司祭の言葉 2/14

年間第6主日 マルコ1章40-45節

 「重い皮膚病」は、以前は「らい(病)」と訳されていましたが、1996年の「らい予防法」廃止後は「重い皮膚病」と訳されています。 この方々の苦しみは想像を絶するものでした。 (レビ13章45-46節には次のように記されています)。
 重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。

「宿営の外」は共同体から切り離された場所です。会堂に行き、ともに神を賛美することもできませんし、隣人とのかかわりも断たれます。肉体的な苦しみに加え、精神的にも追い込まれ、絶望的な状況に立たされます。
 (映画、ベン・ハーでは、母親と妹が思い皮膚病にかかり、宿営の外、深い谷底の洞窟の中で同じような病気の人たちと施しもので生活している場面が描かれています。
 イエズスマリアのみ心会の会員だったダミアン神父は、アメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島で、当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落としました。当時、患者たちは見つかるとすぐモロカイ島へ隔離され、そこで誰からも世話されずに亡くなっていくのが運命だったのです。)

 「深く憐れんで」(スプランクニゾマイ)は、「はらわたを揺さぶられる」という意味の言葉です。しかしながら、古い写本の中には「怒って」となっている写本もあるのです。
 書き写す際にわざわざ難しく書き換えることは考えにくいと言う理由で、本来「怒って」だったのではないか、と考える神学者もいるようです。イエスはラザロが死んで墓に行く途中「憤った」と述べられています。
 イエスはこの世に存在する悪とその働きに対して、強い怒りを覚えたのです。
 イエスは目の前の苦しむ人との出会いの中で心を揺さぶられ、その人を助けます。

 主はまたモーセに言われた、
 「らい病人が清い者とされる時のおきては次のとおりである。すなわち、その人を祭司のもとに連れて行き、祭司は宿営の外に出て行って、その人を見、もしらい病の患部がいえているならば、(中略)清められる者はその衣服を洗い、毛をことごとくそり落し、水に身をすすいで清くなり、その後、宿営にはいることができる。(レビ記14章)
 「祭司に体を見せる」ことは社会復帰のための条件でした。肉体的にいやされても、祭司によって清いと宣言されなければ、もといた村や家族のところに帰ることはできないのです。
 司祭に見せるようにと言われたイエスは、ただ単に彼の肉体的な病をいやすだけでなく、彼が社会との絆(きずな)を取り戻すように、背中を押したと言うことが出来ます。

 イエスは絆を取り戻すために来ました。神と人々との間の失われた絆を取り戻すために。人間と自然との絆、調和を取り戻すために。イエスの十字架による贖いは、まさにそのためでした。
 話はちょっと飛びますが、先週2/7のNHKスペシャル「飽食の悪夢」はショッキングでした。飽食の結果、水と食料の危機(クライシス)が迫っていると言うのです。あと10年が残された時間で、この間に自然との調和を取り戻さないと、取り返しがつかなくなると。その前に持続可能なシステムを探し出す必要があるというのです。
そのためには、健康にも地球環境にも理想的な食事の仕方、プラネタリーヘルスダイエットを推進して、飢える人を無くす必要があると述べていました。
大豆で作った人造肉は、同じ量の牛肉に比べ、水を90%土地の93%エネルギーの50%を削減でき、温室効果ガスを89%減少するとも述べていました。

 イエスの弟子である私たちは、この地球の調和のために、イエスが命を懸けて贖った世界が滅びないように、力を尽くすことが求められていると思います。

司祭の言葉2020/5月〜12月

司祭の言葉 2/7

年間第五主日(B)

 ペトロの姑の癒しの話です。でも、ペトロの奥さんは出てこないのですね。もてなしたのは姑だけではないと思うのですが。何故でしょう。
 イエスによる癒しののち、姑はすぐにもてなし始めます。そこのところを強調したいのではないでしょうか。このもてなしが姑の感謝の心としてのもてなし、奉仕となって示されるのです。姑の喜びと感謝の心が感じられます。そしてこの出来事でイエスの評判は広がってゆきます。

 「もてなす」はギリシア語で「ディアコノーdiakono」といい、「食卓で給仕する」ことを表します。たとえば、 畑から帰った僕は主人のために「給仕する」(ルカ17:8)、目を覚ましていた僕たちに主人が「給仕する」(ルカ12:37)ここにディアコノーが使われています。
 さらには食卓だけでなく、あらゆる奉仕を表し、「仕える」の意味にもなります。たとえば、 悪魔からの試みを受けるイエスに「仕える」のは天使たちです(マコ1:13)し、ガリラヤの婦人たちもイエスに「仕える」人となります(マタ27:55)。
 また、十字架を含むイエスの全活動を表す用例としても、ディアコノ―が使われています。 
「仕えられる」ためではなく「仕える」ために来たイエスは、多くの人の身代金として自分の命をささげます(マコ10:45)。

 ディアコノーと言う言葉から教会の職務の一つであるディアコノス(助祭)が生まれます。使徒言行録の中で、日々の分配のことで教会内に苦情が出た時、食卓の世話をするために7人が選出され、それが教会で助祭と言う職務になります。東方教会では輔祭、聖公会ではデーコン(執事)と呼ばれています。(デーコンと言うと私は大根を思い起こしてしまします。福島で子供のころ大根をデーコンと言っていたように思います。)

 第二ヴァティカン公会議以前は、助祭は司祭への通過点になっていましたが、さいたま教区のように現在は助祭として固有の職務を再確認する方向に進み、司祭には叙階されず、既婚者もなりうる終身助祭(parmanent deacon)の制度が復活しました。
 現在助祭は男性に限られていますが、40歳以上の独身女性の叙階を認めるなどの例が教会の歴史においては見られます。(カルケドン公会議)それで、今後は女性の助祭職も検討してほしいと言う声もあります。

 イエスから癒しを受けたペトロの姑は「もてなす=仕える」人となりました。その後は聖書には述べられていませんが、イエスの弟子となり、イエスのように「愛と奉仕に生きる人」になっていったと考える神学者もいます。イエスに奉仕した多くの女性の中の一人となったかもしれません。イエスのいやしを体験することによって、その人の生き方が変わったと。

 私たちもイエスとの出会いによって心の癒しを受けています。そして生き方も変わってきているのではないでしょうか。

 それからもう一つ、「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」とあります。原文では普通の「話す」という言葉が使われていますが、「もの言う」は中々良い訳と言えるかもしれません。これについては次のような解釈があるからです。例えば、「肩書きがものを言う」という表現が日本語にはありますが、「ものを言う」は「悪霊が力をふるう」ことと同じだったと考えられる・・・と言うのです。イエスはそれを許さないのです。

 オレオレ詐欺にあってしまう人は、電話で相手と話してしまい、相手の巧妙な話術にはまって、信じてしまうのだと言います。一番いいのは相手に話させないことです。そのためには直接話さないで、録音するのがいいと言います。悪に引き込むような話題にも耳を貸さず、相手に話させないのが一番の防御法かもしれません。

司祭の言葉 1/31

年間第4主日 (マルコ1章21-28節) 

 皆様いかがお過ごしでしょうか。なかなかコロナの勢いが収まりませんね。司教団が「政府の緊急事態宣言が出された場合は、会衆参加のミサを中止する」と決めていますので、ミサの中止期間は流動的です。どうぞ、しばらくの間、自宅でのお祈りをお続けください。

 福音にあるカファルナウムは、ガリラヤ湖の北西岸にある町です。ユダヤ人の町には必ず会堂があります。そこは礼拝の場であると同時の教育の場でもありました。会堂には会堂司がいます。会堂の維持管理や聖書の朗読ヶ所の選定をし、礼拝を司会し、また聖書朗読者を指名し、有能な説教者を指名することが役目です。そして、説教するために、特別な資格もありませんでした。

 「律法学者のようにではなく、権威ある者として」教えたとあります。
律法学者は、師から弟子に口伝えに教えられたトーラーやタルムード(口伝律法)を解説して人々を指導しました。モーセにさかのぼりながら、私の先生の教えはこのようなものだった・・・と言う教え方で権威付けをしていました。
 一方、イエスのメッセージは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1章15節)というものでした。 そして、Amen Amen dico vobis 真に真に私は言う・・と言いながら教えたのです。 それは、全く新しい教え方でした。そこに人々は驚いたのです。

 「汚(けが)れた霊」 「霊」はヘブライ語で「ルーアッハ」といい、ギリシア語で「プネウマ」といいます。もともとは「息」や「風」を意味する言葉ですが、古代の人々は人間の力を超えた、目に見えない大きな力を感じたときには、それをルーアッハとかプネウマと呼びました。その力が神から来るものであれば「聖霊」であり、神に反する悪い力であれば「悪霊」を意味します。 病気はこの悪霊のなせる業と考えられ、重度の精神障害者のように、まわりのひとと意思疎通が出来なくなる場合、「悪霊に取りつかれている」と考えました。聖霊が「神と人、人と人とを結びつける力」だとすれば、悪霊は「神と人、人と人との関係を断ち切る力」だと言うことができます。

 古代の頭蓋骨に小さな穴が開いているのが見つかっています。・・・手術のためと考えると小さすぎますので、悪霊を逃がすためだったと考えられています。古代の人にとって「汚れた霊=悪霊」は身近なものでした。人間の理解や力を超えるものがあふれていたのです。

 あるとき、一本の電話がかかってきました。フィリピンから来たダンサーたちが亡霊におびえ、怖がって部屋から出ない、「口々に亡霊が出る、聖水で追い払ってほしいと言っている」と言うのです。行ってみると狭い8畳ほどの部屋に10人ほどが固まって震えていました。聖水で部屋を祝福すると、皆安心して仕事に行きました。

 一人のスチュワーデス希望の女性がいました。学科は通るが面接になると体がこわばって何もいえなくなります。前年もその前の年もそうでした。「悪霊が取り付いていると思うので払ってほしい」と言ってきました。教会では叙階の段階の一つに、祓魔師という段階がありました。悪霊を祓う職務です。儀式書の祓魔の祈りをしました。そしてその年、体がこわばることなく合格できたと感謝に来ました。

 色々な障碍があります。障害によっては、話しをしていても話題がくるくる変わり、脈絡のない話になることがあります。古い言い方をすれば、時々この相手は、何か付き物があってこんな行動に出ているのではないかと、疑いたくなるときがあります。
 セウイに一人の方が入居していました  ・・・仮称 鈴木さん
20歳過ぎに発病し30年入院していました 歳は50ほど。中学生の特はピッチャーで背番号1 高校ではファースト。 彼の時間はそこで止まっています。 調子の良い時は対話が通じますが 調子が悪い時は自分の世界に入ってしまいます。野球のブロックサインをしたりしながらの独り言。 まわりが注意しても耳に入りません うるさく、みんなから向こうに行ってといわれるほどでした。 世話人さんが 大きい声で 「黙れ!! 監督の云う事を聞きなさい。ピッチャー背番号1 鈴木君!」と言うと はっと我に返り、ニヤリとします。 そして対話が出来るようになります。

 因果関係に対する認識がなかったイエスの時代、病気とか障害という最初に生じた状態が、イエスのいやしによって治癒されたという最後に生じた状態を見ると、あたかもそれが一足飛びに起こった現象のように見え、驚嘆してしまったのかもしれません。

 間もなく東日本大震災から10年になりますが、この間、絆と言う言葉が、震災から立ち上がるための合言葉になってきました。互いに助け合い協力し合って、その結びつきを強くしてきました。
 しかし一方で、競争社会の中で、一人一人が孤立し、大きな精神的重圧がのしかかるのを払いのけようとして、それがついには暴力となって爆発してしまう・・・そのような方がたくさんいます。わたしたちも、そのような、一人の人間ではどうすることもできないような、得体の知れない「力」を感じることがあるのではないでしょうか。
 それでも私たちはイエスの弟子として、そのような方々へ手を差し伸べることを忘れないようにしたいと思います。

司祭の言葉 1/24

年間第3主日B年

 時満ちて・・・私の好きな言葉です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 ガリラヤに響いた、イエスの第一声です。 
 時が満ちた・・・どういうことでしょうか。ギリシャ語には時を表す言葉にクロノスという言葉とカイロスという言葉があります。時計の針が回ってゆく時間、流れゆく時間はクロノスという言葉が使われますが、ここに使われているのはカイロスという言葉です。いろいろな出来事としての時間でしょうか、節目とでも言うべき時間です。

 イエスはバプテスマのヨハネがヨルダン川で洗礼を授けていると言うことを知り、ご自分のナザレを離れる時(カイロス)が来たことを知ってヨルダン川に行きました。イエスはそこで洗礼を受けましたが、それは民衆と心を一つにする時(カイロス)でありました。そして荒野での試練の時(カイロス)を経て、バプテスマのヨハネの投獄の時(カイロス)を知り、ご自分の宣教の時(カイロス)が来たと知って、「時が満ちた」とおっしゃったのです。それは旧約からの積み重ねられた時です。
 同じ言葉を、パウロはガラテヤ人の手紙の中で使っています。
 「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれたものとしてお遣しになりました。」と。

 先日、「ノア約束の船」という映画をビデオで見ました。10年という歳月をかけて箱船を作ったノアは、雨が降り始め、箱船を奪いに来る群衆から逃れ箱船に戻る途中、息子ハムが助けようとした少女を見殺しにします。洪水が起こって助けを求める人々の悲痛な叫び声にも耳をふさぎます。自分の使命は動物や植物を守ることで、自分の家族も箱船に乗りますが、やがては子孫を残さずに死に絶えてゆく運命であると理解しているからです。神は不遜な人間を滅ぼし動物と植物だけの世界をつくろうとしている・・そう信じていたのです。家族以外に、一人の殺されかけて子供の産めなくなった少女が加わりますが、この少女はノアの父と出会って祝福を受け、子供が産めるようになります。そしてセムと愛し合うようになり妊娠します。それを知ったノアは「男の子なら生かすが女の子なら殺す」と言います。そして生まれたのは双子の女の子でした。ノアは殺そうとし、母親は「今は泣いているから殺すのは泣き止んでからにしてほしい」と嘆願します。やがて子供は泣き止み、ノアはナイフを振りかざしますが殺せませんでした。船は陸に漂着し、動物は皆下ろされノアも上陸しますが、ノアは家族から離れて酒浸りになります。そこに双子の母親が近づき、「ノアが殺そうとしたとき神は沈黙しておられた。それは人間が生かすに値するかどうかを見るためではなかったのか。ノアは慈悲と愛を選んだ」といいます。ノアは、「あのとき自分の心の中には子供たちへの愛しかなかった」そう言って、神は自分を試されたのだと悟り家族の元に戻ってゆくのです。洪水のカイロス、少女との出会いのカイロス、孫の誕生のカイロス、殺そうとして出来なかったカイロス、それぞれの時はカイロスとしての節目の時でした。その積み重なりの中で、救いの歴史の時が積み重ねられてきます。

 かつてダビデの王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、北はアッシリア帝国に滅ぼされ、南はバビロン帝国に滅ぼされました。このとき人々は近隣諸国に散ってユダヤ人町をつくります。これも一つのカイロスです。そしてアレキサンダー大王が世界を征服し、ギリシャ語が公用語となったという出来事、これもカイロス。さらにはヘブライ語が読めなくなったユダヤ人町からの要望で旧約聖書がギリシャ語の翻訳されたこと、またローマ帝国によって世界に通じる主要道路が舗装されたこと、その軍事力を背景にパックスロマーナと言われた平和が訪れ、安全に旅することが出来るようになった事など、それらも大切な節目としてのカイロスでした。ギリシャ語で書かれた福音は、ローマの道を通って各国に伝えられていったのです。

 神はこのような長い歴史のカイロス、時を重ねて、ちょうどすべての条件と準備が整ったときに、イエスを送り救いの歴史を完成してくださった・・その事に思いをはせ、思いを巡らしてみましょう。 神に感謝。 

司祭の言葉 1/17

年間第2主日B年

 さて、今日の福音ですが、一章のヨハネの証の部分から続いています。括弧して〔そのとき〕とありますが、原文では「その翌日」とあります。何の翌日かと言いますと、イエスが洗礼を受けた翌日ヨハネは向こうを往くイエスを見て弟子たちに「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」とのべています。今日の話はその翌日、つまりイエスの洗礼から三日目の話として述べられているのです。この日も歩いているイエスを見て一緒にいた二人の弟子に再び「見よ、神の小羊だ」というのです。そしてこれを聞いた二人の弟子、ヨハネとアンデレはイエスの傍に行くことになります。

 イスラエルの民のエジプト脱出の夜、エジプト中の長子の命が断たれましたが、小羊を屠りその血を家の鴨居に塗ったイスラエルの家では長子の命が保たれました。小羊が身代わりとなったからです。この時以来は毎年過ぎ越し祭で小羊を屠ってこれを記念するとともに、毎日人々の罪の赦しを願って子羊が屠られてきました。洗礼者ヨハネの「神の小羊」と言う言葉には、イエスが生贄となってイスラエルを贖うという思いが込められています。ヨハネは自分の栄光を求めるのではなく弟子たちにイエスを指し示し、イエスのもとに行く様に仕向けたのです。他の弟子たちはイエスのもとに行く人々を見てねたみますが、ヨハネはそれが自分の使命であると語ります。ヨハネは自分の役割を深く自覚していたのです。
 多くの場合人は自分の限界を認めたくなくて、人をねたみます。私も妬み心が人一倍強いと思います。サッカーなどスポーツの試合を落ち着いて見ていられないのも、ハラハラドキドキするのが苦手と言う気の弱さだけではなく、妬み心のせいかもしれません。自分にその能力のないことをまざまざと見せつけられますから。

 さて、この後もいくつかの黙想ポイントがあります。
内気なため正面切ってイエスに近づく事が出来なかったふたりの弟子に、イエスから彼らに歩み寄られっました。 人間の心が真理を求めはじめる時、主はわたしたちの元に来て下さいます。何を求めているのか・・・と。
 ヨハネの弟子達の返答は直接答になっていません。 「どこに滞在しておられますか・・」
 彼らがのぞんでいたのは、イエスと歩きながら話す事だけではなかったのです。それでは、イエスと知り合い、ただ言葉を交わすだけで終わってしまいますから、泊まって、自分達の悩みや問題をイエスに聞いてもらいたいと望んでいたのでしょう。

 38-39節にある3回の「泊まる」はギリシア語では「メノーmeno」という言葉が使れていますが、この言葉はヨハネ福音書の中で大切な使われ方をしているといいます。
 ヨハネ15章には「 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。・・・ わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」とありますが、ここで「つながっている」と訳されているのは「メノー」です。
 「メノー」は父とイエス、イエスとわたしたちの深い結びつきを表す特別な言葉です。「どこに泊まっておられますか」は、単に滞在先をたずねているだけでなく、「あなたはいったいどういう方ですか。神とどのような関係にあるのですか」という問いでもあるのです。

 父なる神にイエスが留まり、そのイエスに弟子達が留まる事によって、かれらのあたらしいあゆみがはじまります。

 思えば神学生の頃 北側の部屋で遅くまで議論し飲み明かしました。司祭となって長江司教さんともよく飲みました。第二バチカン公会議の動向を学びながら夜中まで・・。修道士さんがのぞきに来て司教さんを見てあわてて引っ込んだこともありました。夜を徹して教会の現状について、未来について議論を戦わしました。今でも残る強い印象です。仲間が一人また一人と天に召され、今ではその時のような情熱も根気もなくなってしまっているのが寂しいですね。

「午後四時ごろのことである」という言葉は、日没に近いあかね色の日差しの中でイエスと初めて出会った、忘れ得ない強い感動を伝えようとしているのかもしれません。

司祭の言葉 1/10

主の洗礼

 主の洗礼の祝日が来るといつも思い出す出来事があります。
 ちょうど今から22年前の1月10日も主の洗礼の祝日でした。その4日前6日に、杉戸の施設セウイホームでは一つの洗礼がありました。50歳近くになる女性ですが、4日に酒を飲み過ぎて杉戸の東埼玉病院へ救急車で運ばれる騒ぎがあり、一日おいて6日に会社へ出勤しましたが酒が入っていたので帰されると、途中でまた酒を飲み泥酔、再び救急車の世話になり、酔いが醒めて病院から帰る途中また飲んで、再び同じ救急車の世話になりました。でも病院がどこも拒絶して、越谷警察署がホームへ送り届けてくれました。コートを脱がせようとするが脱ぎません。実はポケットにワンカップを入れていたのです。言うことを聞かないので、風呂場でバケツの水を頭から。続いてもう一杯。そしてもう一杯。
 洗礼は手のひらで三回ですが。彼女はバケツで3杯。しかし、洗礼を受けたいという希望がなかったので、この洗礼は無効です。酒の洗礼なら受けたいと思っていたかもしれません。

 さて今日の福音ですが、イエスは30歳でバプテスマのヨハネの噂を聞き、ヨハネの元に出かけました。そして洗礼を受けたのですが、一つの疑問が生じます。何故罪のないイエスが悔い改めの呼びかけの洗礼を受けたのか・・・ということです。
 神学者たちの答えはこうです。ユダヤ人はこれまでユダヤ教への回心者のためにはその儀式として洗礼を授けたのですが、自分たちが洗礼をうけることはありませんでした。しかしこのとき人々の心は神の介入に対して準備しようとして、回心に動いていました。イエスはその心に同調して洗礼を受けられたと思われます。人々の悲しみを身に負い、共に神を探し求められた主は、そこに神の意志をみたのです。
 洗礼はイエスが人々と心を一つにし、人間とご自分を等しくされるための行いだったと考えられます。そのことを神は正しいと認められ応えられたのが、「あなたは私の愛する子、私の心にかなうもの」という言葉です。
 私たちにはいろいろな色々な出合いがあります。その出合いのなかで、求めるものは神のこたえ(恵)をみつけ、心をとざすものはチャンスを失います。
 イエスはヨハネのもとにゆくことによって「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」という神の応えを得ました。
 私達も今日、神の声をきいたら神に心を閉さ無いようにしましょう。

イエスは群衆の中に身を置こうとしました。神の子はそれほどまでして、私たちと一つになり語りかけたかったのだと思います。イエスの洗礼は、罪の重荷のため悩む私たちの元に身を置くための行為でした。
 イエス様は神様のプレゼントです。  昨日片付けましたが、馬小屋のようなクリスマスの飾りではありません。飾りは、必要なときに出して、普段はしまっておきますが、イエス様はいつも私たちのそばにいることを望まれるのです。
 イエスの洗礼の意味を問いながら、イエスの思いを黙想しましょう。

司祭の言葉 2021/1/3

主の公現 (マタイ2章1-12節)

博士たちの礼拝

 今日は主の公現の祝日です。今週いっぱいキリストの誕生を祝います。本来は1月6日ですが、平日に祝うことの難しい日本では1月2日から8日までの間の主日に祝われます。 「公現」はギリシア語で「エピファネイア」、「輝き出る」と言う意味です。イエスが神の子キリストとしてユダヤ人以外に現されたことを記念します。
 博士たちが贈り物をしたことから、フランスやイタリアまたメキシコなどでは、この日にクリスマスのプレゼントをするそうです。

 「占星術の学者」はギリシア語では「マゴスmagos」です。メディア(今のイラン)の一部族であり、祭司階級だった「マギ」に属する人の意味で、哲学、薬学、自然科学に秀で占いをし 夢を解いていました。マギの見た星については、いろんな説があります、
① BC11年頃 ハレー彗星が長い尾を引て空に現れた。 
② BC7年には、土星と木星が接近して強い光を放った 
③ BC5年には異常な天体現象が見られた・・・などです。
マギが見たのはどれかわかりませんが、天体を見るのを専門としていた人達は、空が明るく光ったのを見て王がこの世に生まれたのを知りました。戸籍調査は14年ごとに行われており、紀元20年から270年までに行われた調査については記録が残っています。シリアでも行われていたとするとこの個所にある調査は紀元前8年に行われていたことになります。このことと照らし合わせますと誕生前の出来事、BC11年のハレー彗星の線が有力になります。
 人々は時にその生涯をかけて真実の探求にのぞみます。ナイルの源流をさぐって未だ発掘されていない王の墓を探し、邪馬台国の場所を求め、考古学者の研究はカッパドキアの地下に一万数千人が生活できる都市が見つけ、クフ王の墓に巨大な隠し部屋があることぉ突き止めています。マギ達は長い間救い主誕生の時を、天体の運行を見ながら待ち望んでいたと思われます。

 ヘロデは紀元前37~前4年、王としてパレスチナを支配しました。ローマ帝国からユダヤの王として認められていたヘロデですが、純粋なユダヤ人ではなくイドマヤ人の血を引いていたので、ユダヤ人からは正当な王と認められていませんでした。そこで「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の知らせを聞いたときに自分の地位を脅かす存在と感じて不安になったのです。
 学者たちが幼子を訪問したこの出来事は、イエスによってもたらされた救いが民族の壁を越えてすべての人にもたらされる、ということを示しています。
「黄金、乳香、没薬」にそれぞれシンボリックな意味を見ることもできます。
 黄金は王の権力、乳香は神へ捧げもの、没薬は葬りに使われることからイエスの十字架上の詩の暗示・・などです。
 選民の準備は4000年でしたが、公の到来の式は異邦人によって行われました。
 贈り物について、聖アンブロジオは (374年没ミラノ司教)

「神は我々が彼に与えるものよりも、自分のためにとっておいて、捨てきれない物の方に気をつけておられる」・・・といいます。
 私はこの聖アンブロジオの言葉に戦慄します。

司祭の言葉 12/27

聖家族(ルカ2章22-40節)

主の奉献

 わたくしの好きなテレビ番組に「ドクターX」があります。マイペースな大門みち子のセリフが痛快でした。「論文の手伝いいたしません。院長回診のお伴いたしません。医師の免許がなくてもできる仕事は致しません。」
 司祭は何というべきでしょうか。 「司祭の免許がなくてもできる仕事は致しません・・」ですか? そうすると一日中ほとんど何もしないことになります。司祭しかできないことは何か。七つの秘跡のうち、堅信、聖体、ゆるしの秘跡、病者の塗油の4つですね。 叙階は司教様 洗礼と婚姻は司祭に限りませんから。もっとふさわしい方がいらっしゃいますが、それでも、ミサの説教は司祭の仕事ですね。  

 さて今日の福音です。旧約聖書には出産についての規定がありました。
「妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚(けが)れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない」(レビ記12章2-4節)。
 ですから、「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」とは誕生から40日後ということです。

  このいけにえは本来「一歳の雄羊一匹」と「家鳩または山鳩一羽」です。でも、「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合」として鳩だけのいけにえが認めていました(12章8節)。この生贄はどのような意味を持つのでしょうか。
 出エジプト記13章11節から16節までに、贖いの規定がありました。これも読んで見ましょう。
 主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。』あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」
 申命記6章のシェマー同様に「あなたはこの言葉を腕につけてしるしとし、額につけて覚えとしなさい」・・・と、あります。忘れてはならない最重要な事柄なのです。

 最初に胎を開くものはすべて犠牲として主に捧げられるべきものなのです。それを神から買い取る行為が贖いです。鳩を生贄としてあがなわれたイエスは、今度は自分を生贄として私たちを購うことになります。

司祭の言葉 12/20

待降節第四主日B年 2020.12.20

マリアのフィアット

 主の降誕を間近に迎えた今日のみ言葉は、マリアへのお告げです。マリアはこの時喜んだのでしょうか。皆さんはどう思っておられましたか?
 マリアは心底困惑したと思います。フランスの宗教史家ダニエル・ロップス著(1901~1965)「イエス時代の日常生活」はこう記します。「イスラエルは早婚であった。男は18歳が結婚に最適であると考えた。娘は早く結婚させられた。律法によれば12歳半が適齢であった。童貞マリアがキリストを生んだときは、かろうじて14歳の少女であったに違いない。」婚約者によらない妊娠・・それが神の業であっても、ユダヤ人社会の厳しい道徳律がありました。石打の刑です。「姦淫の罪を認められた婚約者は、妻のごとく投石された」とダニエル・ロップスは記しています。
 マリアは(なれかし)と答えました。命の危険を覚悟してのことだと思います。

 信仰が人間を否応なしに困惑する事態に直面させることがあります。人間の弱い心はそれを嘆かずにはおれません。遠藤周作の短編 最後の殉教者に登場する 浦上中野郷の喜助は、象のように大きいからだですが、しかし無類の臆病者です。 蛇をみても飛び上がりますし、悪ガキから一物を見せろと言われても堪忍してつかわさい、堪忍してつかわさいと平謝りするだけです。同じ仲間の伸三郎はそれを見ていて、ゼズスさまを裏切るユダのようになるかもしれないと危惧します。
 1867年の夏 浦上四番崩れで提灯を掲げた取り方が包囲、捕らえられた時、取り方が両手両足 首、胸に縄をかけ、一か所にくくると、「かんにんしてつかわさい 」とくりかえしころびます。しかし、のちに、捉えられた仲間を見て津和野の仲間のもとに戻るのです。その時、甚三郎は「くるしければころんでええんじゃぞ お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは喜んでおられる」と叫びます。

 塚という石碑があります。青面金剛と三猿を彫った石で、青面金剛の身は青く、目は赤く身に蛇をまとい足下に二匹の鬼を踏みつけています。肺病を除く鬼で、神道では猿田彦・天孫降臨の道案内です。 鼻が高く神社の祭礼では天狗の面をかぶり矛を持っています。 渡良瀬遊水地の近くにある庚申塚の像は、ミトラのような被り物をかぶり、手に持つ錫杖の上部は十字架になっています。
 庚申講はあやしまれずに集まって祈ることのできるひとときでしたので、隠れキリシタンによって利用されたといいます。この庚申塚を彫ったキリシタンは、どのような思いで石を刻み、それを野辺において祈ったのでしょうか。露見したときのことを思わなかったか、どのように子孫に伝えようとしたか、など考えてみます。

 神を信じることが生命の危険を伴った、神の命をいただくことがこの世の生命と引き替えだった時代がありました。 
 でも、神の力はただ人間を困惑に陥れて終わるのではありません。  窮状を乗り越えさせ「さいわいなるかな」との声を上げさせることが起こるのが、教会なのです。そして、マリアの命がけの(お言葉通りになりますように)によって、かみの言葉は肉となったのです。