司祭の言葉 10/24

年間30主日

 目の見えない人の苦悩はいかばかりでしょうか。 
 朝霞の主任司祭だった犬飼い神父さんは、晩年は目が悪くなり、大きなレンズを通して典礼書を見ていましたから、ミサを捧げるにも苦労していました。
 小生も、おととしの春、見えにくくなって白内障の手術を受けました。手術室にいたのは25分ほど、それでも時間のかかった方です。日帰りで翌日には眼帯が外れました。すごいですね、母が手術をしたときには動かないように目に重しを乗せて、二泊ほどしたように思います。おかげで今は、レンズが入っていますので、視力は1.2あります。
 目の見えない自分を想像することができません。人間の情報の80%は目から入るのだそうです。とても不自由で、不安だと思います。

 今日の聖書の言葉は、ティマイの子・バルティマイのお話です。
 当時目の見えない人が生きてゆくのは本当に大変でした。障害は罪の結果だと考えられ、障害者は罪びととして差別されたからです。視力を失った彼は、道行く人に物乞いをするほかには、生活の糧を得る方法がなかったのです。

 バルティマイはどんなに目が見えなくても、誰よりも早くイエス様の足音を聞きつけました。手探りをしながらでも駆けつけようとしました。彼の目は閉じられていましたが、霊的な目ははっきりと開かれていて、目が見えないと言う障害も、イエス様に近づくための障害にはなりませんでした。また、彼の切実な叫びをだまらせようと制止するまわりの力に対しても、バルティマイは屈しませんでした。それどころか、彼はますます叫び続けたと書かれています。

 イエス様はエルサレムの途上にありました。そしてエリコの町に入ります。ここからはあと24キロほどです。
 弟子たちはイエス様を囲んで話を聞きながら道をたどっていました。
 逍遥学派という言葉があります。アリストテレスが創設した古代ギリシャの哲学者のグループで、逍遥(散歩)しながら講義を行ったからです。
 私の神学生の時も、夕食後は庭を、先生を囲み逍遥しながら、多くの話を聞きました。イエス様も歩きながら多くのことを教えたのです。
 大事な話を聞き漏らすまいとしていた弟子たちにとって、バルテマイの、イエス様を呼ぶ声は邪魔だったのでしょう。多くの人が叱りつけて黙らせようとしたとあります。

 救いに飢え乾くバルティマイの切なる願いさえ、周囲の人々は非情にもさえぎろうとしましたが、でもイエス様は、道端に座り込む者の苦しみにも目を留めるメシアです。その叫びを聞き彼を呼びなさいと命じます。

 彼は上着を投げ捨て、躍り上がってイエス様のところに来ました。この上着は、夜は彼のからだを寒さから守る唯一のものであり、昼間は投げられる硬貨を一円でも失われないよう確実に受け止めるため、ひざの上にいっぱいに広げられていたものだろうと思います。それは彼にとってなによりも大切なものでした。
 それなのに彼は、自分の持ち物も安全も手放すかのように、イエス様のもとに向かいます。メシアとの出会いは唯一の上着をも投げ捨てるほどの喜びでありました。

 私たちはどうでしょうか。イエス様のように小さき者の声に耳を止めているでしょうか。私たちも心の目が見えないのではないでしょうか。
 そしてバルティマイの信仰をご覧になり、癒しはなされました。

 ここに私たちの模範とすべきものが、示されています。 

先ず、バルティマイの本気さ。 
 漠然とイエスに合いたいと言うのではなく必死の願いでした。
次いで、イエスの召しに対する応答は即座に、熱心になされました。
 そのため大切な、でも今は邪魔な上着を脱ぎ捨てたのです。
 多くの場合私たちはやりかけたことを終えるまで待とうとしますが、バルティマイは
 イエス様が呼んだ時、弾丸のようにやってきました。
そして、ただ一度しか起こらないチャンスというものがあります。
 時々間違った生活を精算し、イエスにもっと自分を捧げたいと思うことがありますが、
 しかし、その瞬間にそれを行動に移すことをしない。
 そして機会は去り決して戻ってこないのです。
最後に、バルティマイは感謝の人でした。
 道ばたの乞食でしたが、見えるようにして貰って彼はイエスに従ったのです。