司祭の言葉 5/9

復活節第6主日B年        

 今日のみ言葉は、「わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」と言うものです。主が最後の晩餐の食卓で語られた遺言です。マタイマルコルカは聖体の制定を最重要な出来事として伝えていますが、ヨハネは3人の書き残さなかった別れの言葉を詳細に伝えています。

 私はジャズを聴きながら、ショットバーの隅っこでパイプの香りを楽しみながら、ウイスキーを飲むのが好きです。ジャズがわかるわけではありませんが、その雰囲気が好きなのです。でもコロナで、春日部に来てからは一度も出かけていません。
 ウイスキーを飲むときには先ずはストレートです。ウイスキーの味の違いがよくわかりますから。水割りもおいしいし、何杯も飲めますが、ストレートを頼むと必ず水も出てきます。水を飲んでリセットして別なウイスキーを飲む、味を比べて楽しみます。
 もちろん日本酒でも違いが分かって面白いと思います。中村神父は日本酒の利き酒の会に入っていました。でも私は日本酒ですと悪酔いしてダメなので、もっぱら洋酒です。

 なぜこんな話をしたかと言うと、私たちはイエス様の話をいつも水割りで聞いているのではないかと思ったからです。水割りは美味しいんですよ、何杯でも飲めるんです、軽いから。でも、いつも水割りでは本当の味がわからない。ストレートを飲んでみなくては。

イエス様が言葉と行いで説いた愛は 当時のユダヤ社会にとって革命的新しさをもっていました。挨拶をくれないひとに挨拶しなさい。 お返しの出来ない人を宴会に招きなさい。 上着をほしがる人には下着も与えなさい。 敵をゆるし迫害者のためにいのりなさい。・・・これらのどれかをそのまま実行してみたことはあるのでしょうか。
 旧約でも神と隣人への愛は重要な掟でした・・・しかし、それは自分の不利益を犠牲にするほどの隣人愛ではありませんでした。良きサマリア人のたとえの、祭司とレビ人のとった行動にそれをみることができます。

 イエス様の掟は「互いに愛し合いなさい」ですが、「私があなた方を愛したように」と条件があるのです。 ここが難しいところです。命を与えるほどに愛したのですから。

 私たちは命がけで隣人を愛しているのでしょうか。まず自分を安全圏に置いてから愛しているのに気づかされます。 それでは命がけとは言えません。

イエス様は、旧約の掟でどの掟が大事か聞かれたとき、第一の掟として「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という申命記6の5をとりあげ、次に第二の掟として「自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」というレビ記19の18をとりあげています。ですから、まずしっかり自分を大切にしなければいけないのです。 それから、自分のように他の人を愛することになります。

 イエス様のお言葉通りに、ストレートにとれば、自分の10分の1とか、半分とかではないのです。
 わたしたちは週の一日でも、食べるものの無い人に、自分の食べるものの半分を分かち与える努力をしているのでしょうか。
 この原稿を書いている最中、国境なき医師団からSOS 「感染力は新型コロナの10倍近く 、はしかの再流行で子どもたちの命が危機に」と言うニュースが飛び込んできました。 そこには、「2018年から2020年にかけて、コンゴは史上最悪のはしかの流行に見舞われた。わずか2年で46万人余りの子どもがこの病気にかかり、8000人近くが死亡。その4分の3は5歳未満だった。」とありました。 困窮する兄弟たちの声に耳を傾けてみませんか。

 強制されてすることではありません。イエスの勧告に従って、私たちが選ぶことですが、一度くらい徹底的に、イエスの言葉通りにしてみてはどうでしょうか。そうすればイエスの言葉が腑に落ちます。