司祭の言葉 10/16

年間第29主日C年

 皆様おはようございます。秋も深まりつつありますね。紅葉の美しい季節です。
 ウイズコロナ・・ちょっと心配ですけど、用心しながら前に進むことが求められています。

 今日の話はやもめの訴えです。
 やもめ・・夫が亡くなった未亡人です。いくつくらいでしょうか。それはわかりませんが、当時のユダヤでは14・5歳で結婚しましたから、若い人もいたと思います。
 初代教会では、やもめとして登録するのは60歳未満のものではなく一人の夫の妻であった人、善い行いで評判の良い人でなければならない・・とあります。(1テモテ5の9)
 裁判官を悩ますほどですから、かなり声をあげる人だったと思われます。
 彼女が訴えた相手は社会的に身分があるか、金持ちだったのだろうと思われます。
 中身は金銭トラブルかも知れません。
 裁判官はユダヤ人ではないと思われます。ユダヤ人ならその役目をするのは長老だからです。不正なといわれているので、わいろをとって適当に裁判をする人で、やもめは金がなくわいろをくれないのでほっといたのでしょう。
 でも彼女には武器がありました。しつこく訴えるという武器です。そして裁判官は根負けします。

 今日の譬えはイエス様が、気を落とさず絶えず祈らなければならないことを教えるために語られたのだと、ルカは述べています。
 皆さんは一日にどのくらい祈る必要があると思っているでしょうか。
 そして祈りを聞き入れてもらうためには祈り続ける、長々と祈る必要がある・・・これは正しいでしょうか。
 イエス様は 違う! といいます。

 マタイ福音書では、イエス様は祈るにあたって、祈りを聞き入れてもらおうとくどくど祈ってはいけません。それは異邦人のすることです。神は祈る前から必要なことをすべてご存じです。だから、こう祈りなさい。そうおっしゃって教えたのが主の祈りです。くどくど祈るな・・といっているのですから、しつこく祈れ、祈り倒せと言っているのではないことは確かです。
 ここで思い出すのはヤコブが神と相撲を取ったという話です。これは、神が許すというまで祈り続けた話といわれています。神が根負けするのでしょうか、答えは「否」です。
 神はすでに許しているのです。その許しをヤコブがなかなか確信できず祈り続けたということではないでしょうか。

 ルカによる福音書ではイエス様が主の祈りを教えた後に、夜中に来た旅人をもてなすためにパンを借りにいった人の譬え話をしています。この個所は、「誰でも求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイ7の8)という言葉と結び付けて読む必要があると、聖書学者のエレミアスは言います。
 それは、すでに寝ていても頼まれれば起きてパンを貸し与える友達のように、助けを必要とする人が声を上げるなら、この友達がそうしたように、神は必ず頼みを聞いてくださる。それは確実なことなのです・・と教えるための譬えであったということです。

 そして、今日の朗読では「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために弟子たちに譬えを話された」とありますが、それは編集したルカが言っていることで、イエス様がこの話をした狙いは別なところにある・・といわれています。

 このやもめの訴えの譬えも、この裁判官がやもめの訴えを聞いたように、私たちが祈るとき神が祈りを聞いて下さることは確実なことなのだ・・・、だから祈りなさい・・・というところが、イエス様のおっしゃっているところなのです。
 「絶えず祈ることが必要だ」というのと「祈りが聞き入れられるのは確かなことだ」というのは違います。
 イエス様は主の祈りを教えながら、そのあとのたとえ話でもって、祈りは必ず聞き入れられるのだよ。そう教えておられるのです。

 やもめと裁判官の話について聖書学者エレミアスは、イエス様はこういいたいのだと説明します。
 「神の力、優しさ、そして助は疑いない。それは決定的に確実なことだ。あなた方が心配しなければならないのは、別のこと。人の子が来られた時、地上に信仰を見出すか・・である、と。

 今日の話は皆さんの祈りの助けになるでしょうか。すでに祈る前から主は私たちの願いをご存じなのですから、不安にならず、祈りは必ず聞き入れられると信頼をもって、日々主の教えてくださった祈りを唱えましょう。

司祭の言葉 10/9

年間28主日C年

 皆さんおはようございます。今日の福音は重い皮膚病患っている10人の癒しです。
 重い皮膚病とは、らい病(ハンセン病)のことです。この病気は結核よりも感染力が弱く、1943年に特効薬プロミンも作られ治癒することが可能となっていました。
 しかし、日本ではその10年後の1953年にらい予防法が作られています。この法律には,「強制隔離」規定がありましたが、「退所」規定がありませんでした。退所規定がないと、どうなるでしょうか? 死んでも出られないと言うことです。その結果、ハンセン病に対する恐怖を生み、患者に対する差別・偏見が強まることとなりました。家族は病人の存在をひた隠しにして、親子の縁まで切ったといいます。

 全国ハンセン病患者協議会の長年にわたる「らい予防法」改正要求運動により、【らい予防法の廃止に関する法律】が制定されて「らい予防法」が廃止されたのは1996年のことです。
 さいたま教区内では草津にこの病院があり、そこに作られた教会が草津カトリック教会として、巡回教会になっています。
 そこの患者さんたちがつづった詩集があります。本の名は「骨片文字」(1980年刊行)
 序文の一部を紹介します。

「いま、草津の「つつじ公園」、碑のそばに立つと、足元の赤土に白く乾いた小石のようなものの散乱を見る。掌に載せれば軽い。それは無数の骨片だ。砂礫のように小さなものが、生者と死者の共通の記憶である。それらが文字となってなお残ろうとする。日本からやがてライがきえても、すなわちハンセン氏病の人が死に絶えても、この詩集が消えることのないように、誰かの手に確実に渡されてゆくように・・」

 私は1979年インドのサンチナガールにあるマザーテレサのライ病の施設を訪問したのですが、日本との違いに驚かされました。
そこでは施設の周りに患者さんたちの家族の住む家があり、保育園もありました。患者さんたちは切り捨てられてはいなかったのです。自分たちでパンを焼き、シスターたちの支援を受けて暮らしていました。

 さて今日のメッセージについてみてみましょう・・・

 ライ病は重い皮膚病・・・と訳されています。
 ライ病をこのように訳することによって、本来の言葉の意味が弱められ、日本におけるライ病人への差別の歴史認識を、弱めることになりはしないかと危惧されます。

 イエス様の時代、この病気は全く治る見込みのない、死を宣告されるのと同じ病でした。
 毎日体の一部が死んでゆくと言っても良く、今日は指が死に、次に足の指が、鼻が、耳が落ちてゆきます。治療法もなく、伝染するので、その地域から追い出されてしまうのです。
 ベンハーという映画では、谷底の洞窟に生活するライ病人の姿が描かれています。

彼らは町の近くに物乞いに来ることもあり、その時は鈴を鳴らし、エメエメ(穢れたもの穢れたもの)といいながら歩かねばならなかったといいます。

 今日の福音のメッセージを皆さんはどのように見るのでしょうか

 特筆すべきことは、ユダヤ人とサマリア人がともに支えあって生活していたということです。
 いつもはいがみ合ってきたユダヤ人とサマリア人ですが、ともに一度かかったら治らない重い皮膚病という病気にかかり、共同体を追われて、互いに支え合い助け合って生きてきました。共通の苦しみによって結びあわされたのです。人と人との交わりには力があります。特に、苦しみを分かち合う交わりにはその力があります。    

 ライ病の人の一人がイエス様の噂を聞きました。そのことを語り合っている内に、彼らの心に少しずつ希望がわき上がってきました。今や彼らは信じるようにまでなりました。信仰の形成には、自分一人よりも、みんなで分かち合うほうがたやすいのです。
ライ病にかかっていましたがこの人々は生き抜く決意をしました。

 さらに、癒やされたサマリア人はとって返してきて、感謝しました。
 それに対しイエス様は、不思議な言葉を述べています・・・貴方の信仰が貴方を救った

 多くの人は、失敗は他人のせいにし、成功は自分の手柄にします。会社の社員は社長に感謝するでしょうか、多くの人は自分の働きで給料を得たと思います。
病気を直してもらった9人は、「みろ、俺たちはこうして治って戻ってきた。なおった姿を自慢してやる」・・そんな気持ちに支配され、感謝するのを忘れたのかも知れません。

しかし、9人のユダヤ人が戻ってこなくても、イエス様は問題にしなかったに違いありません。イエス様は心の広い人です。
 伝記を書いたルカが、イエス様の問題にしなかったことを問題にしているのではないか‥そう考える聖書学者もいます。

 なぜなら、その前の箇所でイエス様は次のように言っているからです。
「自分に命じられたことをみな果たしたら『わたしどもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい・・と。

そのイエス様が癒やした相手に、戻ってきて感謝することを要求するのはおかしい。イエス様は感謝など求めてはいない、感謝すべきだというのはルカの考えだろう・・と。

あなたの信仰があなたを救った   サマリア人の信仰とは何でしょうか。
イエス様が癒すことができるという信仰であれば、それはユダヤ人も同じでしょう。他の9人もその信仰のゆえに癒されたに違いありません。違いは感謝するために戻ってきたということであると思います。

この外国人の他には   外国人・異邦人・・・この言葉にわたしは差別を感じます。
本田哲郎訳では「民族の違うこの人の他には」となっています。
原文はアッロゲネース よそで生まれた人・・のいみです。
αλλoγενηs  αλλos(他の)+ γενos(生まれ)

司祭の言葉 10/2

年間第27主日 C年

 お早うございます。いよいよ秋も深まってきました。杉戸町の外れに当たる江戸川に近い宮前では、稲刈りが済んで田んぼに積まれたもみ殻に火がつけられ、一晩中もみ殻を焼くにおいが漂っています。杉戸の無人販売所には栗が並び始めました。まもなく道路わきには柿を売る店が店を構えることでしょう。

 今日の福音を読んでふと頭に浮かんだのは、先日テレビで見た樹木を移植する映像です。 普通樹木を移植するときには根の周りを掘って根切りを行い、1年ほど放置して細かい根が生えてから、土のついた根を傷めないようにコモでくるみ、縄で縛り、移植場所に移送し、掘った穴に入れ水をやって土を入れます。でも専門家がやっても枯れることがあります。数年前兄のところでも、茶室用の花木を庭に移植しましたが、根付かずに枯れてしまいました。
 造園業者は、枯れないように移植するにはどうしたらよいか考えたのでしょうね。とんでもない方法を編み出しました。重機移植といいます。大きな8本のシャベルのついた重機で木の周りを囲み、それを差し込んで根切りを行い、土を落とすことなくそのまま掘り出し、穴を掘っておいたところにそっとおろして移植するのです。15メートルもある樹木でも移植可能とのことですから、桑の木なら簡単でしょうね。

 今日の福音は、「わたしどもの信仰を増してください」と信仰の「量」を問題にした弟子たちに対して、イエス様は「からし種」の話をしています。それは「信仰とは量や大きさの問題ではないのだ」と言うことでしょうか。信仰の力とは「信じるとその人に不思議な力が備わる」というようなものではなく、「信じて神にゆだねたときに、神が働いてくださる」ということだと言えるのではないでしょうか。だからこそすべてが可能になるのでしょう。 聖人たちの、ドンボスコやマザーテレサの神に対する信頼は絶大なものがありました。ですから大きなこともなしえたのだと思います。

 福音書の中で「神を信じる」というのは「神の存在についての考え方の問題」ではなく、「神に信頼を置いて生きるかどうか」という問題だったのです。
 似たような話はマルコとマタイにもあり・・そこでは桑の木ではなく山となっています。山に向かって海に移れという方が壮大だし、山と海ならつりあいます。桑の木ではしっくりきません。
 そこで神学者はこう考えます。

 伝承の大元では山だった話が、マルコにはそのまま伝わり、マタイはそれを書き写した。しかし他方では、長い口伝の過程でどこかでこんがらかって桑になり、それがルカに伝わったのではないかと。
 マルコでは、イエス様が呪ったイチジクの木が枯れてしまったのに驚いた弟子たちが、どうしてそういうことが可能なのかを尋ねたところ、イエス様が山をも移すほどの信仰という言葉で答えたとなっています。
 もしかすると今日の言葉は伝承段階でもイエス様がイチジクを呪った話と結びついて伝えられており、それが伝承のどこかの過程で、桑と入れ替わった可能性もあると言います。

 さらに次の奴隷の話ですが、ルカは桑の木の話の続きとして書いていますので、本来は別の話をルカがまとめたと考えられています。

 もともとは、人々の関心を集めるために、街角で祈ったり、衣の房を大きくするパリサイ人たちに対する話で、譬えの意味するところは、人々の称賛を当てにするようなパリサイ的生き方をやめて、謙虚に生きることを求めています。
 意味するところは、私たちは神の称賛に値することは何もしていないし、どのような良い業をしても、神に向かって自慢することは何もないということです。

 ルカはこれを桑の木を移す話と結び付けて書いています。とすればルカはこれを使徒によって代表される、教会の指導者に対する説教として位置付けたと思われるということです。

 教会にはいろいろな問題があります。意見の対立もよくあることです。そして一番厄介なのは皆さん善意だという事だ・・・とは、教会の役員さんなどからよく聞く話です。

 ルカが桑の木を採用したのは、教会の役員さんたちに対して、傲慢になるな、許せないという思いが桑の木のように心の中に枝葉を茂らせ、はびこっているとしても「抜け出せ、海に植われ」と信じて命ずればその通りになる。
 これこそ奇跡である。心に許しという奇跡を起こし、奉仕しなさい。・・・と言いたかったのかもしれません。

 信仰は、問題をそのまま打ち捨てることはせず、山を動かすか、人を変えるか、どちらかをします。いずれにしても偉大な奇跡というべきであると思います。

司祭の言葉 9/25

年間第26主日C年2022

 お早うございます。かなり涼しくなって過ごしやすくなってきました。
 新型コロナウイルスの新規感染者はだいぶ少なくなってきたように感じますが、新たな対応について、教区からは何も通達がありませんので、これまで通りのコロナ対策を続ける必要であると思います。

 さて今日のお話は金持ちとラザロのお話です。・・こう言っただけで皆さんはああ、あのお話だなと推測されるのではないかと思います。
 神学者によれば、タルムードにはその原型となるような話があって、イエス様がこの話をなさると、聞いていた人たちはそのタルムードの話と重ね合わせてイエス様の話を聞き、ラザロがアブラハムの懐にいるという話に、驚いたことだろうと言います。
 何故驚いたのでしょう? 分かりますか?

 まず、聖書学者エレミアスが伝えるタルムードの「裕福な徴税人バル・マヤンと貧しい律法学者」の話です。

 裕福な徴税人のマヤンが亡くなり、立派な葬儀が行われました。皆が彼を最後の休息の場所まで見送ることを望んだので、町全体の人の仕事が休みになりました。時を同じくしてある貧しい律法学者が亡くなりましたが、彼の葬儀にはだれ一人として注意を払いませんでした。このようなことを許すとは、神はそれほどまでに不公平なのでしょうか。

 その答えはこうです。バル・マヤンは敬虔さとは程遠い生き方をして来ましたが、一度だけ善い行いをし、その最中に不意に亡くなりました。彼のその善行はそれまでのいかなる悪行によっても帳消しにされないものであることが、彼の死の瞬間に確定しましたので、彼の善行は神から報いられねばなりませんでした。そしてあの立派な葬式を通してその報いを受けたのだということです。ではその彼の善行はどのようなものだったのでしょうか? かれは町の評議員たちのために宴会を準備しましたが、彼らは来ませんでした。そこで彼は食べ物が無駄にならないようにと、貧しい人々に、来て食事をとるようにと命じました。

 バル・マヤンは上流社会に受け入れられることを願って招待状を出しました。でも、全員が申し合わせたようにいろいろ言い訳をして断ったのでした。それに腹を立てたマヤンは、町中の物乞いたちを家に招き入れた・・・ということです。イエス様はこの話を王の宴会の話でも採用していることに、皆さんはお気づきになったと思います。イエス様は皆がよく知るこの話を使ってご自分の譬えを語っているのです。

 ラザロは「神は助けて下さる」という意味の名前です。日本語にしたらさしずめ、「太助」とでもいう名前になるでしょうか。

 イエス様の時代の人々は、ラザロがこのような悲惨な目にあっているのは、彼が罪を犯したか、先祖の罪の報いでそのような状況に陥ったのだと考えていました。ですからイエス様の、「この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れていかれた」という言葉には目を丸くしたと思われます。

 この話の意味するところは明白です。この金持ちは誰でしょうか。

 告白します。私なのです。今から40年以上前インドを旅行した時、ホテルの庭でビールを飲んでいました。当時、たばこは1ルピー30円ほど。ビールは8ルピー240円ほどでした。そしてチップは2ルピー。10ルピー300円はインドの日雇い労働者の一日分のお金であったと思います。それを鉄格子の扉の向こうで手を差し出しながら、しゃがみ込み見ている人たちがいました。それを眺めながらビールを飲み続ける私がいました。まさにこの話の情景だったと思います。

 次の数字がわかるでしょうか。 77億 8億 5秒に一人 420万トン 522万トン  

 77億は世界の人口 8億は十分に食べることが出来ずお腹をすかして寝る人の数 5秒に一人は飢餓が原因で命を落とす子供 420万トンは2020年国連世界食糧計画が支援した食料 522万トンは日本でまだ食べられるのに廃棄された食品の量です。

 私たちが捨てずに消費するなら、その分輸入せずに済み、それだけ食料に余裕が生まれることになります。

 マザーテレサは、現代の最大の罪は、無関心だと言います。

 金持ちも無関心でした。私も。
 今日の福音は、その無関心を捨てるようにと迫ります。 

司祭の言葉 9/18

年間第25主日C年

 このたとえ話を信者たちから聞いたルカは困惑したことでしょう。ルカに伝承を伝えた信者たちは、「イエス様はこの管理人のやり方を褒めて語ったんですよ」・・・と、驚きを持って言い添えたのではないか、と思うからです。

 今日のみ言葉を聞いた感想はいかがですか?
 どうして「主人」はこの管理人をほめたのでしょうか。

 イエス様が話の筋を「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と持ってゆくために、普通なら怒るはずの主人に、この管理人のやり方をほめさせた・・と受け止めているのではないでしょうか。

 なんでも疑ってかかるへそ曲がりな神学者たちは、「何か、からくりというものがないか」・・と、勘ぐって考えます。
 不正を重ねる管理人を許せるのか。二重に損害を与えたのに、主人はなぜ褒めたのか。

 もしかしたら、8節aの「主人」は、管理人をやめさせようとする「主人」と別な人ではないのか・・など。

 8節aの、「主人は、この不正な管理人の抜け目ないやり方をほめた」という言葉について、二つの解釈があります。

 一つは、破局を前にした家令の「賢さ」に限定してみる見方。

 もう一つは、デレットという方が、1970年に主張した見方で、家令のしたことは、律法にのっとったやり方で、主人にも、負債者にも益をもたらし、自分の将来も確保した「利口なやり方」であったというもの・・・・です。

 それはどういうことかというと、
 律法では同胞に対して利息を取ることは禁じられていました。そのため、取引の場合は利息を含めて、借用書を書く習慣がありました。それで、油の50パトス、小麦の20コロスは利息分だったというものです。
 油の50%というのは高いと思われますが、オリーブ油の場合は混ぜ物をしやすいので、補償のため利子が高くなり、麦の場合は混ぜ物をしにくいので低いと説明されています。
 棒引きによって、負債者は得をします。主人は律法通りなので文句を言えません。そして、管理者は負債者から感謝される・・という、展開です。

 信者たちは、イエス様がこのたとえ話を語ったのは確かだが、自分たちの常識に反してこの管理人のやり方を褒めて語ったということに、釈然としない気持ちを抱きながら、それでもこのたとえ話を伝承してきました。

 それでこの話の後、8節aの後に、ルカが、解釈を加えたとみられています。

 今日のパンフレットを見ますと、いろいろ理由をつけてみても、管理人の行いを許しがたい不正とみる以上は、詭弁にしかなりません。不正を良いと言いくるめるのは、詭弁でしかないからです。
 それで、まず最初に、「この世の子らは・・」が加わり、「不正にまみれた富で友達を作りなさい・・・」という言葉が加わった・・そう聖書学者は見ています。

 田川健三という聖書学者はこのようなことを言います。

「不正な管理人」といわれていますが、たとえ話の中には「不正」という言葉は出てきませんし、主人の財産を無駄遣いしているというのも、告げ口の言葉です。
 無駄遣いもどのように無駄遣いしたのでしょうか。小作人の借金の棒引きこそ、大きな無駄遣いですが、それをイエス様は褒めているのですから、不正とみなすはずがありません。もしかしたら、この管理人はもともと主人の財産を管理することよりも、小作人の負担を軽くすることに熱心だったのかもしれません。そして小作人たちに人気があったので、仲間がねたんで告げ口をしたのかもしれません。そうすると、無駄遣いといっても、自分のために使ったのではないことになります・・・と。

 この聖書学者は、この譬えが語られた状況をこう推測します。

 多数の小作人に対して権勢をふるっている大地主の管理人が、イエス様を食事に招いたような折りにでも「どうしたら私は救われるでしょうか」尋ねたのに対して、
『こんな管理人の話もありますよ』と皮肉交じりに、「救われようなどと考えるのなら、まず小作人の借金を棒引きにしてあげなさいよ」と語ったのかも知れない・・・と。

 そして、金持ちがイエス様に、「どうしたら永遠の命に入ることが出来るでしょうか」、とたずねたら、イエス様は「貴方の財産を売り払って貧しい人に施し、私に従いなさい」とおっしゃっている箇所がありますから、ありえない話ではありません・・・と。

 この個所の前も後も律法学者やパリサイ人たちに対する警告なので、ここも、当初は律法学者やパリサイ人たち裕福なものに対して、「危機に際して、断固として行動しなさい」という勧告であったものが、聞き手がキリスト信者になり、その聴衆の変化によって、譬えの後の部分が付け加えられ、「富の正しい用い方の指針」に変化した、とみられています。

 イエス様のお話は、当時の社会の姿をとらえて、厳しい言葉で、わたしたちのあるべき姿を語っていると思います。財産は自分のためだけではなく、神のお心に沿って、使わなければならないと。

司祭の言葉 9/11

年間第24主日 ( ルカ15章1-32節)

 皆様お元気でしょうか、ホミリアをお送りいたします。
 今日のみ言葉には徴税人や罪人という言葉と、ファリサイ派の人々や律法学者たち・・という言葉が出てきます。
 徴税人や罪人はユダヤ社会の被差別民(アンタッチャブル)です。ユダヤ社会を理念と実践において支えているのは自分たちだと自負するパリサイ人や律法学者たちによって、その社会から排除されていた階層の人たちです。

 徴税人は下請けの徴税請負人で、徴税現場で「決まっているもの以上に取り立て」て、民衆から忌み嫌われていました。(ルカ3の13)市民としての当然の役職からも除外されて、法廷で証人として立つ資格も奪われていました。

 いっさいの市民権がはく奪されていたという点では、「罪人たち」も同じです。犯罪者だけではなく、品行的にいかがわしいと思われていた、高利貸し、ばくち打ち、遊女、羊飼いなども罪人とされました。

 ユダヤ人は本来遊牧民で、ダビデ王も羊飼いでしたし、旧約時代の羊飼いのイメージはよいものだったと思います。しかしイエス様の時代は違います。羊飼いは他人の土地に羊を追い込んで、他人の草を無断で食べさせたりする不届きものという考えが一般化していました。さらには、安息日にも仕事をする不敬な輩と考えられていたのです。

 他方、パリサイ人という呼び名は「分離した」を意味するヘブライ語から来ていて、自分たちは「世の汚れから分離されたもの」なのだと自負していました。そのようなかれらは、律法を守らない徴税人や罪人たちを「地の民」と軽蔑して呼び、そこには越えがたい壁がありました。
 パリサイ派の規約には、血の民には金を預けてはならず、何の証言をとってもならない。秘密を明かしてはならない。孤児の保護を頼んではならない。旅の道ずれになってはならないとあり、接触することを避けていたのです。そういう人の客となること、あるいは客とすることを禁じていたといいます。

 ですからイエス様が彼らと交わり、その客となるのを見て衝撃を受けたのです。彼らは、自分たちにとって当然と思える価値を、真っ向から否定する現実を目にしたのです。

 とくに、ユダヤ人にとって「共に食事をすること」は「神の前での大宴会」のイメージでした。出エジプト記はイスラエルの長老たちがシナイ山で「神を見て、食べ、また飲んだ」ことを、特別な恵みのしるしとして伝えています(出エジプト記24章11節)。
 地上で「共に食事をすること」は、この「神のもとでの宴とそこに集う共同体」を目に見える形で表すものと考えていましたので、自分たちだけが神の救いの食卓にあずかれると考えていたユダヤ人には、異邦人や罪人たちと食事を一緒にするなどということは、ありえないことだったのです。

 徴税人や罪人たちが白昼、同時に姿を現し、大勢でイエス様のもとに来るのを見ることも、信じられない出来事だったのです。
 そして、彼らがイエス様の話を聞こうとして集まってきた・・ということも、ありえないことが起こったと、驚きをもって受け止められたのでした。

 彼らには理解できないイエス様の行動に思わず「この人は罪びとたちを迎えて、食事まで一緒にしている」と、驚きと非難のまじりあった言葉が出てきました。

 それに答えてイエス様は、今日の譬えを語ったのです。
 そこに示されているのは、失われた羊とドラクマ銀貨の話を通じて、それらが見つかった時の喜びを例にとって、罪びとの悔い改めは、神の大いに喜びとすることなのだということでした。

 それはユダヤ人たちにとって、驚天動地の言葉でした。なぜなら、心の狭いパリサイ人たちは「罪びとが一人でも神のみ前で抹殺されるなら、天に喜びがある」とさえ語っていたからです。(バークレーのルカ福音書p222)

 ここで天と語られているのは神様のことです。感情を神に帰すべきではないとされていましたから、このような遠回しの言い方で、神をあらわしています。
 聖書学者のエレミアスは、ここは次のように訳すべきだと言い、パリサイ人たちに対するイエス様の弁明は、次のようなことだと語っています。

「このように、神は、どのような大きな罪を犯すことのなかった99人の立派な人々以上に、悔い改めた一人の罪びとのことを喜ばれるであろう」

「神の慈しみは限りなく、神の至上の喜びは赦すことにある。それゆえ、救い主としての私の使命は、サタンが奪ったものを取り上げ、迷い出たものを家に連れ帰ることである」・・と。

司祭の言葉 9/4

年間第23主日C年

 訳文をそのまま読んだのでは全く混乱してしまう箇所ですが、今日の個所はイエス様の後に従おうとするものに覚悟を問う場面です。

 「大勢の群衆が一緒についてきたが、イエスは振り向いて言われた。」・・・とあります。
イエス様について行った群衆・・・病人を癒し、奇跡を行い、パリサイ人たちを論破しエルサレムに向かうイエス様・・イエス様をメシアではないかと考えた群衆は、熱狂し、これからエルサレムに入り、ユダヤの独立のために立ち上がることを期待していました。その彼らにイエス様は冷や水をあびせます。弟子となることの難しさを気付かせることで、自分につき従うのを思いとどまらせようとした・・と聖書学者のエレミアスは言います。

 「もし誰かが私のもとに来るとしても、父、母、妻、こども、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない」
 驚きの言葉ですね。イエス様の教えと矛盾するかのように聞こえますね。
   第四 汝父母を敬うべし
   あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい

 実は、近東の人たちは比較級を表すのに、しばしば対立する概念(愛と憎しみ)を用いることがあるので文字通り解釈するのではなく、
憎む=より少なく愛する・・という意味と理解されています。マタイ福音書には次のようにありますから、比べてみればわかりやすいでしょう。
   わたしよりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。
   わたしよりも息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。 マタイ10の37 

 そして、塔を建てようとするものと、戦いを始めようとする王のたとえ話によって、イエス様はよくよく熟慮せよ・・と説いたのです。

 わたしたちはどちらを選べばよいのかと判断に迫られることがよくあります。
選択の余地があまりない場合には、悩みぬくことも多いと思います。 

 11年前、福島原発の事故で放射能汚染が広がり、人々は避難を余儀なくされました。被災地の南相馬と浪江に行った折、「この先は汚染地につき立ち入り禁止」という看板があり、通行止めになっているところがありました。そこは牧場でした。 いまだに片付いていない車  のこされた300頭のべこたち エサを与えなければ死んでしまいます。 国は殺処分を申し渡してきました。
 飼い主はぎりぎりの決断をせまられます。 果たして被ばくした牛を飼うことに意味があるのか。 経済的には何の価値もありません。ミルクも肉も人の口に入ることはありません。 でも、役に立たなくなったからと言って、殺してしまっていいのか。飼い主にしても、収入はゼロ 300頭もいれば冬場のエサ代もばかになりません。
  「牧場の牛は原発事故の生きた証 これからも生かし続ける」

 熟慮の末、牧場主はこれからも苦しみ続けることを選択しました。協力者たちは一般社団法人を設立し、寄付を募ってきましたが、10年たって、この春法人は解散したとのことです。そして飼い主は、個人的に、有志と共に、あと10年は飼育を続けると言っています。 希望の牧場といいます。

 そこにイエス様がいたらどうするのだろうかと思います。
 殺すだろうか、生かすだろうか・・。

 塔を建てようとするものと、戦いを始めようとする王のたとえ話によって、よくよく熟慮せよ・・と説いたイエス様は、もし自分に従って来ようというのであれば、自分の持ち物一切を捨てる覚悟が必要だとおっしゃって、人々の熱狂を戒めた・・それが今日のみ言葉です。さて、私は覚悟が出来ているでしょうか。

司祭の言葉 8/28

年間第22主日(ルカ14の7-14)

 今日のたとえで、イエス様は私達に対するいましめを伝えます。神は私達の父であり、私達はみんなそこへ招かれています。でもその招きに応えるためには、私達はいつも謙虚でなければならないという事です。

 名もない人が婚宴に早めに到着、上座についたとします。ところがもっと身分の高い人が到着すると上座を占めていたその人はその席を降りるようにいわれ、非常に気の毒な状態が生じます。他方、ある人がすすんで末座についた場合には、あとでもっと上座をすすめられ、その謙遜のおかげでますます尊敬されるようになります。

 わざとらしいへりくだった姿勢はかえっていやらしいですが、謙遜は、そのようにふるまっている人が至極当然の事として行っている時には、ほんとうに美しいものです。そして、この謙遜は偉大な人々にはつねに美徳の一つでした。

 この埼玉県児玉郡保木野村付近で生まれた江戸中期の有名な国学者がいます。塙保己一です。不幸にも7才で盲目となり、12才で母と死別した悲劇の人でした。
15歳で江戸に出て、3年間盲人としての修業を積み、按摩、鍼、音曲などの修業をしましたが不器用で、いずれも上達しませんでした。しかし、弟子入りした雨富検校のもとで学才が認められ、国文学を学んだところ抜群の努力と異常な記憶力で国学丈でなく中国文学にも通じるようになります。勿論、人によんでもらって聞くのですが、25.6のころは古今の有名な本の大部分を暗記。33歳の時、それまでの暗記した書物を全部出版しようとの大願をおこします。=群書類従 正編530巻、続編1000巻

 その保己一について、次のような逸話が残っています。彼の伝記を書いた花井泰子氏の文章の抜粋です。

 麹町の平河天神は西念寺横町から半里あまり。ある朝激しい雨の中を保木野一は、お参りを済ませて帰ろうとしたときに下駄の鼻緒を切らしてしまった。境内に前川という版木屋のあることを思い出した保木野一は切れた下駄をぶら下げて店先に立った。「鼻緒が切れたので、すげてくださいませんか」保木野一が奥に向かって声をかけたとたんに鋭い声がとんできた。「なに?下駄の緒をすげろだと?生意気言うんじゃねよ、按摩のくせによ。ほれ、さしをくれてやるから、さっさと行っとくれ!」「さし?」「なんだ、さしでは気に入らねえというのかよ。さし一本でもありがてえと思え!」
小僧の投げつけたさしが、保木野一の顔に当たって落ちた。さしというのは、銅銭の穴に通す縄である。下駄の緒にしたら弱くてすぐに切れてしまうのだ。保木野一はそれを拾い、丁寧にお辞儀をして歩き出した。小僧たちの嘲り笑う声が背中に浴びせられた。怒ってはならない。腹を立ててはならない。保木野一は激しい雨の中を心経を唱えながら歩き続けた。小僧の浴びせた「按摩のくせに」という言葉は保木野一の心に深く残り、修行への道を一層はげませるものとなった。

 それから10年ほどののち、「群書類従」が完成、出版するにあたり保己一は幕府に、この「前川」を版元に推薦しました。何もしらぬ主人が保己一に推挙の礼をいうと、保己一は「私の今日あるのはあの時うけた軽蔑に発奮したのが動機であるから私の方がお礼を申しのべたい」と見えぬ目に深い喜びを浮かべて語ったといいます。

 怨みに報ゆるに怨みをもってしたら、永久に怨みはなくなりません。しかし保己一のそのすばらしい謙虚な心は怨みをさえ感謝にかえたのです。

 皆さんがよくご存じのヨゼフ物語の中にも、その謙虚さが語られています。
ひとり父に溺愛されたヨゼフは兄弟の妬みを買い、エジプトに奴隷として売られましたが、そこで王の夢を解き、宰相となりました。王の夢で示された7年間の大豊作に続く7年間の大飢饉を乗り切り、家族をエジプトに呼び寄せました。そしてヤコブが死んだのち、自分たちが報復を受け奴隷とされるのではないかと恐れる兄弟たちに、「あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に替え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」といい、兄たちを、安心するようにと慰めました。

 私達はそれでは、どうしたら謙虚な心を失わないでいる事ができるのでしょうか。
 事実を認める事によってです。保己一はその大願成就の一因に、軽蔑されたことによる己の発奮があったことをすなおにみとめました。そして、そのために軽蔑した人に逆に感謝の心をもったのです。
 ヨゼフもまた、自分のうちに働いた神の摂理を認め、兄たちを慰めました。

 今日のいましめをききながら私達にも、謙虚な心が与えられるように祈りましょう。

司祭の言葉 2022 1月〜5月

2022/5/29 主の昇天
2022/5/22 復活節第6主日C年
2022/5/15 復活節第5主日C年
2022/5/8 復活節第4主日(ヨハネ10章27-30節)
2022/5/1 復活節第3主日 (ヨハネ21・1-19)
2022/4/24 復活節第2主日
2022/4/17 主の復活
2022/4/10 受難の主日 (ルカ23章1-49節)
2022/4/3 四旬節第5主日
2022/3/27 四旬節第4主日
2022/3/20 四旬節第3主日 (ルカ13章1‐9節)
2022/3/13 四旬節第2主日C年(ルカ9:28~36)
2022/3/6 四旬節第1主日 (ルカ4章1-13節)
2022/2/27 年間第8主日C年
2022/2/20 年間第7主日C年
2022/2/13 年間第6主日
2022/2/6 年間第5主日C年
2022/1/30 年間第4主日C年
2022/1/23 年間第3主日C年(ルカ1章1-4節、4章14-21節)
2022/1/9 主の洗礼
2022/1/2 主の公現

司祭の言葉 8/21

年間21主日C年

 新型コロナウイルス感染予防の規制緩和で、三年ぶりに移動の規制がなくなり、今年のお盆帰省は混雑したようです。特に高速道路は、蜜を避けて車にする人が多く、関越自動車道や東北自動車道もかなり込み合いました。 料金所も、ETCを使いますと、チケットを出さなくても車はそのまま通れるようになっていますが、通過するのは一台ずつであることには変わりがありません。

 イエスは神の国に入るのに「狭い戸口から入るように」とおっしゃいます。

 神の国の入り口は狭い。しかも、私たちが太ってしまうためにその戸口はさらに狭くなります。 
 ある時、現在熊谷教会にいらっしゃる藤田薫神父様と夕食の時、片足でかがみ、またそのまま立てるか、何回出来るかという話になったことがあります。藤田神父様はいつでも5回は出来る。足には自信があるという。わたしもやってみようと言ってしゃがんでみた。ところがしゃがめないのです。お腹の厚みがじゃまになって・・・

 太るのは体だけではない・見栄、傲慢、財産、えとせとら。
 司祭志願者は、神学校に入るときカバン一つですが、司祭になった時には段ボール箱20個ほどに。そして教会を移動するときには、トラックが必要になります。
 もちろん置いて行かれても困りますが。人によって必要が違いますから。

 狭い戸口から入るように努めなさい。

 この狭い戸口とは、何を意味するのでしょうか。お屋敷の正門わきのくぐり戸、お城の大手門わきのくぐり戸、あるいは茶室のにじり口を連想します。一人ずつ、個別に招き入れられる入り口です。

 アブラハムの子孫であるユダヤ人は、自分たちは当然のこととして、神の国に入れると思っていました。でも神の国は団体客としての招きではないのです。

同じことはキリスト者にも言えます。キリスト者だからと言って救いが確実なのではありません。団体客専用の入り口はないのです。

 「人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く」という言葉は、非常に多くの人がそこに受け入れられる感じであると思います。
 でも「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」という言葉は、「先だと思っている人が神の国では後になり、後だと思っていた人が、神の選びでは先になる」ということです。アブラハムの子孫である自分たちに優先権があると思っていた人たちは、驚いたことだろうと思います。

 マタイ福音書には「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」7の21との言葉があります。
 そして25章には次のような言葉があるのです。
 「それから王は左側にいる人たちにも言う『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその手下たちのために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに訪ねてくれなかったからだ。』」25の41-43
 「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」25の45

 記されている神の裁き・判断の基準は明白であると思います。

 ウイリアムバークレーが紹介しているお話があります。
 昔あるところに、贅沢の限りを尽くし、あらゆる尊敬を受けていた一人の女がいた。その女が死んで天国につくと、彼女をその割り当ての家に案内するために、一人の天使が送られた。二人は素晴らしい邸宅をいくつも通り越していった。その女は、それを通り過ごすたびに、これが私に与えられた邸宅に違いない、と考えた。天国の大通りを過ぎて郊外に近い場末に来ると、そこはずっとずっと小さな家が点点としていた。とうとう一番端まで来ると、そこに、山小屋よりもまだ小さい一軒の家があった。「あれがあなたの家です」とガイドの天使が言った。「なんですって、あれがですか」と女は思わず叫んだ。「あんな家には住めませんよ」。「お気の毒ですが」と天使が言った。「でも、あなたが送ってきたもので建てられるのは、これでせいいっぱいなんです」。

 狭き門から入るとは、地上にではなく天に宝を積むこと、主のみ心を行うこと・・・ではないでしょうか。