司祭の言葉 2/5

年間第5主日

 ここに一本のロザリオがあります。祈りに使うと湿気の多い日本ではすぐに擦り減ってしまうので一度も使ったことがありません。塩でできています。
 ポーランドの世界遺産ヴィエリチカ岩塩抗 世界最初の世界遺産で、700年もの間掘り続けられポーランドの国家経済を支え続けました。中には小聖堂も作られており、聖人たちの岩塩の彫像もたっています。そこのおみやげです。

 さて、今日のみ言葉を見てみましょう。
「あなた方は地の塩である。だが塩に塩気が亡くなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」

 塩気が無くなればと訳されている言葉ですが、原文ではモランテェ 馬鹿になる という言葉が使われています。ラテン語ではエヴァヌエリト 力を失う と訳されています。
 役に立たなくなる・・・という意味でしょうか。

1.ユダヤの神殿では一日中犠牲として塩を捧げられていました。 
  レビ2の13には次のようにあります。
 「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。
  献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。」

  さらに民18の19では、次のように述べられています。

 「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる
  息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前にあって、
  あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。」  
  塩は神からの神聖な贈り物でした。

2.また、古代社会では塩は最もよく使われた腐敗を防止する防腐剤でもありました。 

3.さらに、パレスチナでは竈の下に瓦を敷き、その下に塩を厚く敷きました。
  保温のためです。でも、古くなると効果が薄れるため、新しいものと取り換えました。
  塩もその効果を失うことがあったのです。

「塩気が無くなれば」と訳されている言葉ですが、原文ではモランテェ 馬鹿になる という言葉が使われています。ラテン語ではエヴァヌエリト 力を失う と訳されています。 役に立たなくなる・・・という意味でしょうか。

 年を取ると同じことを繰り返し言って、また同じことを言っているよ・・といわれてしまうことが度々です。私もいつの間にかそのような年寄りに一人になりましたので、自分でもまた同じことを繰り返しているな・・と思うのですが、谷司教から聞いたこの話も、何回も繰り返し言っているように思います。

 彼は神学生になる前に社会人として働いていましたが、研究所にいたそうです。イースト菌の研究をしていたのでしょうか、彼は、或る時パンを焼くことになったそうです。何十キロもの粉を仕込んでパンを焼くことになり、大きな窯でそれを焼き上げました。焼き上がりはとてもうまくいって、さすがは谷君、うまく焼けたね、素晴らしい焼き上がりだ・・・と皆は彼を称賛しました。さあみんなで試食しようと皆がそれを食べたとたん、みんなの顔から微笑みが消えました。彼も食べてしまったと思ったそうです。塩を入れるのを忘れたということでした。売り物にならないので一窯分のパンが廃棄されたそうです。ご飯を炊くときは塩を入れませんが、パンを焼くときは必ず塩を入れます。

 ものに味を付ける ・・・のは、塩の、最大の最も特色ある性質です。
 → キリスト者は、人生に味をつけるものでなければならないのです。

 もう一つ、イエス様は「あなたがたは世の光である」・・・ともおっしゃいます。

 ご記憶にあると思いますが、東日本大震災の後、しばらくは計画停電が行われ、乾電池もロウソクもみな店頭から姿を消しました。
 セウイではロウソクを作っています。でも買った人は、「とてもきれいなロウソクですね、もったいないから家庭祭壇に飾っているんですよと」言います。でもどんなにきれいでもロウソクはともさなければ意味がありません。
 計画停電の時、家の中に飾られていたロウソクは、ようやく使ってもらえました。
そして、部屋を照らすためには、それはできるだけ高い所に置くのです。

 地の塩の話も世の光の話もともに弟子たちに語られていますが、注意すべきは、地の塩になりなさいといっていない、世の光となりなさいとも言っていないということです。
 イエスの後に従うことによって、今あるがままで、すでに私たちは地の塩であり世の光であるからそれをおもてにだしなさいというのです。それは信仰を隠さないこと、恥じないということではないでしょうか。

 イエス様は、あなた方はすでに、地の塩であり世の光である・・・そういわれました。そのことをこの一週間黙想してみましょう。