司祭の言葉 11/1

「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」

諸聖人の祭日の黙想 マタイ5:1-12a

諸聖人方を11月1日のミサで記念するカトリック教会の伝統は、英国とアイルランドが起源ではないかと言われます。英国では現在でも11月を「聖徒の月」と呼び、ちょうど日本のお盆のように、英国の人々にとっては教会でのミサの後に教会墓地を訪う時とされ、どの墓地もきれいに清められ、まるで花壇のように花で埋め尽くされます。亡き方々を偲ぶ人々の思いは洋の東西を問わず変わりません。

今日、諸聖人の日。諸聖人の筆頭として、主の十二弟子たち。さらに、ご復活のキリストご自身から「みことば」「聖霊」を受けた聖パウロ始めすべての聖人方を記念いたします。彼らの中にはわたしたちと同様に、あるいはわたしたちに代って地上の生活で多くの苦しみを負い、あるいは自らの弱さと戦われた方々もおられます。

聖人の「聖」とは、いかなることなのでしょうか。聖書においては、「聖」である方は、神お一人です。主イエス・キリストお一人です。このことははっきりしています。そうであれば、「聖人」とは、生まれながらに聖い人と言うよりも、主の「みことば」と「聖霊」を受け、神によって「聖くされた人」のことではないでしょうか。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。・・・

心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。・・・」

「心の貧しい人々は、幸いである」と、主イエスは仰せです。「貧しい人々」とは、主の他に頼る方がいない者たち、すなわち、わたしたちのことです。「天国、神の国」について、わたしたちは主イエス以外にいったい誰を頼ることができるでしょうか。そのわたしたちに、「神の国の主キリスト」は、「天国」を約束してくださいます。

主イエスのこれらのおことばは、昔は「真福八端」と呼ばれていました。わたしたちに対しての、八つの詩句からなる主イエスの「祝福のみことば」です。ご自身「聖」なるがゆえにわたしたちを「聖とする」ことがおできになる神の祝福です。わたしたちが「聖とされ、天国を約束されること」。実は、それこそが主イエスの祝福です。

わたしたちが主イエスによって「聖とされ、天国を約束される」。それは、わたしたちが「神の国の主イエス・キリストのものとされる」ことです。それを使徒ヨハネは、「御子キリストに似た者となる」(1ヨハネ3:2)と教えていました。わたしたちが「聖とされ、天国を約束される」、つまり主イエスから祝福されるとは、「御子キリストに似た者とされる」こと主に祝福された「聖人」こそ、「キリストに似た者とされた方」です。

その祝福を主イエスはいかにしてわたしたちにお与えくださるのでしょうか。「祝福のみことば」とその祝福をわたしたちの内に成就させてくださる「聖霊」によって。「聖霊」は、主の「みことば」と共に働いて、わたしたちに「イエスは主である」と告白させてくださいます。「みことばと共に働かれる聖霊」こそ、洗礼においてわたしたちを新たに生まれさせ、ミサで、わたしたちの捧げるパンとブドウ酒をご聖体、主キリストご自身の御からだと御血、主ご自身のいのちに変えてくださる方です。

「みことばと聖霊」において、主イエスがわたしたちにくださるのは主ご自身です。主はご自身を与えることによって、わたしたちを「聖」とし、「キリストに似た者」としてくださいます。それが主の祝福です。主イエスこそ、神の祝福そのものだからです。今日わたしたちが記念する主の十二使徒たちを始め、教会の歴史に輝く諸聖人方は、主イエスご自身を祝福として受け「キリストの似姿に変えられた」方々です。

今、わたしたちもこのミサで、諸聖人方のように、「主よ、わたしたちにみことばと聖霊をください」と、主イエスに願います。主は、わたしたちにも必ず「みことば」とともに「聖霊」を、すなわち主ご自身をくださいます。主は小さなわたしたちにも、ご聖体において、主ご自身を祝福としてお与えくださいます「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と、主は仰せです。

わたしたちは、諸聖人方とは比べるべくもないかも知れません。しかし、主イエスがご聖体においてわたしたちにもお与えくださる主ご自身は、主の十二使徒始め、すべての諸聖人方にお与えになられた主とまったく同じ主ご自身であるはずです。主は今も、いつも、代々に一人なる同じ主であられるからです。わたしたちのような小さな者にさえご自身をお与えくださる主を、その恵み故に、心から畏れます

諸聖人方は、「天の国」で、主イエスのみ前に主を褒め、主を称えていると信じられています。地上での生涯において、主ご自身を祝福として受け、天に帰られた諸聖人方の主への愛と感謝は、現在のわたしたちの思いを遥かに超えていると思います。しかし、いつかわたしたちも彼らの賛美に加わらせていただきたいと願います。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。