司祭の言葉 12/5

待降節第2主日C年

 戸田のボートレース場から続く広い道があります。オリンピック道路と呼ばれています。1964年の東京オリンピックの時につくられました。
 わたくしが小学生の時には、母校に、昭和天皇を迎えるために、道路が整備されました。国賓などを迎えるときにも道路が整備されることがあります。

 今日の福音に引用されているのは、イザヤ書の40章の言葉です。当時、イスラエルは国を失った状態でした。エルサレムの神殿は破壊され、おもだったひとびとはバビロンに捕囚となって連れ去られていました。異国の地で人々は故郷を思い涙していましたが、イザヤは必ず祖国に戻れる日が来ると勇気づけました。
 イザヤのこの預言はバビロンに代わってペルシャが支配するようになったときに実現しました。エルサレムの神殿の再建が許され、捕囚の地から戻ることができたのです。

 広い大きな道はイスラエル人にとって忌まわしいものでした。アッシリア軍もバビロン軍もギリシャ軍もローマ軍もみな広い道を通って攻めてきました。バビロンには広い道があって、軍隊は凱旋してくるときにその道を通りました。
 特にローマ軍はすべての道はローマへ通じると言われるように、ローマから舗装された道を支配地に向かって整え、途中に駐屯地を置き、戦車を配置し、いったんことあればその道を通って鎮圧に赴きました。そしてそのためにローマ時代にはローマの平和という軍事力を背景にした平和が訪れたのです。

 そしてこの道を通って、使徒たちにより、イエスの福音は世界中にもたらされました。
 ルカはこのイザヤの預言が、今こそ実現したと思ったことでしょう。

 ところで今私たちにとって、広い道を通すということは、どのようなことでしょうか。
 バプテスマのヨハネの招きに従い、悔い改めることです。
 イエスの掟は愛の掟です。この掟が自分のうちで守られているのかどうか。
 無関心をやめ、時のしるしを見分けて、今必要とされていることに関心を寄せて、自分にできる事を、少しでも実行する努力をすることではないでしょうか。

 コロナ下の社会の中で、自分の周りだけではなく、世界の中で置いてけぼりになっている人たちを思い、そのために何かをする、それが道を整える事と言えるのではないでしょうか。

 ルカ福音書の中のヨハネは「悔い改めにふさわしい実を結べ。下着を二枚持っているものは、一枚も持たないものに分けてやれ。食べ物を持っているものも同じようにせよ。」そのように勧めます。
 イエスに従う、従うと言いながら、実は無視しているということは無いか、もう一度自分の生き方を見つめなおしてみましょう。