聖 家 族
これまで聖家族を描く絵は多くの絵のヨゼフが、頭の薄い老人のように描かれています。何故? 私はそのような絵を見るたび、不思議でなりませんでした。
そのわけがわかったのはヤコブ原福音書を読んでからです。書かれたのは2世紀半ば。・神の母、永遠の処女、マリアの誕生物語。正福音書以前の物語が書かれているから原福音書とよばれているのです。
その記述=マリアのお母さんアンナとお父さんのヨアキムはマリアが3歳になったとき神殿に預けました。マリアは主の神殿で鳩のように保護されて、天使の手から食べ物を受け取っていたとあります。12歳になったとき祭司たちがどのようにマリアの純潔を守ろうかと協議し、祈っていますと、主の使いが現れ、ザカリアを召して、民の中で男やもめとなった人を集め、それぞれが杖を持ってくるように命じます。そして主が誰かにしるしを示されたら、彼女はその人の妻となるのだというのでした。するとその中の一本の杖から鳩がでてヨゼフの頭に舞い降ります。
そのときヨゼフは「わたしには息子たちもあるし、年寄りです」といって断るのですが、神を恐れなさい、断ってはならないとさとされ、保護者となることを引き受けたというのです。
この物語によりますと、イエスにはヨゼフの連れ子である腹違いの兄弟がいる、ということになります。 ヨゼフはマリアを引き取った後、、建築の仕事のために家を離れます。そして戻ってきてマリアの懐胎を知り、「私は彼女を主なる神の神殿から引き取ったのに、マリアを守らなかったといって、激しく泣きます」
(しかし、このときマリアは16歳であったといいますので、保護者として12歳のマリアを引き取っておきながら、建築のために4年間も家を留守にする事は考えられませんので、ここに大きな時間的な矛盾が見られます。)
ヨゼフははじめ彼女が罪を犯したのかと思いますが、マリアの口からどうしてそのようになったか知らないとの言葉を聞き、「彼女の罪を隠せば律法に反することになるし、明らかにすれば罪の無い血を死の判決に引き渡すことになる。それでは密かに離縁しよう」・・そう決心するところへ神の使いが現れ、聖霊によって身ごもっていることを告げますので、ヨゼフは神を賛美し彼女を守護した。・・とあります。
聖書的考察
きょうの福音の中で特別に注目したいのは、エルサレムに上るときには“両親”が主語であったのが、エルサレムから下るときには“イエス”に代わっていることです。それは、神の子としてのイエスの姿がエルサレム神殿で示されたからです。
これは雨上がりの虹のように突然出現した、ひと時のさわやかな出来事です。このあと、時がくるまでイエスはナザレでふだんの
生活に戻りますが、物語の主人公が両親からイエスへと移行し始めたことをこの主語の変化は示しているのです。
イエスの不在に気づいた両親はエルサレムへととって返し、神殿でイエスを見つけます。神殿に居合わせた人々はイエスの賢い受け答えに驚嘆しますが、両親は驚き「なぜこんなことをしてくれたのです。」とイエスを戒めます。
一緒に暮らしていない他人はかえってイエスの輝きを見落としはしませんが、子は親に従順であるべきだと思いこんでいる両親には、その輝きが隠されています。
隠されているから「ご覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」とたしなめます。この個所を読むたびに、拉致被害者の家族のことを思います。そしてマリアとヨゼフの不安と後悔を。
次の節でイエスは「どうして私を捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」といって、神との関わりをはっきり述べますが、両親にはイエスの言葉の意味が分かりませんでした。
天使ガブリエルを通してイエスが誰であるか知っているはずのマリアであっても、イエスの言葉が理解できずに、イエスをたしなめています。
しかしマリアは「これらのことを全て心に納めていた」とも書かれています。言葉の理解はいちどきに終わるとは限りません。
完全に理解できなくとも、すべてを心に納め暖め続けること、それがイエスを知ることにつながるからです。
家族はできるだけ助け合って寄り添って生活します。
家族は、同じ問題を一緒に考え、解決しようと努力します。
わたしたちも、よく理解できなくても、できるだけマリアのようにイエスの言葉を心に納めるようにしたいものです。そうすれば、マリアの子供、イエスの兄弟として、聖家族の一員に加えていただけるでしょう。そしてイエスの祝福を豊かにいただくことができるでしょう。
今日の社会には、家族関係の崩壊が見られます。
イースタービレッジは虚弱児の施設でしたが、今は児童養護施設になっています。その入居児童の多くは、家庭崩壊によるのです。
ドンボスコ学園 サレジオ学園 マルコの家 経堂憩いの家など
核家族も崩壊、父子家庭母子家庭、幼稚園も延長保育が当たり前になっています。
現代のオアシスといえるのは 子供食堂かもしれません。
世界に目を向ければ、内戦による難民の増加に歯止めがかからず
家を失い崩壊する家庭が増えています。生活のための人身売買、子供の拉致、兵士、児童結婚など・・・、聖家族の祝日に当たり、これ以上家庭崩壊が進まないように、共に祈りたいと思います。