述べています。ですから勇気をもって進みましょう。

 ところで、皆さんは蛇を毛嫌いしていませんか? 何故嫌いなのでしょう、地べたを体をくねらせながら這いずり回っているからでしょうか。もしかしたら、楽園物語の中で、人間の誘惑者として描かれているからでしょうか。
 今日の福音はそのような先入観を打ち砕くものです。なぜなら、木に挙げられた蛇は十字架のキリストのシンボル、救いのシンボルなのですから、蛇はもっとみんなに愛されてもいいのではないかと思います。
 蛇のペンダントを首に下げるなどと言うのはどうでしょうか、だってみなさんが首に掛けている十字架は死刑の道具なのですよ。

 民数記の21章に燃える蛇の話があります。あまりにも身勝手あまりにも恩知らずなイスラエルの民を懲らしめるために、神は砂漠で燃える蛇を遣わしました。人々はこの蛇にかまれると体が燃えるような痛みを感じ苦しんで死んだといいます。
 民が回心の情をあらわしモーセを通じて許しを願うと、神は青銅の蛇をつくり、旗竿の上に掲げて、これを仰ぎ見るようにさせます。そしてこれを仰ぎ見るものは癒されたのです。イエスご自身が述べられていることから、この蛇こそは十字架のキリストのシンボルであることが解ります。蛇は脱皮をすることから復活のシンボルでもあるともいわれています。

 イエスはニコデモに、「神はその一人子をお与えになったほどに世を愛された」と述べています。
 今日のみ言葉では、大切な点が三つあります。
 まず、神様が「世を愛している」こと、「独り子をお与えになった」ということ、そして「一人も滅びないで」ということ。ここに神の愛が余すことなく表されています。神様は、たとえそれが神様に逆らい、神様に背いてばかりいるような人であっても、滅んでほしくはないと思っておられるのです。

 イエス様は 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者か皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」とおっしゃっています。
 神がわたしたちを滅びから救うためにイエスを遣わされ、このイエスによって罪の許しを得た・・ということを信じて十字架を仰ぎ見るものはすくわれる・・・信じる者には命が与えられるということです。
 言い換えれば、「信じる者は滅びることはない」と約束されます。

 私たちは時には罪を犯してしまったり、失敗をしてしまったり、不信仰になってしまったりします。しかしそんなときでも「御子を信じる者は、十字架の愛を信じるものは滅びることはない」のです。

 ここが大切なのですが、「私たちの行ないに依るのではなく、神様の愛が無限の愛か注がれているから、私たちは決して滅びることはない」のです。

 それは、私たちか駄目になってしまわないように、神様の愛がいつも支えていてくださるということではないでしょうか。

 さあ、迷わず、神の愛を信じて前に進みましょう。バラ色の希望をもって、今日はバラの主日です。