司祭の言葉 3/5

四旬節第2主日A年(mt17の1-9)

 今日のみ言葉は主の変容です。三人の福音記者はともに、この出来事を記録しています。衝撃的な出来事だったのだろうと思います。いずれも変容を最初の受難予告の直後に置いています。そこに変容の持っている意味が読み取れます。
 イエスの受難の予告は ペトロの強い抗議を呼びました。凱旋するメシアを思い描いていた弟子たちにとって、苦しむメシアは受け入れ難かったのです。他の使徒たちも同様でした。そしてペトロはイエスの前に立ちはだかってイエスをいさめ、サタン下がれと叱られました。

 変容は視覚に訴える出来事です。マルコは、仮小屋を建てましょう・・と言う言葉のあとに「ペトロはどういえばよいか判らなかった」という言葉を記しています。驚くだけで出来事を理解できなかった弟子たちの姿が描かれています。
 しかしマタイはそれを割愛し、マルコが書かなかった事を描いています。雲からの声をきいた弟子がひれ伏した事、無理解のまま終わるのではない事です。
 イエスの変容によって、栄光の姿を垣間見せ、弟子たちを勇気づけたのです。

 話は変わりますが、私の関わった統合失調症の青年の中に、「自分が人を不幸にしている」、そう信じている青年がいました。統合失調症は生きづらさで、病気というよりも障害です。彼は、いつもうつむき加減、声も小さく、人の目を見ることができません。いつもカックンと首を落として暗い顔をしていました。1年後あたりから少しずつ自信を取り戻し、その後介護の資格を取り、さらには精神障害者のピアカウンセラーになりました。

 先月、大宮のみどり幼稚園で、スプリングフェスティバルという催しがありました。年少は歌とリズム遊戯、年中になると歌と音楽劇に挑戦します。小さい子なのでいろいろハプニングもありますが、幼稚園の子供たちはフェスティバル後、大きな自信を得て大きく成長します。

 変容の出来事から私たちが受け取るべきもう一つの教えは、私たちもまた変わることを求められているということです。どのような変容でしょうか。イエスを理解し、イエスのように生きることです。

 国境なき医師団の報告会に参加したことがありますが、その時は いのちを守るために・・と支援者90人ほどが集まっていました。
中にはキリスト者がいたかもしれませんが、ほとんどがキリスト者ではないと思います。

 日本赤十字社の標語をご存じですか? 「人間を救うのは人間だ」・・というものです。 神不在ともとれる言葉ですが、・・・まず自分たちから動くことが大切だ‥と言うことではないでしょうか。「天は自ら助くる者を助く」・・という言葉に通じるものだと思います。   
 祈るとき、神頼みに終始していたりしませんか? 忘れてはいけないのは、神の子であるとしても、「生身の人間イエスが、私たちを救った」・・という事実です。究極の愛で。   

  回心が求められています。苦しむ隣人の声に耳を傾けているでしょうか、そして、使徒ヤコブの言葉を思い起こします。 「行いを欠く信仰は死んだものだ」・・という。
 四旬節にあたり、私たち自身の「変容」が求められていると思います。

司祭の言葉 2/26

四旬節第1主日A年 (マタイ4章1-11節)


 イエスの荒れ野での誘惑の場面です。四旬節の原点となる出来事です。
 40という数は聖書の中では、長い苦しみや試練の時を現す数字となっています。まず思い出されるのは、エジプトを脱出したイスラエルの民がさまよった「40年間の荒れ野の旅」です。

 荒れ野は砂漠に似て水や食べ物を得るのが難しい、生きるのに厳しい場所ですが、神はここで岩から水を湧き出させ、天から「マナ」と呼ばれる不思議な食べ物を降らせて民を養い導きました。ですからそこはまた、後から考えれば、互いに乏しいものを分け合った恵みの場所であった・・・ということも出きる場所です。

 ヨルダン川でバプテスマを受け、神の声を聴いてゆくべき道を示されたイエス様は、悪魔から誘惑を受けるため霊に導かれて荒野に行きました。
 どういう意味でしょうか。日本語で誘惑というとよい意味では使われませんから。
 同じ個所を、ほかの聖書はどの様に訳しているかを見てみましょう
講談社のバルバロ訳は、「悪魔に試みられようとして」
新改訳は、「悪魔の試みを受けるため」
日本聖書協会訳は、「悪魔に試みられるため」・・・と訳しています。

 原文のギリシャ語での「誘惑」という言葉は、ペイラステーナイという言葉が使われていて、試みる、試す、罪に誘惑する・・・などの意味がある言葉です。
 神様が罪に誘惑することはありませんから、しかも「霊」に導かれてとありますので、試み‥という訳のほうが私にはしっくりきます。

 「石をパンにしてみろ」は物質的なものによって満たされようとする誘惑、あるいは自分の力を自分の欲望を満たすために使う誘惑‥かも知れません。
 人々のためにパンを与えるためとすれば、違うかもしれませんが、パンによって群衆を自分のところに引き寄せるとすれば、それは、買収といえるかもしれませんし、イエス様が人々を招かれたのは、究極的には十字架の愛、与えるものとなるために招かれることでしたから、イエス様の思いとは相いれないことでした。
 さらにそれは、病気を治さずに、症状だけを取り除こうとするのに似ています。
 人々の飢えの原因となっているものをこそ、取り除かなければならないのです。
 人間が自分のことだけを考え、他者を思いやらない独善主義と無関心・・・これを取りのぞかない限り、貧困はなくならないのですから。

「神殿の屋根から飛び降りよ」は自分の身の安全を確保しようとする誘惑、あるいは己の力を試そうとする誘惑、ひいては神を試そうとする誘惑でした。

「国と繁栄を与える」は、この世の富と権力を手に入れようとする誘惑です。世界をも渡せる山などはありませんし、人工衛星の上から見ても、繁栄ぶりは見えないでしょう。

 これらは全て、イエス様が経験なさった内的な葛藤であろうと神学者は考えます。イエス様ご自身が、この霊的な経験を語っておられるのですから、私たちは厳粛な思い出襟を正して聞く必要がある・・・と。

 「サタン、引き下がれ」は受難を予告したイエス様をとがめたペトロに向かって言われた言葉(マタイ16章23節)と同じです。


 ただし、モノや安全を手に入れようとすることのすべてが悪の誘惑ではありません。イエス様も5つのパンでおおぜいの群集を満たし、多くの病人をいやしました。わたしたちにもパンが必要ですし、健康や安全も必要です。富や力もある程度は必要でしょう。そういう意味では、これらを悪と決め付けることはできません。
 しかし、今回のウクライナ侵攻とこの一年の戦争が示す通り、権力は諸刃の剣です。
神の名のもとにその権力を行使し、戦争を引き起こし、世界中に不幸をまき散らすことにもなります。神の望みだと言って今回の戦争は続けられていています。神にとってはいい迷惑です。
 問題はそれらを求めるあまり、神と隣人との親しい交わりを失ってしまうことだと言えるかもしれません。

 イエス様の悪魔への答えは、すべて申命記の引用です。申命記とは重ねて命ずる・・という意味で、荒れ野の旅の終わりに、約束の地を目前にして、モーセが民に遺言のように語る「告別説教」といわれるものです。

 「人はパンだけでなく・・・」は申命記8章3節の引用です。
 「あなたの神である主を試してはならない」は申命記6章16節の引用です。
 「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」は申命記6章13節の引用です。

 イエス様は一回の対決で悪魔を撃退し、再び攻撃を受けなかったのではありません。
 ルカでは「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が車でイエスを離れた」とあります。
 ペトロが十字架に向かうイエス様を引きとめようとしたとき「サタンよ、引き下がれ」と一喝しました。これはイエス様が荒野で悪魔に言われたのと同じ言葉です。そしてもっとも激烈な悪魔との対決はゲッセマネにおいてでありました。

 四旬節の時を過ごす心構えは、どうすればよいのでしょうか。

 自分を「荒れ野」に置いてみることです。そこからもう一度、神とのつながり、人とのつながりを見つめなおしてみるのです。
 生きるのに苦しい、ぎりぎりのところだからこそ、この自分を生かしてくださる神を思い、同時に苦しい状況の中で生きている兄弟たちとの連帯を思うことができます。
 今回のトルコ大地震はまさにすべてを破壊し、被災地を荒野と変えました。
 5万人近い人が亡くなり、数百万の人々が家を失い、荒れ地となった大地に放りだされました。私たちを、このがれきの中において考えてみましょう。
 このたびの大地震を思うとき、彼らとの連帯の中で、わたしたちには何が出来るでしょうか。
 四旬節に勧められている「祈り、節制、愛の行い」という回心の行為が目指していることは、すべて彼らとの連帯を求めるものです。
 彼らの環境に自分を置いて考えれば、「荒れ野」は遠くにではなく、実はわたしたちの身近なところにある・・ということに気づくことができるのではないでしょうか。

司祭の言葉 2/19

年間第7主日A年

 今日の福音は有名な個所です。「目には目を歯には歯を」…と言う言葉を私たちはどのように受け止めているのでしょうか。「やられたらやりかえす」と言う意味にとる人も多いようです。
 片方の目をつぶされたら、それはもう大変なことです。障碍者になってしまうのですから。腹が立って腹が立って、相手の両方の目をつぶさないと、怒りが収まらない・・・と言うのが、多くの人の気持ちでしょう。倍返しです。でもそれでは互いに復讐はエスカレートしてゆきます。現在のイスラエルでも、報復の応酬は止まりません。パレスチナのハマスがイスラエルに対してテロを行うと、ガザ地区への報復攻撃が倍返しで行われます。
 ですから、目には目をというのは、同害復讐法と言って、復讐がエスカレートするのを禁じているのです。この同害復讐法は、古くはバビロニアの王ハンムラビ(BC1792-1750)によって制定されたハンムラビ法典の中に見ることが出来ます
 ここに一冊の本があります。ハンムラビ法典の日本語訳です。その中の一文を紹介しましょう。
 ・・・「もしアウイールムがアウイールムの仲間の目を損なったなら、彼らは彼の目を損なわなければならない。もし彼がアウイールムの仲間の骨を折ったなら、彼らは彼の骨を折らなければならない。もし彼がムシュケーヌムの目を損なったか、ムシュケームヌの骨を折ったなら、彼は銀1マナ(約500g)を支払わなければならない。」
 → 貴族、平民、奴隷によって償いは異なっています。

 同じような言葉は旧約聖書の出エジプト記の21章、レビ記の24章、申命記の19章にも出てきます。・・・「命には命をもって償う。人に障害を加えたものはそれと同一の障害を受けなければならない。骨折には骨折を、目には目を歯には歯をもって人に与えたのと同じ障害を受けねばならない。」(レビ24の19-20)-
 → 聖書では貴族平民の別はありません。

 しかしイエス様は言います。「悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
 「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」
  「誰かが1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい」

 これらを皆さんはどう受け止めてきたのでしょうか。
 「少なくとも我慢する」という受け止め方をしているのではありませんか?

 いつも我慢させられたら、小さな子供だったら地団太踏んで怒ります。
 我慢する・・そのように受け止めているなら、イエス様の教えはいつまでたっても納得できないでしょう。イエス様の教えは水割りにしないでストレートに実行してみましょう。そうすれば納得がゆくはずです。すとんと腑に落ちるのです。

 私の小さな体験ですが、高校三年生の時一人の同級生から図書室の一室に呼び出されました。そして、「お前は生意気だ」と言って殴られました。その時聖書の言葉を思い出し、もう一方の頬を差し出し「こちらもなぐれ」といいました。相手はたじろぎましたが、「いいから殴れ」と言うと、「いいんだな、殴るぞ」と確認をして殴ってきました。ところがその時私はとっさにこぶしをよけてしまったのです。相手はもちろん空振り。私は「すまん、よけてしまった。もう一度やり直してくれ」と言って、次は目をつぶって殴ってもらいました。
 思い切り殴られ、目から火花が飛びました。本当に火花が飛ぶんですね。その時、ふっとつきものが離れるように、怖れと相手に対する怒りが消えたのです。

 もう一方の頬を向ける、強制された以上に歩く、下着を取るものに上着をも与える、それらは強制ではありません。自分の意思で行うことです。そのことによって、強制されたことに対する憎しみが消えるのです。

 勿論イエス様は、社会正義を無視しろと言っているのではありません。社会の不正は正してゆく必要があります。イエス様も律法主義者たちの不正を糾弾したのですから。

「ああ、無情」の一場面を思い出します。教会に泊めてもらったジャンバルジャンが銀の燭台を盗んでジャベール警視につかまり、教会に連れてこられた時、老司祭は「燭台だけではなく他のものもあげたのにどうして持ってゆかなかったのか」と彼をかばい、ほかの銀の食器も彼に与えました。 そしてジャンバルジャンは、愛に打たれ、正しい道を歩み始めます。

 もし私たちがイエスの言葉を理解したいなら、言われたとおりに実行してみることが大切です。
 その上で、不正を正すために立ち上がりましょう。自分に対する不正は受け入れても、他人に対する不正は見逃すべきではないのです。子供に対する虐待やお年寄りに対する虐待を見たら、迷わず、弱い人の味方となって声をあげましょう。
 「あなたがたは地の塩、世の光である」とのイエス様の言葉をいただいたのですから。
 先週のみ言葉は、「私が来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」というものでした。
 律法の目指すところはキリストだ・・・とパウロは言います。キリストの十字架の愛において律法は完成されたのです。
 神への愛と隣人への愛、イエス様の与えられた新しい掟の中に、律法のすべては含まれているのです。

司祭の言葉 2/12

年間第6主日A年

 「わたしがきたのは律法や預言者を廃止するためではない。
 天地が消えうせるまで律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」

 イエス様のこの言葉を聞いて疑問に感じる方がおられたなら、チコちゃんに叱られないで済むかもしれません。なぜならイエス様は律法を大切にしない、安息日のおきてを守らない不敬な人物・・・として糾弾され、パリサイ人たちや律法学者たちから攻撃を受けていたのですから。

 律法・・この言葉はいくつかの意味があります。
 まず、モーセの律法、十戒を意味します。神がモーセに示された10の掟です。覚えておられる方がいらっしゃいますかね。忘れた・・なら、OKです。
一度は覚えたということですから。
知らない・・・それは勉強不足です。カトリック要理を勉強しなおしましょう。
 次に律法は、旧約聖書の最初の五つの書物、モーセ五書、これも言えますか?もちろん忘れたならOKです。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を指します。
 そして、律法と預言者 このことばで聖書全体を現しています。
 最後に口伝律法、祖先からの言い伝え、律法を解釈したもので、律法学者やパリサイ人は法則と規定の作成に心血を注いだのです。それらは3世紀に法典としてまとめられミシュナと呼ばれました。英語の本にすると800ページほどになるそうです。
 後世のユダヤ教の学者たちはミシュナの注解書を書き、それがタルムードと呼ばれています。

 イエス様の時代、律法学者やファリサイ人にとって、数千の法則規定を守ることが信仰でありました。そしてイエス様は彼らの言い伝え、法則、規定をたびたび破られましたから、イエス様が律法といわれたのは、これらの掟ではないことは確かです。

 あるとき、イエス様に律法の中でどの掟が大切かと尋ねた律法の専門家に、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、」これが最も重要な第一の掟である。
 第二もこれと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい」律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている」といわれました。
 神に対する愛と隣人に対する愛、神に対する畏敬の心と、隣人に対する尊敬の心・・・これらが律法の背景、十戒の背景になければならないのです。
 殺すなという掟の裏には、隣人を愛する、大切にする心があるのです。隣人の命、人の命を大切に思うなら殺してはいけないのです。ほかの掟も同様です。

 そしてローマ人の手紙の10章の4節でパウロは「キリストは律法の終わりとなられた」と述べています。(Finis enim legis Christus ad iusutitiam omni credenti) 新共同訳は「キリストは律法の目標であります」と訳しています。イエス様が下さった新しい掟に従い、「イエス様が私たちを愛したように、私たちも互いに愛し合う」 それが律法の目指すところだ・・ということではないでしょうか。
 イエス様の十字架の愛のうちに、律法の教えは完結しているのです。

司祭の言葉 2/5

年間第5主日

 ここに一本のロザリオがあります。祈りに使うと湿気の多い日本ではすぐに擦り減ってしまうので一度も使ったことがありません。塩でできています。
 ポーランドの世界遺産ヴィエリチカ岩塩抗 世界最初の世界遺産で、700年もの間掘り続けられポーランドの国家経済を支え続けました。中には小聖堂も作られており、聖人たちの岩塩の彫像もたっています。そこのおみやげです。

 さて、今日のみ言葉を見てみましょう。
「あなた方は地の塩である。だが塩に塩気が亡くなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」

 塩気が無くなればと訳されている言葉ですが、原文ではモランテェ 馬鹿になる という言葉が使われています。ラテン語ではエヴァヌエリト 力を失う と訳されています。
 役に立たなくなる・・・という意味でしょうか。

1.ユダヤの神殿では一日中犠牲として塩を捧げられていました。 
  レビ2の13には次のようにあります。
 「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。
  献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。」

  さらに民18の19では、次のように述べられています。

 「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる
  息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前にあって、
  あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。」  
  塩は神からの神聖な贈り物でした。

2.また、古代社会では塩は最もよく使われた腐敗を防止する防腐剤でもありました。 

3.さらに、パレスチナでは竈の下に瓦を敷き、その下に塩を厚く敷きました。
  保温のためです。でも、古くなると効果が薄れるため、新しいものと取り換えました。
  塩もその効果を失うことがあったのです。

「塩気が無くなれば」と訳されている言葉ですが、原文ではモランテェ 馬鹿になる という言葉が使われています。ラテン語ではエヴァヌエリト 力を失う と訳されています。 役に立たなくなる・・・という意味でしょうか。

 年を取ると同じことを繰り返し言って、また同じことを言っているよ・・といわれてしまうことが度々です。私もいつの間にかそのような年寄りに一人になりましたので、自分でもまた同じことを繰り返しているな・・と思うのですが、谷司教から聞いたこの話も、何回も繰り返し言っているように思います。

 彼は神学生になる前に社会人として働いていましたが、研究所にいたそうです。イースト菌の研究をしていたのでしょうか、彼は、或る時パンを焼くことになったそうです。何十キロもの粉を仕込んでパンを焼くことになり、大きな窯でそれを焼き上げました。焼き上がりはとてもうまくいって、さすがは谷君、うまく焼けたね、素晴らしい焼き上がりだ・・・と皆は彼を称賛しました。さあみんなで試食しようと皆がそれを食べたとたん、みんなの顔から微笑みが消えました。彼も食べてしまったと思ったそうです。塩を入れるのを忘れたということでした。売り物にならないので一窯分のパンが廃棄されたそうです。ご飯を炊くときは塩を入れませんが、パンを焼くときは必ず塩を入れます。

 ものに味を付ける ・・・のは、塩の、最大の最も特色ある性質です。
 → キリスト者は、人生に味をつけるものでなければならないのです。

 もう一つ、イエス様は「あなたがたは世の光である」・・・ともおっしゃいます。

 ご記憶にあると思いますが、東日本大震災の後、しばらくは計画停電が行われ、乾電池もロウソクもみな店頭から姿を消しました。
 セウイではロウソクを作っています。でも買った人は、「とてもきれいなロウソクですね、もったいないから家庭祭壇に飾っているんですよと」言います。でもどんなにきれいでもロウソクはともさなければ意味がありません。
 計画停電の時、家の中に飾られていたロウソクは、ようやく使ってもらえました。
そして、部屋を照らすためには、それはできるだけ高い所に置くのです。

 地の塩の話も世の光の話もともに弟子たちに語られていますが、注意すべきは、地の塩になりなさいといっていない、世の光となりなさいとも言っていないということです。
 イエスの後に従うことによって、今あるがままで、すでに私たちは地の塩であり世の光であるからそれをおもてにだしなさいというのです。それは信仰を隠さないこと、恥じないということではないでしょうか。

 イエス様は、あなた方はすでに、地の塩であり世の光である・・・そういわれました。そのことをこの一週間黙想してみましょう。

司祭の言葉 1/29

年間第4主日A年

 今日の福音は、マタイによる福音書 5:1-12a 真福八端 といわれるところです。
「端」という字には、始まるきっかけとか、糸口・・という意味がありますから、真の幸福に至る八つの糸口という意味でしょうか。

 この八つの言葉を私たちキリスト者は、この地上における生き方の指針として受け止めています。そしてそれはもちろん正しい生き方なのですが、これに対する批判もあります。
教会はこの生き方を強調して、社会の不正をただすことに力を尽くしていない、富める者に味方して彼らの生き方を許容してきた・・というのです。

 ところで、この言葉を聞いた時、貧しい人たちはどのように受け止めたのでしょうか。
 喜び安堵したことだろうと思います。
 でも、この言葉に驚愕し、慌て、怒り、イエスの教えを問題視した人たちがいます。
 誰でしょうか。祭司たち、律法学者たち、パリサイ人たち、時のユダヤの指導者的立場にあった人たちです。
 これらの言葉のどこが問題なのだと思われますか?

 律法学者たちはモーセの座にあって、律法主義を徹底することによって、人々を指導してきました。そこには彼らによって確立された価値観がありました。しかしイエスの教えはこの価値観を逆転させているのです。

 当時の人々は、人が貧しいのは、不幸なのは、病気なのは、障害を持っているのは、神様からの罰であると考えていました。本人の罪か親の罪か、先祖の罪からくる神様からの罰であると考えていたのです。富めることは、今の良い身分にあることは、神様からの祝福であると考えていたのです。だから、貧しい人が幸いであってはいけないのです。
 しかしイエスは、貧しい人は幸いであり、悲しむ人も幸いであると言います。律法学者たちと真逆のことを教えている・・・それはこれまでの秩序の破壊に他なりません。
 イエスの教えは既成の秩序に対する宣戦布告だとみなされたのです。

 群衆は、自分たちの貧しさは自分たちの罪のせいだと思っていましたが、イエスは、「そうではない、あなたたちのその貧しさを神は祝福される」とおっしゃったのです。
「律法を知らないこの群衆は呪われている」(ヨハネ7の49)・・そう宣言するユダヤ人指導者たちでした。その、群衆についてイエスは「あなたたちは幸いだ」と宣言したのです。それどころか、富んでいる人たち、満腹している人たちに、禍を宣言しました。
 富や名誉を神からの祝福の徴とした律法学者たちの律法理解を、新しい解釈によって相対化し、無力化させたのです。絶対と思われていた教えが、イエスの逆説的な教えによって相対化され、無力化された・・絶対と思われていたものが比較できるようになり、無力化されたのです。律法社会を形成していた人たちにとって衝撃的なことでした。
 当時の社会のものの考え方の真逆を行く教えだったからです。
 そしてここに「イエス、死すべし」という判断がされることになったのです。

「心の貧しい人々は、幸いである」・・・この言い方を私は好きになれませんね。このようにしか訳せないのでしょうか。心が貧しい・・というと、日本語としては決して良い意味ではありません。心の豊かでない人・・という意味になりますから。
 原文を見ますと、その言い方は、「幸いな人よ。霊において貧しい人は・・・。」という言い方になっています。日本語訳では叙述的な言い方ですが、原文は感嘆文的な言い方なのです。
 サレジオ会のバルバロ神父の訳した聖書でも、「心の貧しい人」と訳していますが、「物質的にも貧しく、精神的にも金銭の富を求めない人」・・と、註をつけています。

 ここで私たちが見なければいけないのは、イエスの行動ではないでしょうか。イエスは宣教に入ると、しいたげられた人々と共に生活しています。これは明らかに律法社会の教えから外れています。貧しい人々に施しをしたり、助けたりすることは正しい行いであるとされていました。でも、貧しい人や罪人の家に入ることは、汚れを身に負うこととされていましたから、共に食事をする等のことは、むしろ、さけるべき事とされていました。貧しい人はあわれみをかけてあげる対象ではあっても、付き合う相手ではなかったのです。
 しかしイエスは積極的に彼らと交わっています。彼らこそが、イエスのそばに近づき、イエスの言葉を受け入れていったのです。そして人間性を取り戻していったのです。
 イエスは当時の律法主義によって作られていた差別を、言葉と行動によって取りのぞかれたのです。もしこの「心の貧しい人々は、幸いである」という言葉を、「今ある苦しみをがまんしていれば、死んだ後にきっと報われるから今の状態に耐えなさい」などという意味でとらえてしまうなら、イエスの思いを誤解することになります。これこそ、宗教が阿片として批判された精神です。
 一方で富んでいる人がおり、他方で貧しい人がいる事に、イエスは我慢ができなかったのです。真福八端は、そうした制度を支えていた人たちに、批判を込めて言われた言葉なのだ・・・私はそう思います。 

司祭の言葉 1/22

年間第3主日A年

 イエスはなぜガリラヤから宣教を始めたのでしょうか
 ガリラヤの語源を見ますと、ガリルという言葉とハ・ゴイムという言葉からなっています。ガリルは輪という意味です。山本七平の聖書の常識では、ガリラヤ湖を囲んで輪のように山があったのでそのように呼ばれたのだろうということです。
 他方、聖書学者のバークレーは、この地方の正式な呼び名は異邦人のガリラヤで、ガリラヤが異邦人に囲まれているところからきている・・と言います。西にはフェニキア人、北と東にはシリア人が住み、南はサマリア地方になっていたからだ、と言います。
 またこの地方は、ダマスコのベネハダデに攻略されたり(列上15の18)
 アッシリアのテグラテピレセル(列下15の29)、バビロニア、ペルシャ、マケドニア、エジプト、シリアに相次いで征服された歴史をもっています。
 住民は捕虜として連れ去られ、色々な民族が移住してきましたので、正統ユダヤ人からは 異教にケガされた不浄の地という意味で、異邦人のガリラヤと言われたともいいます。

 福音史家のマルコも、ヨハネが捕らえられたのち、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を述べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。・・そう書き記しています。
 田川健三という聖書学者は、これをマルコのガリラヤ志向と述べていますが、イエスの活動はその本質において、ガリラヤを場としたものである・・そう断言します。ガリラヤの民衆に根付いて活動したものとして描くことがマルコの意図だったと。
 エルサレムの中央性、権威性、伝統性、支配者的性格のどに対して、ガリラヤは、地方性、民衆性を意味している。このようなガリラヤ制を代表することのできる人物として、イエスが存在し活動していた・・そのことを強調しているのだと言うのです。

 1世紀当時、領主ヘロデ・アンティパスの統治下にあったガリラヤは、ユダヤと違い直接ローマ帝国の支配を受けることはなかったのですが、すべてのユダヤ人と同じに、エルサレム神殿から多額の神殿税や献納物を徴収されていました。
 ローマの支配下にあるとはいえ、ユダヤの内政は、大司祭を頂点としたエルサレムの最高法院(サンヘドリン)が取り仕切っていました。神殿貴族たちは莫大な神殿税や献納物で肥え太り、同時に大土地所有者でもありました。そして彼らの下に律法学者たちが位置し、法と教育でもって民衆の生活の隅々まで縛りつけていたのです。つまり当時のユダヤ教とは、社会支配体制そのものでした。

 イエスの育ったナザレは、どのようなところだったのでしょうか。
 聖書学者バークレーの描くナザレの様子を見てみましょう。

 ナザレはガリラヤの南方の丘地のくぼみに位置して、丘を登ればすぐ足元に世界の半ばが眺められた。西を見れば遠方に地中海があおい水をたたえ、洋上を船が地の果て指して進んでいる。海辺の平野に目をやれば、今立つ丘のふもとをめぐって世界で一番重要な道路の一つが走っていた。この道路はだダマスコからエジプトに通じ、アフリカへの陸の懸け橋になっていた。
 この道は南方の道とか海の道とか呼ばれていた。道路はこのほかにもあった。それは当方の道で、ローマ帝国の東の境界線に届いていた。ここにも隊商の列があり、絹、香料が運ばれていた。ナザレは決して人里離れた村ではなかったのである。

 これらの地理的条件や、歴史の中での位置などによって、ガリラヤの人たちの気風が形作られてきました。ガリラヤはダマスコ、ティルス、シドン、プトレマイオス、カイサリア、サマリア、デカポリスと言った大きな商業の中心地である外国の都市に囲まれていましたので、ガリラヤのユダヤ人たちは南のユダヤ人たちよりももっと外国人接していました。イエスの時代にガリラヤの人々は700年以上も他の国の人々と生活を共にしてきましたから、南のユダヤ人たちよりももっと開放的、エクメニカルで、新しいものに対しても拒絶反応はありませんでした。イエスの福音を受け入れることのできる素地が作られていたのです。

 ユダヤ教の公式見解では、来るはずのキリストがガリラヤと関係あるとは思われていませんでした。
 「よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者のでない事が判る」ヨハネ7の52

しかし、マタイはイザヤ(今日の第一朗読)を引用 大いに関係あることを示しています。

 イエスは「悔い改めよ、神の国は近づいた」と説きました。
 これは、律法に縛られていた人々に、律法によって義とされるのではないこと、律法の根底にあるものは神への愛と人々への愛であることに気づかせる宣教の始まり、神との新しい関係の幕開けを宣言する言葉でした。

司祭の言葉 1/15

年間第2主日 (ヨハネ1章29-34節)

 皆さんお変わりございませんか?
 この冬は、新型コロナウイルスの第8波とインフルエンザの流行が、懸念されています。施設でのクラスターも増えているようですので、教会もクラスターが起こらないように気を引き締めてゆく必要がありますね。

 さて、今日のみ言葉ですが、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、べタニアで自分の使命について証しをした、翌日の出来事です。
 ヨハネが自分のほうに来るイエスを見て弟子たちに「世の罪を取り除く神の子羊だ」と語った個所になります。

 「世の罪を取り除く神の小羊」はミサの中でお馴染みの言葉ですが、ヨハネが語った「神の小羊」とはどのような意味なのでしょうか。

 最初に思い起こすのは、出エジプト記12章にあるエジプト脱出の晩の物語から、小羊は神の救いのシンボルとなったことです。この時以来、イスラエルの民は毎年、過越祭に小羊を屠ってこの救いの業を記念しました。 過ぎ越しの小羊と呼ばれています。
 ヨハネがイエスに出会ったときにも、過ぎ越し祭の犠牲の小羊として役立つために、あちこちの田舎から追い立てられてくる小羊の群れが、そばを通り過ぎて行ったに違いないと、聖書学者のバークレーはかたっています。

 エジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々を、解放したのは、過越しの小羊の血でした。ヨハネがイエスを指し示して「世の罪を取り除く神の子羊だ」といったとき、罪の奴隷状態にある私たちを解放するのは、このお方だと思いながら言ったのだろうと思います。

 また、イザヤ53章7節には「屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった」という言葉があります。
 これは苦しみをとおして多くの人の罪をあがなう有名な「主のしもべ」について語られている箇所です。ヨハネはこの言葉を思い起こしながらこういっているのでしょう。
 「イザヤはこの預言の言葉を語った時、その民を愛し、そのために犠牲となり、そのために死ぬであろう者を思い浮かべていた。そのお方が今ここにいる」・・・と。

 さらには、私も忘れがちなのですが、ヨハネの父ザカリアは、祭司だったことです。西暦70年に神殿が崩壊するまでずーっと、神殿では毎日朝晩、人々の罪の許しを願って、雄の当歳の小羊の生贄がささげられていました。ヨハネはそれを間近に見ていたはずですから、この罪の許しのためのいけにえを思い浮かべたかもしれません。

 しかしながら、この箇所では「神の小羊」という言葉の意味よりも、洗礼者ヨハネが 「見よ!」と弟子たちの注意をイエスに向けさせていることが大切なのです。この言葉によってヨハネの弟子たちはイエスの後についてゆくことになるのですから。
ヨハネの弟子にとってもその時、「神の小羊」という言葉は、何を指しているのかわからなかったのではないでしょうか。

 「”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」(33節)。

この言葉の意味も考えてみましょう。
 洗礼の元のギリシア語は「バプティスマbaptisma(水に沈めること)」です。
ヨハネは回心のしるしとして、人々を水の中に沈めていました。
そのヨハネが、「イエスは聖霊の中に人を沈めるお方だ」、というのです。

 皆さんは漬物はお好きでしょう。 いろいろな漬物がありますが、わたしは山形の「おみ漬け」がだいすきです。母が山形の出だったので、毎年おみ漬けを一樽は作っていました。この漬物は日の当たらない北側の軒下に置かれていましたので、いつも薄氷が張っていました。氷の張った桶から出したばかりの、ぱりぱりとした歯ごたえの漬物の味と香りは、子どもの頃のなつかしい記憶です。

 「洗礼を授ける(バプティゾーbaptizo)」という言葉を、を「漬ける」と訳した人がいます。「聖霊によって洗礼を授ける」は「聖霊漬けにする」と言ってもよいかもしれません。

 わたしたちが「聖霊漬け」になるというのはどのような意味でしょうか。 

 「一人一人が愛によって歩む、聖霊の香りを放つ者になる」ことだと言ってもよいかもしれません。エペソ人への手紙でパウロは次のように語っています。

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。」(5の2)

 今日のミサの中で、洗礼を受けた当時のことを思い起こし、聖霊のよい香りを放つことのできる恵みを、ともに祈りたいと思います。

司祭の言葉 2022年6月〜12月