司祭の言葉 2/12

年間第6主日A年

 「わたしがきたのは律法や預言者を廃止するためではない。
 天地が消えうせるまで律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」

 イエス様のこの言葉を聞いて疑問に感じる方がおられたなら、チコちゃんに叱られないで済むかもしれません。なぜならイエス様は律法を大切にしない、安息日のおきてを守らない不敬な人物・・・として糾弾され、パリサイ人たちや律法学者たちから攻撃を受けていたのですから。

 律法・・この言葉はいくつかの意味があります。
 まず、モーセの律法、十戒を意味します。神がモーセに示された10の掟です。覚えておられる方がいらっしゃいますかね。忘れた・・なら、OKです。
一度は覚えたということですから。
知らない・・・それは勉強不足です。カトリック要理を勉強しなおしましょう。
 次に律法は、旧約聖書の最初の五つの書物、モーセ五書、これも言えますか?もちろん忘れたならOKです。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を指します。
 そして、律法と預言者 このことばで聖書全体を現しています。
 最後に口伝律法、祖先からの言い伝え、律法を解釈したもので、律法学者やパリサイ人は法則と規定の作成に心血を注いだのです。それらは3世紀に法典としてまとめられミシュナと呼ばれました。英語の本にすると800ページほどになるそうです。
 後世のユダヤ教の学者たちはミシュナの注解書を書き、それがタルムードと呼ばれています。

 イエス様の時代、律法学者やファリサイ人にとって、数千の法則規定を守ることが信仰でありました。そしてイエス様は彼らの言い伝え、法則、規定をたびたび破られましたから、イエス様が律法といわれたのは、これらの掟ではないことは確かです。

 あるとき、イエス様に律法の中でどの掟が大切かと尋ねた律法の専門家に、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、」これが最も重要な第一の掟である。
 第二もこれと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい」律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている」といわれました。
 神に対する愛と隣人に対する愛、神に対する畏敬の心と、隣人に対する尊敬の心・・・これらが律法の背景、十戒の背景になければならないのです。
 殺すなという掟の裏には、隣人を愛する、大切にする心があるのです。隣人の命、人の命を大切に思うなら殺してはいけないのです。ほかの掟も同様です。

 そしてローマ人の手紙の10章の4節でパウロは「キリストは律法の終わりとなられた」と述べています。(Finis enim legis Christus ad iusutitiam omni credenti) 新共同訳は「キリストは律法の目標であります」と訳しています。イエス様が下さった新しい掟に従い、「イエス様が私たちを愛したように、私たちも互いに愛し合う」 それが律法の目指すところだ・・ということではないでしょうか。
 イエス様の十字架の愛のうちに、律法の教えは完結しているのです。