司祭の言葉 11/27

待降節第1主日A年

 お早うございます。いよいよ待降節に入りました。待降節はキリスト誕生の祝日を準備すると同時に、キリスト再臨への備えもするようにと促す季節です。

 先週のワールドカップ日本対ドイツ戦をご覧になられましたか?私は心臓が弱いからハラハラドキドキはダメなんです。いてもたってもいられなくて。だから翌日のニュースを見てそのあと流れる映像を何度も見ました。
 その時、5チャンネルがサウナで観戦するお客さんの様子を映していましたが、「ずーっと入っているわけにはいかない、のぼせるから。」そう言って水風呂に入っていた方が出たときに、「いま日本の追加点が入りましたよ」といわれると、「ほんとですか、ほんとですか、本当に入ったんですか?」そういって、点を入れた場面を見逃したことを悔しがり、「取材を受けている場合じゃない、もう出ます。」そう答える場面がありました。見逃したのは本当に悔しかったでしょうね。

 このところテレビでは、次のような言葉を言う場面が放映されています。「皆さんご存じでしょうか、いざというとき、葬儀社を選ぶために残された時間は数時間だということを」葬儀社の宣伝ですね、今のうちにうちの葬儀社を選んで、備えておいてくださいという。

 今日のみ言葉は、イエス様が弟子たちに向かって「あなた方も用意しなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」と注意を促す場面です。イエス様は人々がごく平凡な日常の営みをしている時に、思いがけない形でその時が来るといいます。そして二人いれば一人は連れてゆかれるが、もう一人はこの世の混乱の中に取り残されるとかたります。連れてゆかれるというのはどこへでしょうか、一人は救われ神の国に入るが一人は滅ぶということでしょう。
 東日本大震災の時に、いつも「津波てんでこ」の言葉を口にしながら避難訓練をしていた小学生たちは、一人もかけることなく避難して助かり、石巻の奇跡といわれました。避難訓練をして備えていたから、訓練通りにすることによって大津波の時に助かったのです。

 「家の主人は泥棒がいつ頃やってくるかを知っていたら、目を覚ましていてみすみす自分の家に押し入らせはしないだろう」とイエス様は言います。
 ここで。「いつ頃」と訳されている言葉は、Φυλακη(フィラケー)という言葉です。ラテン語ではvigilia(夜警時間)といいますが、ローマでは、夜を4つの夜警の時間に区切り別々の班が夜警を担当しました。一つの夜警時間はおよそ3時間になります。ですからここは、夜の第1第2第3第4夜警時間の、どの夜警時間に来るかわかっていたら・・・という意味になります。
 また「押し入る」と訳されている言葉は、穴をあけるという意味の言葉で、「家に穴を開けて入らせはしない」というのが原文の意味です。当時の泥棒は家に穴を開けて侵入していたのでしょう。だとすれば、その家は穴をあけて入れるほど粗末な作りだったということになります。

 聖書学者バークレーが紹介している童話があります。
 見習いの弟子の悪魔たちに卒業試験として問題が出されます。彼らは悪魔の頭サタンに、人間を滅ぼす計画を出すのです。最初の弟子は「私は人間に、神はいないといいます」というと、サタンは、「そんなことでだますことはできない、神がいることはみんな知っている」と答えます。二番目の弟子は、「私は人間に、地獄はないというつもりです」と答えます。するとサタンは、「そんなことでだまされるものは誰もいない。罪に対して地獄があることはみな知っている」と答えます。すると三番目の弟子が「私は急ぐ必要はないといいましょう」といいます。するとサタンは「行きなさい、お前はたくさんの人たちを堕落させることが出来る」というのです。
 時間が十分にあると思うことは、最も危険な錯覚だ・・・ということでしょう。

 「あなた方も用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」・・この主イエスの言葉を、いつも心に刻んでおきましょう。