司祭の言葉 6/4

聖霊降臨の主日

 聖霊降臨の主日おめでとうございます。主が十字架につけられてから戦々恐々としていた弟子たち、彼らは復活の主に出会ったのち、この聖霊降臨によって強められ、何物も恐れず宣教に旅立つことになるのです。

 きょうの福音では、弁護者を送ると言う約束の言葉がが語られています。最後の晩餐の席でのことです。
 ギリシア語では「パラクレートスparakletos」と言う言葉は、二つの言葉からできています。「パラpara」は「そばに」、「クレートス」は「呼ばれた者」と言う意味です。カレオーkaleo(呼ぶ)」という動詞から来ています。
 パラクレートスは裁判のときにそばにいて弁護してくれる人のことなので、朗読聖書の新共同訳聖書は「弁護者」と訳しています。

 かつて春日部教会で主任司祭をしていた中村神父は、当時神学生養成担当者をしていました。彼は神学生にとってのパラクレートスだったと思います。いつも神学生に寄り添い、教区の役員会などではいつも神学生を弁護していました。
 彼自身が神学生成担当者に守られた体験を持っています。
 時は70年安保のころ。 大学では学生運動が活発化 連日デモが繰り広げられました。
 上智大学も学生運動に対抗し学生を学校から締め出すロックアウトを行いました。
 教育の放棄でした。
 神学校でも締め付けがありました。 神学生は改革が必要だと感じ、学生会が結成され神学校側と交渉 教区司祭の司祭養成担当者(モデラトーレス)や院長を要求しました。・・・・自分たちは教区司祭となるのだから、修道会の司祭ではなく、教区司祭としての霊性を身に着けたいと。
 神学校側もこの要求を認め、修道会の司祭中心の司祭養成担当者から教区司祭の養成担当者に変わり、院長も教区司祭となりました。
 中村神父様も、この学生会の中心にいて、中心にいた神学生の何人かは教授たちににらまれ面接試験でいくつかの単位を落としたと聞いています。それを救ったのが教区の養成担当者でした。
 犬飼神父が朝霞教会で補講を行い、みな単位をとり卒業することができたのです。中村神父様は、司祭となり教区の神学生担当者に任命されると、とことん神学生のパラクレートスになりました。
 ヨハネの第一の手紙2章1節には「御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」という言葉があります。この弁護者は復活して神のもとに上げられたイエス様のことですので、イエス様こそが第一の「パラクレートス」であるということができます。
 そこで、ヨハネ福音書14章16節では、聖霊について「別のパラクレートス」という言葉が使われているのです。

 イエス様は「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と言われ、23節では続けて「わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」と約束されています。  
 ここに驚くべき約束があると思いませんか?聖霊が弟子たちに与えられるということと、父とイエス様が弟子たちと共に住む、ということが述べられているのです。
 弁護者である聖霊は、現代に生きる私たちにも派遣されています。私たちがどの様に歩むべきかを迷い途方にくれたときに、聖霊は「助け手」となって、真理を悟らせます。

 神は聖霊を遣わしてイエス様が語られた言葉をわたしたちにも思い起こさせて下さるのです。そのような体験は無いでしょうか。

 キリストを信じるものは、天と地の両方に「弁護者」を持ち、父と子と一緒に住むことを許されていると言うことが約束されているのです。
 ですから、恐れることなく自分の信仰を表明し、主の十字架と復活の証人として、愛の掟を守ってゆきましょう。
 そしてウクライナの戦争が一日も早く終わりますように、平和のために祈りましょう。

皆様の上に聖霊の賜物が豊かに与えられますように・・・アーメン。