司祭の言葉 9/11

年間第24主日 ( ルカ15章1-32節)

 皆様お元気でしょうか、ホミリアをお送りいたします。
 今日のみ言葉には徴税人や罪人という言葉と、ファリサイ派の人々や律法学者たち・・という言葉が出てきます。
 徴税人や罪人はユダヤ社会の被差別民(アンタッチャブル)です。ユダヤ社会を理念と実践において支えているのは自分たちだと自負するパリサイ人や律法学者たちによって、その社会から排除されていた階層の人たちです。

 徴税人は下請けの徴税請負人で、徴税現場で「決まっているもの以上に取り立て」て、民衆から忌み嫌われていました。(ルカ3の13)市民としての当然の役職からも除外されて、法廷で証人として立つ資格も奪われていました。

 いっさいの市民権がはく奪されていたという点では、「罪人たち」も同じです。犯罪者だけではなく、品行的にいかがわしいと思われていた、高利貸し、ばくち打ち、遊女、羊飼いなども罪人とされました。

 ユダヤ人は本来遊牧民で、ダビデ王も羊飼いでしたし、旧約時代の羊飼いのイメージはよいものだったと思います。しかしイエス様の時代は違います。羊飼いは他人の土地に羊を追い込んで、他人の草を無断で食べさせたりする不届きものという考えが一般化していました。さらには、安息日にも仕事をする不敬な輩と考えられていたのです。

 他方、パリサイ人という呼び名は「分離した」を意味するヘブライ語から来ていて、自分たちは「世の汚れから分離されたもの」なのだと自負していました。そのようなかれらは、律法を守らない徴税人や罪人たちを「地の民」と軽蔑して呼び、そこには越えがたい壁がありました。
 パリサイ派の規約には、血の民には金を預けてはならず、何の証言をとってもならない。秘密を明かしてはならない。孤児の保護を頼んではならない。旅の道ずれになってはならないとあり、接触することを避けていたのです。そういう人の客となること、あるいは客とすることを禁じていたといいます。

 ですからイエス様が彼らと交わり、その客となるのを見て衝撃を受けたのです。彼らは、自分たちにとって当然と思える価値を、真っ向から否定する現実を目にしたのです。

 とくに、ユダヤ人にとって「共に食事をすること」は「神の前での大宴会」のイメージでした。出エジプト記はイスラエルの長老たちがシナイ山で「神を見て、食べ、また飲んだ」ことを、特別な恵みのしるしとして伝えています(出エジプト記24章11節)。
 地上で「共に食事をすること」は、この「神のもとでの宴とそこに集う共同体」を目に見える形で表すものと考えていましたので、自分たちだけが神の救いの食卓にあずかれると考えていたユダヤ人には、異邦人や罪人たちと食事を一緒にするなどということは、ありえないことだったのです。

 徴税人や罪人たちが白昼、同時に姿を現し、大勢でイエス様のもとに来るのを見ることも、信じられない出来事だったのです。
 そして、彼らがイエス様の話を聞こうとして集まってきた・・ということも、ありえないことが起こったと、驚きをもって受け止められたのでした。

 彼らには理解できないイエス様の行動に思わず「この人は罪びとたちを迎えて、食事まで一緒にしている」と、驚きと非難のまじりあった言葉が出てきました。

 それに答えてイエス様は、今日の譬えを語ったのです。
 そこに示されているのは、失われた羊とドラクマ銀貨の話を通じて、それらが見つかった時の喜びを例にとって、罪びとの悔い改めは、神の大いに喜びとすることなのだということでした。

 それはユダヤ人たちにとって、驚天動地の言葉でした。なぜなら、心の狭いパリサイ人たちは「罪びとが一人でも神のみ前で抹殺されるなら、天に喜びがある」とさえ語っていたからです。(バークレーのルカ福音書p222)

 ここで天と語られているのは神様のことです。感情を神に帰すべきではないとされていましたから、このような遠回しの言い方で、神をあらわしています。
 聖書学者のエレミアスは、ここは次のように訳すべきだと言い、パリサイ人たちに対するイエス様の弁明は、次のようなことだと語っています。

「このように、神は、どのような大きな罪を犯すことのなかった99人の立派な人々以上に、悔い改めた一人の罪びとのことを喜ばれるであろう」

「神の慈しみは限りなく、神の至上の喜びは赦すことにある。それゆえ、救い主としての私の使命は、サタンが奪ったものを取り上げ、迷い出たものを家に連れ帰ることである」・・と。