司祭の言葉 10/17

年間29主日B年

 歴史を振り返れば、有名な専制君主は古今東西を問わず、圧政によって支配してきました。そして今なお、多くの国で、権力はまさに力と暴力によって行使されています。
 現在のミャンマーも香港も民衆の願いは、力によって封じ込められてきました。アフガニスタンも武力が支配し、民衆の自由は封じ込められています。
 2019年末で紛争や迫害により故郷を追われた人の数は7950万人となり、97人に一人となっているとのことです。

今日のパンフレット(聖書と典礼)の下の説明に、三回目の受難予告に続く箇所・・・とあります。イエス様はこれまで弟子達に、ご自分の生命が犠牲として捧げられるもの、であることを三度告げました。受難の予告です。しかし三度とも、この世の権力を夢見ていた弟子達には、イエス様の言わんとするところが理解できませんでした。

 戦の前に恩賞を約束し、配下の戦意を高揚させるのは指揮官の常套手段なので、彼らは「世の常にならって、わたしたちにも恩賞を約束して下さい」と願ったと思われます。

 イエス様の答は「あなたがたは、自分が何を願っているかわかっていない。このわたしが飲む杯をのみ、このわたしがうける洗礼を受けることが出来るか」というものでした。

イエスの栄光にあずかるためなら、彼らはどのような苦しみにも耐える覚悟ができていたのでしょう。二人の弟子は39節で「できます」と答えます。

「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」とおっしゃいましたが、イエス様は報いとしての地位を彼らに約束しませんでした。そして「定められた人々にゆるされる」とおっしゃいました。「神がお決めになることだ」という意味で、それはあなたにもわたしにも関係ない、と言うのです。

(ヨハネの最期は聖書に伝えられていませんが、ヤコブは後に殉教したと伝えられています  使徒言行録12・1-2)。

 他の10人は腹を立てます。自分たちも同じようなことを考えているのに、ヤコブとヨハネに先を越されたからです。 そうでなければ腹を立てる必要はありません。

 そこでイエス様は弟子達を呼び集め、他者に愛をもって使えるという教えを再度たたき込みました。 「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た。」

 しかし、神の国での権能は、他者が必要としていることに、謙遜に仕えることで行使されます。イエス様は夜遅くまで様々な病気を癒したり、長時間群衆に教えたり、町から町へ福音を宣教して歩いたり、人々の悩みに耳を傾けたり、と言った模範を示しました。

 イエス様は報酬を求めず、分け隔てをせず、何も要求しませんでした。イエス様は他者のために存在する人として生きました。そして弟子達の足を、自分を裏切る事となる者の足をも洗うことで、弟子達に、仕えると言うことの最高の模範を示す日がやがてやってくるのです。

 幸い教会ではこのイエス様の教えを生きようとする信者さん達の姿を多く目にします。
大学の校長であった人でも、病院の理事長であった人でも献金を勘定し、身分の隔てなく全ての人が謙虚に教会活動に奉仕しています・・・。そしてその気になれば、家庭、職場、学校、その他何処ででも、わたしたちも、仕えるキリストの姿に倣うことが出来ます。そしてそれがキリスト教信仰の奥義であるとおもいます。

司祭の言葉 10/10

年間第28主日(B年)(マルコ10.17~27)

 「神父さん、司祭たちの老後はどうなっていますか?」・・時々そのような質問が来ます。今は子供を神学校に行かせるにも、親はそのような心配をします。 
 わたしが神学校に行こうとした当時は、親はそのような心配よりも、「わが子が途中で挫折して戻ってくるのではないか」ということを心配していました。また、貧しかったにもかかわらず、お金の心配もしていなかったようです。当時は「老後の生活」なんて、発想もできなかったのでしょう。それゆえにお金への執着もなかったのではないかと思います。  

 勿論、お金がどれだけあるかによって、生活設計を立てているのが現実です。司祭にも自分の将来は信者さんに迷惑をかけないように、責任を持たなくてはいけないと言う考えがありますから、どうしてもお金の問題は避けて通れません。「お金の心配をしない・・それでいいのだ」という声と、「それじゃいけない」という声が交錯します。

 今日の福音に登場する青年は、なんと真剣なんだろう、と思います。「永遠の生命を得るためにどうしたらよいのですか」この質問に善良な青年の姿を感じます。
 この質問に対して、イエスさまは「おきてを守りなさい」といわれます。「殺すな。姦通するな。盗むな。偽証するな。欺きとるな。父母を敬え」と。十戒の初めの神に関する三つの掟を除いた項目で、人との関係性を示す掟の部分です。これで、永遠の生命に入ることができるといわれます。
 言い換えれば、神を知らない人も救われるという教えが述べられています。周りを見渡せば、親族友人の中でも、神を知る機会もなく、命を神に返す人がほとんどですから、大きな慰めです。

 青年が(マタイでは青年と言っています)その全てを守りましたと答えると、イエス様は一つだけかけていることがあると指摘し、「財産を売って貧しい人達に与えなさい」と教えてから「さあ、わたしに従いなさい」と招きます。

 イエス様は、永遠のいのちを相続するために十戒では不十分であるから、施しという新しい掟を加えたのではありません。むしろ、十戒はほどこしをもふくんでいるのですが、掟を守ることに懸命な青年の視野には隣人の姿が入らない。しかし、十戒は人が隣人と共に生きるために与えられた神の指示です。
 イエス様にとって隣人とのかかわりを欠いた十戒は無意味なのです。
パウロも、「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」そのほかどんな掟があっても「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます(ロマ13の9)と述べて、イエス様の考えを受け継いでいます。十戒を真に生きる者は、施す者になるのです。

 ただし、だからと言ってイエス様の呼びかけに応えられない自分はダメだと決めつけるべきではありません。 「慈しんで」(agapao」)という言葉には、イエス様の深い愛が感じられます。
 イエス様はすべての人に、このような強い要求をしているわけでもありません。
ルカ19章1-10節に徴税人の頭(かしら)で金持ちであったザアカイの物語があります。ザアカイはイエス様に出会い、救いを受け取ったとき、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。 イエス様はザアカイのこの決意を良しとしています。

 なぜ、きょうの箇所ではすべてを捨てて、貧しい人に施す、ということが要求されているのでしょうか?

 イエス様はこの男に「あなたに欠けているものが一つある」(21節)と言います。それはこの人の生き方の問題に気づかせるためだったのではないでしょうか。
 イエス様の言葉を聞いて、彼は「悲しみながら立ち去り」ました。
 こうして、彼が「自分の財産」に全面的に頼りきっていたことが明らかになってしまうのです。 そしてこのことは、私達みなが絶えず反省すべき事だと思います。

 私もあまりに金に頼りすぎてはいないでしょうか。 あなたの心は私のうちにない・・そうイエス様はおっしゃって、嘆いているかもしれません。
 イエス様の言葉です。「あなたの宝のある所にあなたの心もある」(マタイ6の21)

司祭の言葉 10/3

 年間第27主日B年 (マルコ10章2-16節)

 ようやく今日から公開ミサ再開です。ともに聖体祭儀の出来ることを感謝したいと思います。そして引き続き主の哀れみを願ってともに祈りたいと思います。

 熟年離婚が多くなっていますね。ご主人の定年退職後、奥さんの常日頃の不満が爆発。いつも一緒にいるのは耐えられないと・・。 ご主人のほうも奥さんに対する不満があります。部屋の片付けができていない。よく料理を焦がす。遊び歩いてばかりいる。それらも離婚の原因になるのでしょうか?
 女性の社会進出は目覚ましいですね。 幼稚園で運動会の日、ご老人が倒れて、お医者さんがおいででしたらお願いしますというと、女医さんも含め3人が駆け付けました。
 数年前、東京大学医学部では女性の点数を低く抑え、差別をしていたことが明るみにでました。女性の成績がよく、女医ばかりになってしまうと言うのが理由でした。女性の社会での地位は日増しに向上していますが、まだ十分ではありません。国民を代表する国会議員の女性比率は9.9%ですから・・。
 春日部教会は違います。女性の皆さんが大活躍しています。

 ファリサイ派の人たちが離婚の問題をイエスに突きつけたのには、どのような背景があるのでしょうか。
 ファリサイ派の人たちはイエス様がモーセに律法と矛盾したことを言うのを聞きたいと思い、それによってイエスを異端者として、訴える口実を作ろうとしたのでしょうか。
 あるいは、その妻と離婚し別な女性と結婚したヘロデ王をバプテスマのヨハネが糾弾し、捕まえられ首をはねられた、その問題に引き込み、ヘロデ王との敵対関係に持って行こうとしたのでしょうか。
 申命記にはこう規定されていました。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申命記24章1節)。
 日本でも江戸時代に、三行半という離縁状が夫から妻へ、あるいは妻から夫へも渡されることがありました。離別状あるいは去状、暇状とも言います。
 三行半とは、離縁状の俗称です。離縁状の内容を3行半で書く習俗があったことから、このようによばれました。もっとも、必ずしも全ての離縁状が3行半であったわけではありません。多くは前段で離婚文言を述べ、後段で再婚許可文言を述べるのが常でした。
 当時は字が書けない人もいましたが、その場合は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより、離縁状の文言を書いた取扱がされていたそうです。

 当時のラビたちには、この「何か恥ずべき事」のについて、二つの解釈がありました。シャンマイ派とヒレル派です。

 シャンマイ派はこの文言を厳重に解釈し、「何か恥ずべきこと」を妻の側の異性関係の問題とだけ解釈し、どんなに浪費癖のある妻でも、それだけでは離婚できないとしました。一方ヒレル派は「何か」と「恥ずべきこと」を分けて読み、この「何か」を出来るだけ広く解釈しました。彼らは妻が料理をだめにしたり、通りで紡いだり、見知らぬ男と話をしたり、夫の聞いているところで夫の身内を軽蔑する話をしたり、大騒ぎをする女で、隣の家に声が聞こえるような女だとしたと言うことです。つまり、妻のどんな小さな落ち度でも、夫が気に入らないとなれば、離縁する正当な理由になったのです。そして一般に、このヒレル派の解釈が通用していました。
 「離縁状さえ書けば、妻を離縁してよい」これが当時の一般的な考えでした。
 律法学者は皆、男性でしたから、何百年かの間に、この律法は男性に都合のいいように解釈されていきました。 ラビのアキバなどは、この意味を拡大して、男の目に、自分の妻よりも美しい女がいた場合にも当てはまる・・としたと言われています。

 しかしながら、モーセのこの言葉の後の24章の5節には、次のような言葉があります。
 「人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年間は自分の家のためにすべてを免除される。彼は、めとった妻を喜ばせねばならない。」
 そこには妻を大切にすべきことが述べられているのです。

 イエス様は当時の社会の中で、夫に追い出され、路頭に迷う多くの女性たちを見ていたと思われます。そして断固として離縁に反対します。取るに足らぬ理由で、あるいは全く理由なしに離婚されることが普通になった結果、イエス様の時代には結婚が不安定なものとなり、女たちが結婚を躊躇するような事態が起きていたと言います。
 イエス様は結婚を本来あるべき姿に回復なさろうとなさいます。
「神は人を男と女とにお造りになった」
神にかたどって創造された男女が神の前に対等であることを語る箇所です。
「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」
 そして結論として、イエス様はこう言います。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」
 妻とは、神が与えてくださったかけがえのないパートナーです。妻を自分の都合で家に置いたり、追い出したりできる「物」のように考えるのは間違っているのです・・と。 
 そして、イエスの言葉の本来の意味は「離婚してはいけない」という掟ではなく、結婚とは、「互いに相手を神が結び合わせてくださったかけがえのない相手として大切にしなさい」・・・ということであったと思われます。

司祭の言葉 9/26

年間第26主日(B年)(マルコ9.38~43、45、47~48)

 9月1日に経済評論家内橋克人さんが亡くなり、先日「未来への遺言」と言う追悼番組が放映されました。その中で氏は「戦前の、お上に疑問を提示することができない、頂点同調主義が、戦後も続いている。それがどんなに危ないか。」と警鐘を鳴らしていました。 

 わたしたち人間は、「主流派」に流されていきやすい傾向があります。 はじめは不本意ながらも、それに「慣らされていく」と、自分の中でもいつの間にか「信念」となっていき、新しい動きに対しては「ノー」という態度をとるようになります。

 今日の福音の弟子たちはまさにこうした態度をとります。
 イエスの時代、すべてのものが悪霊を信じていました。すべての人は、肉体的精神的病気は悪霊の悪意ある影響によると思っていたのです。さて、この悪霊をおいはらう一つの方法がありました。その悪霊よりも有力な霊の名を知ることができれば・・。そしてそれを唱えれば追い出せると。実際イエスも、「悪魔の頭、ベルゼブブによって追い出しているのだ」・・・と言われています。

 仲間でないものたちが、イエスの名によって悪霊を追い出しているのを目撃した弟子たちは、「その人はわたくしたちの仲間ではないのです」(38節)と、イエスさまに訴えます。さらに「そのためにわたくしたちはそれをやめさせようとしました」とまで言います。
 イエスさまはそれに対して「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である」(40節)と注意されます。

 ここには寛容の教えがあります。すべての人は自分の思想を持つ権利を有します。
 全ての人は彼自身の結論や信仰に到達するまで、物事を考え抜き、考えをまとめる権利を持っています。 第二バチカン公会議は、信教の自由に関する宣言を発布しました。
 本当の救いを願うといういことは、狭いグループ意識、選民意識、人間的な面子に左右されてはいけないのです。これがイエスさまのメッセージです。
 今日の第一朗読も、預言状態になっている仲間の姿を見たヨシュアが、モーセにやめさせてくださいと頼み、あなたはねたむ心を起こしているのかと注意される場面が語られています。

 その点仏教のほうが寛大かもしれません。 3年ほど前永平寺に行きましたが、多くの修行僧がおりました。かつてカトリックの神父たちもそこで修行し、イエズス会の門脇神父は印可を受けていますから。 修行を終え指導者となることのできる印です。 秘跡ではありません。加藤神父も僧籍にありますから、神父であり和尚でもあります。カトリックの神父が祭服を着て参列すれば、葬儀の時、内陣に入れてくれるそうです(加藤神父談)
 でもカトリックの叙階式では、山野内司教の友人のお坊さんを内陣に入れることはありませんでした。

 そして、マルコ9章41節「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」という言葉も、狭いグループ意識に凝り固まらないイエスの心を示しています。
 イエス様の深いやさしさを理解せずに、自分の思い込みで語ってしまうときに、私たち自身がつまずきの石となり、イエスのそばに来る人を遠ざけてしまうことになります。イエス様はどのようなお方であったのか、神の子と理解するだけではなく、その慈しみの心も理解することのできる恵みを祈りましょう。

 いよいよ来週は共にミサを捧げることができますね。パンデミックで苦しむ世界の上に、主の恵みを祈りましょう。
 そして今日は「世界難民移住移動者の日」でもあります。
 紛争や迫害により故郷を追われている人は、8000万人を超えているそうです。
 イエス様もマリア様ヨゼフ様に抱かれて、エジプトに避難した経験を持っています。
 祈りましょう。彼らの痛みを自分の痛みとして感じることができますように。

司祭の言葉 9/19

年間第25主日(マルコ9:30-37)

 皆さんお元気でしょうか。今日から公開ミサが行われるはずでしたが 、緊急事態宣言が延長されたので、今日のミサも非公開となりました。司祭は春日部教会の皆さんを覚えてミサを捧げますので、どうぞ心を合わせてお祈りください。

 このところなかなかチャンスがないのですが、小生は映画を見に行くとき、いつも席は一番後ろに座ります。最近の映画館はすいているのですが、それでも後ろに人がいると落ち着かないのです。・・やはり自分にとって一番いい席を取っているのだろうと思います。
 教会においでの皆さんも、すわり心地の良い場所があって、いつもそこに座るという事になるのではないでしょうか。観劇では前の方がS席で皆さん前に座るのを喜びますが、教会ではどう言う訳か皆さん後ろを好みますね。教会でも前の方がイエス様に近いのだからS席だと思うのですが・・・。

 今日の福音朗読は、二度目の「死と復活の予告」から始まっています。「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」(9・32)とありますが、一度目の予告のあとに弟子の代表であるペトロが「サタン、引き下がれ」(8・34)と叱られたあとのことですから、弟子たちが何も尋ねられないのはよく分かります。また叱られるのではないかと思えば、尋ねたいことも尋ねられないものです。


 弟子たちはそれでも「だれがいちばん偉いか、良い場所をとるか」を途中で議論していました。・・・メシアについて理解していなかったからです。

 自民党の総裁選の立候補者が4名でそろいました。誰も過半数が取れず、決選投票になるだろうと予想されていますが、総裁が決まれば組閣が行われ、誰がどのポストに就くか、色々取りざたされることでしょう。だれがボスなのかという議論は人間に限ったことではありません。猿山のサルたちも、だれが一番よい場所をとるか、ボスにふさわしいかをいつも争っています。
 冷めた言い方をすれば、弟子たちが熱中していた議論は、サルがいちばん問題にしている程度の話題だったわけです。「途中で何を議論していたのか」というイエスの言葉は、「早くそんな愚かな議論から離れなさい」と言っているかのようです。

 そこでイエスは、人間が最も高められるような形でいちばんを目指す道を示そうとされました。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(9・35)。 そして、その高い理想は自分たちの足下に、大人たちにまとわりつく子どもたちを受け入れることにあるというのです。

 先日、幼稚園の門を入った三歳児が、後ろを振り返った後、急に手提げ袋を放り出し、家に帰りたいとぐずり始めました。元気よく門をくぐり、お母さんに手を振ろうとしたら、お母さんは後ろを振り返らず行ってしまったのです。そして先生が来て抱き上げなだめて落ち着きました。子供はちょっとしたことで機嫌を損ねたり、泣き出したりします。
 イエスは「一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた」のでした。(9・35)「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(9・36)。

 持っている力を見せつけるような人になるのではなく、小さな子供、つまり弱く小さな相手を寛大に受け入れる人になるように・・と教えられたのです。
 イエスの時代、律法を守る人間かどうかが人の評価の基準でしたから、子どもは「無能力者」の代表のようなもので、子どもであること自体には価値がないと考えられていたと言います。そのような考え方は、現代でも皆無ではありません。
 ユニセフによれば、人身売買によって兵士にされたり、強制労働や強制結婚、臓器売買の犠牲にされたりする子供の事例が、各国から報告されているそうです。

 小生は小さな子供が苦手です。小さな子供の動きにはハラハラさせられますし、小さな子供を受け入れるのは大変です。
 でも、イエス様の教えはこうなのです。
 子どもを受け入れてみること。そこからすべてが始まります。小さな子どもに大切に接してみること。愛情深く謙虚になって相手に仕えてみることが、ねたみや利己心から脱却するための手がかりとなるのです。

 迫害されている弟子や助けを必要としている小さな人々と、「子どもを受け入れる」ことはつながっています。この小さな人々を大切にすることこそが、イエスと神を大切にすることだと、神によって評価されるのです。

 イエスがここで言われるのは私たちのために何か出来る人々を求めるのではなく、
私達がしてあげられる人々を求めるべきであるというのです。
 イエスは同じ事を他の場所で「これらのいと小さき兄弟の一人にしたのはすなわちわたしにしたのである」と表現しておられます。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(9・36)。

肝に銘じておきましょう。

皆様のご家庭の上に、主の恵みが豊かに注がれますように ❕

司祭の言葉 9/12

年間第24主日 (マルコ8章27-35節)

 ある人物を正確に捉えるには、時間がかかります。
 セウイにいたYさんもその一人でした。本人は、自分の病気は先生になぐられた為だと言っていましたが、精神障害と知的障害があると診断されていました。  資料ではIQ38 知的な能力は7才程度でした。 
 皆さんの思うところでは、この人はどんな本を読み、どんなテレビ番組を好むと思いますか?  7才の子供の好むテレビや本を想像するでしょう? ところが、私は本当に知的障害者かなと疑問に思うのです。歴史に興味があって、 毎日、新聞のテレビ欄を見て世界遺産の番組や歴史ドラマを探してみていたのです。かつて、大河ドラマ篤姫が放映されたときなど・・「篤姫のお父さんの島津斉彬(なりあきら)」と言ったら 「父は忠剛(ただたけ)で斉彬は養父です」と訂正されました。しかも愛読書は文藝春秋なのです。

 2000年前ユダヤ人社会に彗星のように登場したイエスは、人々に強烈な印象を与えています。説教の力強さに人々は驚き、病人をいやすイエスの力に人々は興奮しました。 イエスの噂は 村から村へ町から町へ そして一時の興奮から、やがてイエスは何者なのだろうと言う問が浮かんできます・・当然、問に対する答はさまざまで・・人々の戸惑う姿をマルコはありのままに報告しています。  
 気が変になっている  汚れた霊にとりつかれている 大工の子ではないか
 洗礼者ヨハネがよみがえったのではないか エリアではないか 預言者の一人ではないか・・・→ 人々にはイエスの正体をつかみきれなかったことがわかります。

 それでは弟子達はどうでしょう。 イエスの正体がつかめていたのでしょうか。

 イエスは次に弟子たちに向かって、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけました。ずっとイエスと共に歩み、イエスのなさることを見てきた弟子たち自身の判断を迫ったのです。  その時、「あの人はこう言っています」とか「この人にこう教えられました」ではなく、自分の判断として、自分とイエスのかかわりの中で、自分にとってイエスという方はどういう方なのかを答えなければならないのです。
 これは、わたしたち一人一人への問いかけでもあります。

 すかさずペトロが答えます 「あなたはメシアです」
「メシア」はギリシア語になおすと「クリストス」 「メシア」はアラム語で「油注がれた者」と言う意味です。サウル王もダビデ王も預言者サムエルから油を注がれ、ソロモン王は祭司ツァドクから油を注がれて王になりました。油は王の使命を果たすために神の霊が与えられることのシンボルでした。 のちには、「油注がれた者」は、神から遣わされる「救い主」を意味するようになっていきました。

 イエスはペトロの言葉を否定しませんでした。イエスはメシアであることには違いありません。しかしペトロの頭にあるメシア像と、イエスの頭にあるそれとは雲泥の差がありました。それはそのすぐ後のペトロの言葉によって明らかになります。

 ペトロが描き人びとが期待していたメシアは、強烈な影響力を持って人々の心を捉え、群衆を一つに集結させ、ローマの支配から解放し、自由と独立を与える力強い存在です。
しかし それは人間の思いであり 神の思いではありません。

「人の子は多くの苦しみを受け、・・・殺される。」

 この言葉に驚いたペトロはイエスをいさめますが
 イエスは、厳しい言葉で「サタン、引き下がれ」といいます。サタンは人間を神から引き離す力のシンボルです。神の意志を行なおうとしている受難の道から、イエスを引き離そうとすることはサタンの働きであるとの意味です。
 イエスはペトロのメシア像をうち砕き、真のメシア像の理解にペトロを導きます。

 そして、イエスはご自分の十字架の道を弟子たちにも示します。十字架刑に処せられる人は処刑場まで自分の十字架を担いで行きました。
 「自分の十字架を背負ってイエスに従う」とはどういうことなのでしょうか?

 十字架はない方が良いのです。私たちは弱いですから。 主の祈りで、「試練に遭わせないでください」と祈る様にとイエスは勧めています。
 イエスも出来るならこの杯を遠ざけて・・・と祈っています。
 でも与えられたなら、それを喜んで担う覚悟が必要なのです。イエスをチネレのシモンが助けたように、私たちの苦しみをイエスが助けてくださる・・との信仰を持って。

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言は9月30日まで延長されることになりました。今日はその、試練に立ち向かう力が与えられるように祈りましょう。

司祭の言葉 9/5

年間第23主日B年

 今日の第一朗読では、6世紀にバビロンに捕囚となっていた人々に、ユダの回復を告げるイザヤ書の言葉が読まれていますが、この預言はイエスの時代にはメシア到来の時のしるしと考えられるようになっていました。そして盲人が見えるようになり、歩けない人が歩けるようになり、重い皮膚病も癒されるイエスの業は、その時が来たことを示します。

 今日の福音は耳が聞こえず下の回らない人の癒しです。イエス様が当時の話し言葉アラマイ語で開け(エッファタ)とおっしゃると、たちまち耳が開き、舌のもつれが取れて、はっきり話すことが出来るようになった出来事が語られています。

 エッファタ・・小生にもこの言葉がほしいなと思います。最近幼稚園で子供を迎えるときに右の耳に集音器をつけています。子供たちが門を入ってくるとき「おはようございます」と声をかけますが、なかなか返事のかえってこない子がいると思っていました。あるときふと、子供は言っているのに小生の耳が聞こえていないのではないかと思い、集音器をつけました。すると何人かは、か細い声で「おはようございます」言っている子もいるのです。小生の耳がその声をとらえることが出来なかったのですね。子供の声は集音器で聞こえるようになりましたが、心の耳も最近聞こえにくくなっているかもしれませんので、もっと聞こえるようになる必要があると感じます。

 イザヤ書の「荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる。」と言う言葉には、フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説「木を植えた男」の物語が重なります。
 南フランスのプロバンスの、人も離れてゆくような荒野で、一人黙々と毎日100個のよいドングリを選び一晩水につけ、鉄の棒で大地に穴をあけ、それを埋めていた男の物語です。荒野でこの男にあった青年が再びこの地を訪れたのは、5年の後。第一次世界大戦が勃発し戦場に出た青年が心を癒すために訪れたのでした。すると荒れた地には楢の木が育ち始め、10年前に植えられた木は大きく育っており、次第に森が再生し水が湧き出るようになり、それが人々を引き寄せ、新しい村が再生していったという話です。

 バビロンに捕囚となっていたユダヤ人は、ペルシャ王クロスの時にエルサレムに戻って神殿を再建することを許されました。荒れ果てたユダの地に戻ったユダヤ人たちは、エルサレムの神殿を再建し、エルサレムの町も民族も命を吹き返したのです。同様に、イエスによってもたらされた福音は、人々の心に愛を取り戻し、新しい神の国の建設の始まりを告げるものとなります。

司祭の言葉 8/29

年間第22主日

 今日の聖書のみ言葉は、手を洗わないで食事をすることについての問答です。

 先日、夏休みが終わっての登園の時、家族と一緒にいる生活が続いてほしかったのでしょう、年少組の子供たちの何人かが門を入るときにぐずって泣きました。でも泣きながらも、消毒のために手を差し出しました。新型コロナウイルスのまん延は子供たちにとっても手洗いは日常となっています。
 イエスの裁判の時にピラトが、自分には責任が無いということを主張するために「手を洗った」とありますが、ユダヤ社会の「手洗い」はそのような意味でも、衛生上の意味でもありません。当初は衛生上のニュアンスを含んでいたかもしれませんが、手洗いは儀式的なきよめとして行なわれていました。

 レビ記の11章の中に次のような記述があります。「地上を這う爬虫類は汚れている。その死骸にふれる者は夕方まで汚れる。泉やため池に死骸が落ちた場合その水は清いままである。ただし、その中の死骸に触れた者は汚れる。食用の家畜が死んだとき、その死骸にふれた者は夕方までけがれる。衣服を水洗いせよ。夕方まで汚れているからである。  あなたたちは自分自身を聖別して、聖なるものとなれ。」

 もともと、ユダヤ人にとって律法は二つのことを意味ました。それはまず十戒を意味し、次に旧約聖書の最初の五つの書物を意味ました。しかし、そこに記述されているのは、大きな道徳的原理です。長い間ユダヤ人たちはそれに満足していましたが、キリストのおいでになる4-5世紀前から律法の専門家たちの階級が出現してきました。彼らは大きな道徳的原理に満足せず、これらの原理を拡大し、拡張し、数千の小さな規定や規則を作ることをのぞみました。そして、生活はもはや原理によっては治められず、細かい規則や規定によって支配されたのです。 それらは口伝律法と言われていますが、長老たちからの言い伝えです。
 のち3世紀にこれらの口伝が記述され、ミシュナーと呼ばれるようになりました。

 その中で特に、手を洗うことについては一定の厳重な規則がありました。儀式的な清めとして、全ての食事の前に、また料理が替えられる度ごとに手をあらわなければならなかったのです。手を洗わないで食事をすることは文字どおり罪とされました。そして一時が万事、ユダヤ人たちはそのような外見のことばかりを気にし、言い伝えによってそれを守ることが信仰だと思っていたのです。
 イエスはそこを正します。

 彼らは尊敬すべき昔の人の言い伝えに固執しますが、イエスの目から見ればそれは「人間の言い伝え」に過ぎません。

イエスは人間の言い伝えと神の掟の同等性、両者を同じレベルに置くことをきっぱりと否定します。 彼らは神の掟の周りに人間の掟を張り巡らせることによって、結局は神の掟をないがしろにしていることを解らせようとします。

 けがれは本当はどこから生じるかを教えます。けがれは洗わぬ手から生じるのではなく、人の心から生じると。
 掟を完全に守ろうとする努力は、マニュアルとでも言うべき細かい規則を作ることに通じます。いったん細かい規則が出来ると、それが一人歩きを始めます。細則を守ることが中心となり、守った人は守れなかった人を見下すことになります。こうして他人を非難し、せっかくの努力が神の掟からは遠ざかる結果を招いてしまいます。思いやりに欠け、愛に欠けてしまうのです。

 規則の中に、どこまでが禁じられどこまでが許されるかを見るより、神自身に聞いて、神の御旨を行おうとすることが大切だということです。そうすれば他人を非難するのではなく、相手の身になって考えることが出来るようになり、いつも他人のあら捜しをしたり、イライラすることもなくなると思います。イエス様の教える生き方、神に聞く生き方は、まさに精神衛生上の秘訣にも通ずると言えます。
 私たちにとっては、今ここにイエス様がいらっしゃるならどうするか・・イエス様ならどうなさるかということに、思いをはせることが大切です。

 新型コロナウイルスの勢いはなかなか衰えません。一日も早く公開ミサが再開されるように祈りましょう。皆様の上に主の恵みをお祈りいたします。

司祭の言葉 8/22

年間21主日B年    

 先週のお話の続きです。イエスはユダヤ人に私の肉を食べ私の血を飲まなければあなた方に命はないと言われました。イエスにとっては「血は自分の命であるからこそ、この血を飲ませ、命を与える」とおっしゃるのです。

でも、レビ記17章の11節には次のような言葉があります。
「わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。それゆえ、わたしはイスラエルの人々に言う。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、だれも血を食べてはならない。」

 律法ではこのように血を食べることは禁じられていましたから、「実にひどい話だ」とユダヤ人と多くのの弟子はイエスの言葉に躓きます。でも、十二弟子達はイエスを体験し、奇跡を間近に見てイエスに対する信頼を深めていましたので、イエスの言葉を今はよく理解できませんでしたが、イエスに信頼を置き続けたのでした。

 もう21年も前になります。2000年の8月、岡田司教と浦和教区司祭信徒との、最後の旅行となるモンゴル訪問をしました。それは、1995年から始まった、フィリピンに始まり、韓国、ベトナム、台湾と続いた、戦時中のカトリック教会の戦争協力、ないし積極的に戦争に異を唱えなかったことに対する謝罪と和解の旅でした。
 モンゴルはノモンハン事件によって有名です。旧満州国の西北、外モンゴルに近いハルハ河畔の地で、昭和14年5月から9月中頃まで日ソ両軍の国境紛争で交戦、日本軍が大敗、2万人が戦死しています。

 2000年のモンゴル訪問は一連の和解の旅の一環として、岡田司教が浦和教区にいるうちに、モンゴルにも行きましょうと急遽計画された旅でした。
 モンゴルのウランバートルでは町全体に給湯管が配管されています。当時、その給湯管の通る暖かいマンホールに寝起きする、マンホールチルドレンといわれる子供達が2000人ほどいました。その子供達を200人ばかり引き取って養育しているサレジオ会の施設を訪問し、浦和教区として和解と償いのため、モンゴルに対して何が出来るのかを考えるのが主な目的でした。

 モンゴルに行く前には一冊の本を手に入れました。「地球の歩き方」。モンゴルに関する情報が一杯でした。しかし、頭の中に入れた知識と現実の体験とでは大きな違いがあります。行ってみて、そこに入ってみて初めて体験することがあります。
 モンゴルは都市全体が集中暖房となっています。でも、8月のモンゴルではお湯が出るのは10時から4時まで。その後は水だけです。その間にお湯を使わないと、風呂にも入れません。司祭達はバチカン大使館に泊まりました。信徒達はホテルです。ホテルは一日中お湯が出たそうですから、事このことに関しては、大使館より良かったのです。

 モンゴルの道は悪路だとは聞いていました。でも、有料道路が穴だらけでドライバーがその穴をよけるようにして運転しなければならないほどだとは思いも寄りませんでした。
 電気事情が悪いので懐中電灯を持ってくるように言われました。ウランバートルは70万人が住む大都市です。停電はありませんでした。
 たまたま大使館の秘書の方の家に馬乳酒を試しに行くことになりました。
 町中なので懐中電灯を持って行きませんでした。しかし間違いでした。6階ほどにある彼女の家まで階段は真っ暗闇。手すりにつかまり踊り場近くに来ると足探りで歩かなければなりませんでした。町全体が暗いのは、踊り場の電気など、公の場所に明かりが無かったからかも知れません。

 ただ頭で知るのと、試してみるのとでは大きな違いがあります。ヘブライ人は体験するときにのみ「知る」という言葉を使いました。

 キリスト教の信仰もイエスについて知ることではなく、イエスを知ることにあります。イエスについて書いている沢山の本を読むよりも、イエスに出会い、その声に耳を傾けることが必要なのです。
 イエスは私たちひとりひとりに、あなたは私を誰だと思うか?・・という問いかけをしてきます。 その答えはイエスとの出会いの中でしか出てきません。

 イエスの言葉に耳を傾け、その教えを生きることによって、私たちと共に居られ、人々の中に活きるイエスと出会います。
 強いて50歩歩かされたら100歩歩きなさい。・・・私たちは文句を言うのでは無いでしょうか 右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい・・・試したことがありますか? 祈りはもちろん大事です。でも祈るだけではだめなんですよ。キリストに倣わなければ。

 そして、人々のうちに生きるイエスに出会い、その復活のいのちにふれたとき始めて、自分の体験としてイエスを語る事が出来るようになります。そしてその時こそ、どのような危機に遭っても、ペトロのように「あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています。」ということができるでしょう。

 皆様の上に主の平和を祈ります。

司祭の言葉 8/15

聖母の被昇天


 皆さん、聖母の被昇天おめでとうございます。本来なら守るべき祝日として、共に教会に集い、ラテン語のミサを捧げるはずでしたが、新型コロナウイルスの蔓延で緊急事態宣言が出され、またまたミサの公開が中止となりました。どうぞそれぞれのご家庭で、心を合わせ、聖母の被昇天をお祝いしてください。

 聖母の被昇天というと、聖母が天に昇っていき、冠を授けられる姿を思い浮かべるかもしれません。イエス様は神としての力によって自ら天に昇っていきましたが、聖母の場合は、神に引き上げられたので、わざわざ「被」の字がついています。
 正式には「聖母は地上の生活を終えた後、体と霊魂が共に天の栄光にあずかるようにされた」ことを祝います。生きたまま天に昇ったと取るのも不可能ではありませんが、イエス様も人間として死んだのですから、人間だったマリアは、死んで、復活させられ、天に昇ったと捉えて、話をしたいと思います。この信仰はカトリック教会の信仰で、東方教会はマリアのお眠りと呼び、魂だけが天に迎えられたとしています。

 キリストは十字架にかけられた後、そのお言葉通り復活して弟子たちの前に現れました。私たちの信仰はこの復活を信じることにあります。このキリストの復活は初穂としての復活です。そのあとにすべての人の復活があります。そして今日のコリント人への手紙は、「ただ、一人一人に順序があります」と述べているのです。 人は、終わりの日に、この世で持っていた身体のまま、しかし病気や障害、肉体的な弱さを克服した体で、もちろん他人のものと入れ代わることなく、体ごと復活するのです。
(フィリ3:21 私たちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる)

 マリアは生涯をキリストと共に歩み、いつも、苦難の時も、絶えずもっとも近くにあり、キリストの救いの業の始めから終わりまで、思いと行動を共にしていました。ですから教会は共償者マリアと言う称号をマリアに与えています。イエスと共に贖いの業に参加したマリアです。それなら、死んだ後は、霊も体も共にイエス様から一時も離れず、共にいるのは当然のことといわねばなりません。 また原罪にも、また生涯にわたっても、あらゆる罪に勝利したマリアは、罪の結果である肉体の死に対しても勝利し、栄光を受けるはずです。 それで普通の人のように、世の終わり、最後の審判の日を待つまでもなく、この世の肉体における生を全うしたすぐ後に、イエスと同じ栄光の体を身に帯びることができ、天にあげられたと教会は信じているのです。

 復活の日は私たちにもやってきます。 私たちも、死んですぐと言うわけではなくても、神から離れずに生活するなら、終わりの日に、同じように体ごと復活し、天に引き上げられることになります。 

 天使ガブリエルのお告げを受けたマリアは、エリザベトを訪問しました。その時口をついて出た賛美の言葉マニフィカト(私の魂は主をあがめ)のなかで、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者というでしょう」とのべていますが、まさにその言葉通りになったと思います。
 今日の福音で読まれたマリア、無原罪の特権を与えられ、神の母となったほどのマリアの生き方の特徴、それは徹底的に、神の僕として小さく生きたことにあります。

 マリア様の生涯は外から見て、決して楽なものではありませんでした。神の子を宿した時には、婚約者ヨセフに疑われ、石打ちにされることも覚悟したでしょう。馬小屋で神の子を産まざるを得ず、幼い子供を抱え知らないエジプトで避難民として貧しく過ごしました。ヨセフとの早い死別や、わが子イエスのむごたらしい死……。
 しかしそれでも神に従うことで、罪の奴隷としての惨めな生活から解放され、もっと自由に、安心と信頼の心で、誇り高く生きることができたのです。そしてすべてを得て、永遠の冠・栄光を受けることができました。
 これこそ無原罪であり、被昇天の恵みを受けるにふさわしい生き方です。私たちキリスト信者もこのマリアに倣って生きていくことが主のお望みであると思います。コロナ下でつらいことの多い毎日であると思いますが、マリアに祈りながらこの苦境を乗り越えてゆきましょう。
 皆様の上に主の平和がありますように。

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生神女就寝祭のモザイクイコン。現在はカーリエ博物館となっている、ホーラ(コーラ)修道院の聖堂内にある。生神女マリヤの身体が中央下に、ハリストス(キリスト)が中央に描かれる。ハリストスはマリヤの霊を抱いている。マリヤの霊が幼女を象るのは、その純潔を意味している。(ウィキペディアより)