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「今月のお知らせ」2020年

1・2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

12月のお知らせ

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12月の予定

11月のお知らせ

連絡

11月の予定

10月のお知らせ

連絡

10月の予定

9月のお知らせ

報告

連絡

9月の予定

8月のお知らせ

連絡

8月の予定

7月のお知らせ

連絡

7月の予定

6月のお知らせ

連絡

6月の予定

5月のお知らせ


ミサ予定 
コロナウイルス対策のため、5月24日(日)までのすべてのミサはお休み(おやすみ)します。

For the outobreak of new coronavirus,all public Mass will be suspended until May 24th
Về sự lây lan hiện tại của nhiễm trùng
Do thông báo từ giám mục, đại chúng vào tháng Năm sẽ bị hủy cho đến ngày 24.
Lịch trình sau ngày 30 sẽ được đăng sau.
Hãy chăm sóc bản thân tốt



4月20日(月)より電話番号が変わりました。
新しい番号は、電話が:048- 627-1042
       FAX専用が:048- 877-4527  となります。

またホームページのアドレス(URL)も5月1日より変わりました。
plalaよりsakuraweb.comに変更しました。

★教会のHPのURLが5月1日よりPLALAからSAKURAに変更になりました。下記参照。カトリック春日部教会で検索しURLが正しければそのページを見る。またはさいたま教区のHPに行き春日部教会のWEBを見てください。メールアドレスの変更はありません。

4月のお知らせ

4月のミサ・典礼予定 (2020年3月26日変更)

新型コロナ対策のため、4月26日(日)復活節第3主日までミサはお休みになりました。
4月 3日(金) 初金ミサ 10:00
4月 5日(日) 受難の主日 ミサ 10:00 ベトナム語ミサ 14:00
4月 9日(木) 聖木曜日 主の晩餐 19:00
4月10日(金) 聖金曜日 主の受難 19:00
4月11日(土) 聖土曜日 復活徹夜祭 19:00
4月12日(日) 復活の主日 10:00
4月19日(日) 復活節第2主日 10:00
4月26日(日) 復活節第3主日 10:00 英語ミサ 14:00
※教区からの特別の指示があれば変わります。


[行事予定]
※第1回教会委員会 4月5日(日) ミサ後。
※ひつじ食堂 4月11日(土) 12:00~
※薫神父の信仰講座(最終回・予定) 第1土曜日(4/4) 10:00~12:00 

於: 多目的ホール
※教会史に親しむ会(予定) 第1・4土曜日 (4/4, 4/25) 13:00~14:30
於: 事務室
※「智も手も」第382号編集・印刷4月19日(日)、ミサ後。
原稿は4月12日(日)までに。(※ 中止・変更の可能性あり。)

3月のお知らせ

3月のミサ予定
3月 1日(日) 四旬節第1主日 10:00 (洗礼志願式・赦しの秘跡)ベトナム語ミサ 14:00
3月 6日(金) 初金ミサ 10:00
3月 8日(日) 四旬節第2主日 10:00 (四旬節黙想会)
3月15日(日) 四旬節第3主日 10:00 (赦しの秘跡)
3月19日(木) 聖ヨセフ(祭日) 10:00
3月22日(日) 四旬節第4主日 10:00 英語ミサ 15:00
3月25日(水) 神のお告げ(祭日) 10:00
3月29日(日) 四旬節第5主日 10:00

1・2月のお知らせ

1月・2月のミサ予定
1月 1日(水) 神の母聖マリア 0:00 11:00
――(初金ミサは休み)――

1月 5日(日) 主の公現 10:00 ベトナム語ミサ 14:00
1月12日(日) 主の洗礼 10:00
1月19日(日) 年間第2主日 10:00
1月26日(日) 年間第3主日 10:00 英語ミサ 15:00
2月 2日(日) 主の奉献 10:00 べトナム語ミサ 14:00
2月 7日(金) 初金ミサ 10:00
2月 9日(日) 年間第5主日 10:00
2月16日(日) 年間第6主日 10:00
2月23日(日) 年間第7主日 10:00 英語ミサ 15:00
2月26日(水) 灰の水曜日 19:00

[行事予定]
※新年ティー・パーティ 1月1日(水) 11時のミサ後。

※福音化年学習会 (自分の言葉で福音を語ろう)
✦1月12日(日) 12:00~13:00
✦2月2日(日) 12:00~13:00

※ひつじ食堂
 ✦1月11日(土) 12:00~
 ✦2月8日(土)  12:00~

※藤田薫神父の信仰講座
(1月) 第4土曜日(1/25)
(2月) 第1・5土曜日(2/1, 2/29)
10:00~12:00 於: 多目的ホール

※教会史に親しむ会
(1月) 休み
(2月) 第1・3・5土曜日
(2/1, 2/15, 2/29)
13:00~14:30 於: 事務室

※「智も手も」第380号編集・印刷
2月16日(日) ミサ後
原稿は2月9日(日)までに。

司祭の言葉 8/9

※2020年8月09日 年間第19主日A年

「私だ エゴ、エイミ」

                     司祭  鈴木 三蛙
 ウイズコロナと言われている今日、三密を避け、何とかミサを行っていますが、お年寄りは教会にもこれません。命を守る行動が求められていて、お盆の帰省の時期ですがお年寄りに移さないように、帰省も控えねばなりません。心細い今こそ子供たちにそばに来てほしいと思いますし、お孫さんたちもじいじ、ばあばのところへ遊びに行きたいとおもっている。だから、孫を連れて行って喜ぶ親の顔が見たいけど、万が一うつしてしまったら・・そう思うと帰省できないとの決断をします。今年はどれほど多くの人がそのような決断をしたことでしょう。

 今日の福音をお聞きになって、どこが一番気になるでしょうか。イエス様が水の上を歩いたことでしょうか?そしてどのような現象なのだろうと考えたりしませんか?今の時代はすべてを科学的に分析して、納得いく答えを見つけようとします。未知のものに出会うと、それをとことん研究して、納得して、安心するのです。そのような試みは、水の上を歩くイエスについて、いくつかの答えを出しています。でも今日は、イエス様の一つの言葉に注意を向けたいと思います。

 今日取り上げたいのは、「私だ」という言葉です。弟子たちはイエスに促されて対岸を目指し、湖に漕ぎ出しました。でも、この湖特有の突風にいなってそのような弟子たちのところへイエスが近づき、いるはずのないイエスの姿を湖上に見つけ幽霊だとおびえます。
 そのときイエスは「私だ」といい、弟子たちは胸をなでおろすのです。この言葉は、出エジプト記の芝の章で、モーセにご自分をあらわされた主が、その御名の啓示として言われた言葉と同じ言葉です。その時主は「わたしは在るというものだ」とおっしゃったのですが、それはギリシャ語で「エゴ、エイミ」ということばです。そこには二つの意味があって、私は誰からも創られず存在する・・という意味と、私はいつもあなたたちと共に在る・・という二つの意味があるのです。神の救いの歴史はまさに、「私はあなたたちと共に在る」ということを具体的に示してきた歴史でした。そして今恐れおののく弟子たちに、「私だ」といったとき、主が語られた言葉は「エゴ、エイミ」でした。「私はあなたとともに在る、恐れるな」と語りかけたのです。
 いま私たちは弟子たちのように、得体のしれないコロナによる恐れのただなかにいるのではないでしょうか。コロナは目に見えず、薬も治験の途中でまだ出来上がっていません。でも、恐れる私たちにも主は「私だ」私はあなたと共に在る・・とおっしゃって下さるのです。
 エゴ、エイミ この言葉を心にとめ、この難局を乗り切ってゆきましょう。共に主を大きな声で賛美できる日を待ち望みながら。

司祭の言葉 5/10

※5月10日(日)復活節第5主日

私は道 司祭 鈴木 國弘 

 福音はヨハネによる福音の14章1節から12節。イエスが弟子たちに「あなた方のために場所を用意しに行く、その道をあなた方は知っている」と言い、トマスが「どうしてその道を知ることが出来るでしょうか」尋ねる箇所です。このときイエスは「私は道だ」とおっしゃいます。

教会にいると時々、教会までの道順を尋ねられることがあります。

春日部駅からですと、西口に出て駅を背にして藤通りをまっすぐに歩いて、右手にジョナサン、左手に歯医者さんのある信号のない十字路を左折。そのまままっすぐ歩いてくると左手に「たいらや」と言うスーパーが見えたら、その手前右側が教会です。そう説明すればたどり着けるでしょう。

 しかし、「道を聞いてそのとおり歩いたけど目的地にたどり着けなかった」と言う経験もおありだとおもいます。

 皆さんの中に歩いているときに道を聞かれ、ただ教えるだけではなく道案内をして連れて行ってあげたことのある人はおられますか?

 最近は家電売り場など大きな店が多くなりました。どこに何があるのか探すのに苦労しますが、でも、場所を聞いたときに、その場所まで案内してくれる店も多くなりました。そんな時はとてもうれしいですね。

 もし道を尋ねられた人が「わたしがご案内いたしましょう」と言うなら、その場合案内をしてくれる人はわたしにとって道であり、わたしが道に迷うことはありえません。これが、イエスがわたしたちにしてくださったことなのです。

 イエスは単にわたしたちに助言や、指示や、忠告を与えるのではありません。イエスは手ずからわたしたちを導き、わたしたちと主にあゆみ、そしてわたしたちを個人的に日ごとに強めてくださるのです。イエスは道について語りはしない。イエス自身が道なのです。私たちも同じようにできたらいいですね。

 皆様の上に、主の祝福がありますように。アーメン、アレルヤ

司祭の言葉 5/17

※5月17日(日)復活節第6主日A年(ヨハネ14章15-21節)

司祭  鈴木 國弘

 主の平和!! 皆さんいかがお過ごしでしょうか? 三密にならないようにするために、小さいお子さんをお持ちのご家庭は、とくにご苦労なさっていることと思います。14日さいたま教区の中で、茨城、栃木、群馬は新型コロナウイルス感染予防のための緊急事態宣言が解除されましたが、埼玉県はいまだその最中にあります。

先週間違って31日までと書いてしまったのですが、教区が公開ミサを禁止しているのは5月30日までです。間違いをお詫びします。緊急事態宣言がそれまでに埼玉県も解除されれば、公開ミサ禁止の延長はなくなり、31日には聖霊降臨のミサが出来るかもしれません。その時には密にならないような工夫が必要になるでしょう。特に春日部教会は信徒数が多いので、ミサに集中しないようにするためには分散しなければなりません。小生は、そのためにはもう一回ミサを増やすしかないと考えています。皆さんのお知恵を拝借したいと思います。

2011年、東日本大震災の後川越少年刑務所へ行きましたときに、受刑者たちの中から「神様がいるなら、どうして今回の大震災と大津波のような出来事がおこるのですか・・・」と言う質問がありました。 「なぜ?」・・その疑問に対する答えはすぐには見つかりません。今回の新型コロナウイルスの世界的流行もそうですが、きっとわたしたちがこの困難を克服したときに、答えが見えてくるのではないでしょうか。

今回のコロナウイルスによる被害は世界中を震撼させています。テレビには、街から人影の消えた世界中の様子が日々放映され、その恐ろしさを共有していますが、でも心強いのは、世界中が知恵を尽くし、この未曽有の災害を克服すべく立ち上がっていることです。行政もそうですが、特にお医者さんや看護師、医療関係者の皆さんは、死と隣り合わせの中で命を守るために懸命に戦っています。

わたしたちはこの世界をどのように感じているでしょうか。 わたしたちは自分の人生の中で、愛に反する現実をたくさん経験してきています。暴力、裏切り、無関心などなど。しかし、わたしたちの人生はそれらに覆い尽くされているわけではありません。愛の体験も必ずあるはずです。今回の新型コロナウイルスのパンデミックを通じても、見えてくるものがたくさんあると思います。企業も自営業の方々も、自粛の要請に応え、倒産失業の恐怖に耐えながら、感染者を広げないために、命を守るために、ぎりぎりのところで頑張っています。多くのボランティアもその愛のすばらしさを見せています。

 さて、今日の福音の中心にあるのは「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」(18節)という力強い約束です。そして、別の弁護者が約束されています。

神の名は YHWH(わたしはある)と言う名でモーセに示されましたが、ここに

三位一体の神の役割分担が見えます。「わたしはある」・・と言われた神は、私たちを創造し、あがない、永遠にともにおられる・・のです。

聖霊は「別の弁護者」と呼ばれています。ヨハネの第一の手紙2章1節ではイエス様ご自身を「弁護者」と言っていますから、聖霊を「別の弁護者」と呼んでいるのです。 ヨハネ福音書が書かれた1世紀末、キリスト者は完全にユダヤ教から排斥され、ローマ帝国はキリスト教を激しく迫害していました。イエス様のこの約束の言葉が、人々を勇気づけていたことと思います。そして、ヨハネ3章16節の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」という言葉はとても深く心に響いたことと思います。イエス様と聖霊がともに弁護者として私たちを助けて下さるのですから、フィリッピの信徒へ宛てた聖パウロの言葉を思い起こしながら、勇気をもって共に困難に立ち向かってゆきましょう。

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリッピ人への手紙4章13節) 

皆様の上に神様の祝福がありますように。

司祭の言葉 5/24

※2020年5月24日(日)復活第7主日A年

主の昇天    司祭 鈴木 國弘

 春日部教会の皆さんお変わりありませんか? さいたま教区では司教様が次の対策を準備中です。25日に政府の発表がありますから、そのあとになると思いますが、発表され次第皆さんの手元にお届けいたします。ミサが開始されたらどのようにクラスター対策をするか、教会で考えをまとめておくことが大切です。どうぞ役員の皆さんにご意見をお寄せください。

24日は主の昇天の祝日です。

 NHKの番組ぽつんと一軒家では、空中から地球を眺め、森などの中にポツンと見える一軒家を尋ねてゆきますが、カメラはぐんぐん地表に近くなり、その家や周りの外観をとらえて、その場所を探しにゆきます。

ご昇天のイエス様の目から見ればその逆で弟子たちの姿はだんだん小さくなってゆくのでしょう。でも私たちの目から見るイエス様はどうなのでしょう。

皆さんは空を見上げるのはどのような時ですか?子供のころ縁日などで買ってもらったゴム風船が、大切に持っていたはずなのに、突然スーッと手を離れて空の方に登って言った経験。それをあーっと手を伸ばしても、ぐんぐん上の方に登って行ってしまったのを、ただ残念に思いながら見送った経験はありませんか?

 空を見上げていた弟子たちも、大切なものが傍を離れて行ってしまって、手が届かなくなり、ただ見送っていたと言う感じなのかもしれません。

ひとむらの雲がイエスを隠したとあるのは、神の「栄光」のうちに入られたことを雲という言葉で示しています。旧約聖書では神の栄光は雲の中に表現されています。そして、 天は「場所」ではないのです。だからでしょうね、「何故天を見つめて立っているのか」と言われたのは。聖書では 神の栄光・・・それは神の卓越性を示しています。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。

大切なのはイエスが去られたことではなく、イエスが神の栄光を示されたことです。そして神もまたイエスに栄光を与えたのです。その、神の栄光とは、神の愛そのもの。 

 神の栄光はエジプト脱出の時、もえる芝の中にあらわれ、シナイ山では、もえる炎の中から律法を書き記した板を頂きました。その火は神の栄光であり、その栄光は神のご自分の民に対する途方もなく大きな愛でした。そして、その愛は、新約に於いて、キリストの誕生と、十字架、復活を通して現れ、その昇天を持って完成するのです。
 その天に昇られた主は、わたしたちの中に住まわれます。教会だけが祈りの場所ではありません。一人一人はそれぞれ聖なる宮を携えているのです。わたしたちはそのことを、その宮に入ることを忘れてはいませんか? 今日はそのことをもう一度思い起こす日です。