司祭の言葉 10/31

年間第31主日 (マルコ12章28b-34節)

 旧約聖書には数え切れないくらい多くの掟(戒め)がありますが、人は、余りに多くの言葉に接すると困惑して「要するに何ですか?」と訊きたくなります。
 今日の所で一人の律法学者が、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(28節)とイエスに尋ねたのも、同じ気持ちからでしょう。この人なら、少ない言葉で単刀直入に要点を教えてくれるだろうと期待したのかも知れません。

 この問いに答えて、イエス様はまよわずに次の言葉を挙げました。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。 申命記6章4-5節の引用です。
  神を愛するとはどういうことでしょうか。ここは、本田哲郎訳では「心のそこから、自分のすべてをかけ、判断力を駆使して、力のかぎり、あなたの神、主を大切にせよ」となっています。キリシタン時代の人は「神の愛(ラテン語のカリタスcaritas)」のことを「御大切(ごたいせつ)」と訳したと言われます。「

 申命記ではこれに続いて次の言葉があります。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額(ひたい)に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」(申命記6章6-9節)。・・・それほど重要な掟でした。

 それに続けて、間をおかず、イエスは第二の掟を挙げます。レビ記19章18節の言葉です。 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」。
 そして、「この二つにまさる掟はほかにない」(31節後半)と言います。
これは、マタイの並行箇所では「律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている」(22章40節)となっています。

 タルムードの話です。ある異邦人が「ユダヤ教に改宗したい。ただし条件がある。片足で立っている間に律法をわかるように教えてくれ。とラビのシャンマイのもとへ行きます。するとシャンマイは、「一生かかってもまだ完全には理解できないのに」・・・と測り棒でたたきだしました。 追い出された彼は次に、ラビ・ヒレルのもとに行きます。するとヒレルはよろしいと答え、彼が片足で立つと、愛の掟を否定的な表現で「あなたのしてほしくないことは他人にしてはならない。あとは自分で実践して学びなさい」そう答えたといいます。

 ルカの平衡個所(10の27)では、私の隣人とは誰ですかという質問が続き、サマリア人の例えが語られますが、レビ記も決してユダヤ人だけを愛すればいいと教えているわけではありません。

「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである」(レビ記19章34節)。

ここで、「自分自身を愛するように」と言う言葉に疑問が投げかけられます。
 自分自身を愛せない人はどうするの・・・という問いかけです。
 理由は様々ですが、自分自身を愛せない人もいるのが現実です。

そしてイエス様はそのような疑問にこたえるかのように、新しい掟をくださいます。  「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13の34)

レビ記の隣人愛の根拠は、寄留者であったあなたたちを神が愛され、奴隷状態から解放された。だから「神があなたたちを愛されたように、あなたたちも寄留者を愛しなさい」ということでした。
 そして新約の根拠は「私があなたたちを愛したように」ということです。

ではイエス様はどのように私を愛してくださったのか
 そこは福音を読み込むことによって、第二のアダム・キリストの生き方に倣うことによって、キリストの愛に触れることができるのではないかと思います。

司祭の言葉 10/24

年間30主日

 目の見えない人の苦悩はいかばかりでしょうか。 
 朝霞の主任司祭だった犬飼い神父さんは、晩年は目が悪くなり、大きなレンズを通して典礼書を見ていましたから、ミサを捧げるにも苦労していました。
 小生も、おととしの春、見えにくくなって白内障の手術を受けました。手術室にいたのは25分ほど、それでも時間のかかった方です。日帰りで翌日には眼帯が外れました。すごいですね、母が手術をしたときには動かないように目に重しを乗せて、二泊ほどしたように思います。おかげで今は、レンズが入っていますので、視力は1.2あります。
 目の見えない自分を想像することができません。人間の情報の80%は目から入るのだそうです。とても不自由で、不安だと思います。

 今日の聖書の言葉は、ティマイの子・バルティマイのお話です。
 当時目の見えない人が生きてゆくのは本当に大変でした。障害は罪の結果だと考えられ、障害者は罪びととして差別されたからです。視力を失った彼は、道行く人に物乞いをするほかには、生活の糧を得る方法がなかったのです。

 バルティマイはどんなに目が見えなくても、誰よりも早くイエス様の足音を聞きつけました。手探りをしながらでも駆けつけようとしました。彼の目は閉じられていましたが、霊的な目ははっきりと開かれていて、目が見えないと言う障害も、イエス様に近づくための障害にはなりませんでした。また、彼の切実な叫びをだまらせようと制止するまわりの力に対しても、バルティマイは屈しませんでした。それどころか、彼はますます叫び続けたと書かれています。

 イエス様はエルサレムの途上にありました。そしてエリコの町に入ります。ここからはあと24キロほどです。
 弟子たちはイエス様を囲んで話を聞きながら道をたどっていました。
 逍遥学派という言葉があります。アリストテレスが創設した古代ギリシャの哲学者のグループで、逍遥(散歩)しながら講義を行ったからです。
 私の神学生の時も、夕食後は庭を、先生を囲み逍遥しながら、多くの話を聞きました。イエス様も歩きながら多くのことを教えたのです。
 大事な話を聞き漏らすまいとしていた弟子たちにとって、バルテマイの、イエス様を呼ぶ声は邪魔だったのでしょう。多くの人が叱りつけて黙らせようとしたとあります。

 救いに飢え乾くバルティマイの切なる願いさえ、周囲の人々は非情にもさえぎろうとしましたが、でもイエス様は、道端に座り込む者の苦しみにも目を留めるメシアです。その叫びを聞き彼を呼びなさいと命じます。

 彼は上着を投げ捨て、躍り上がってイエス様のところに来ました。この上着は、夜は彼のからだを寒さから守る唯一のものであり、昼間は投げられる硬貨を一円でも失われないよう確実に受け止めるため、ひざの上にいっぱいに広げられていたものだろうと思います。それは彼にとってなによりも大切なものでした。
 それなのに彼は、自分の持ち物も安全も手放すかのように、イエス様のもとに向かいます。メシアとの出会いは唯一の上着をも投げ捨てるほどの喜びでありました。

 私たちはどうでしょうか。イエス様のように小さき者の声に耳を止めているでしょうか。私たちも心の目が見えないのではないでしょうか。
 そしてバルティマイの信仰をご覧になり、癒しはなされました。

 ここに私たちの模範とすべきものが、示されています。 

先ず、バルティマイの本気さ。 
 漠然とイエスに合いたいと言うのではなく必死の願いでした。
次いで、イエスの召しに対する応答は即座に、熱心になされました。
 そのため大切な、でも今は邪魔な上着を脱ぎ捨てたのです。
 多くの場合私たちはやりかけたことを終えるまで待とうとしますが、バルティマイは
 イエス様が呼んだ時、弾丸のようにやってきました。
そして、ただ一度しか起こらないチャンスというものがあります。
 時々間違った生活を精算し、イエスにもっと自分を捧げたいと思うことがありますが、
 しかし、その瞬間にそれを行動に移すことをしない。
 そして機会は去り決して戻ってこないのです。
最後に、バルティマイは感謝の人でした。
 道ばたの乞食でしたが、見えるようにして貰って彼はイエスに従ったのです。

司祭の言葉 10/17

年間29主日B年

 歴史を振り返れば、有名な専制君主は古今東西を問わず、圧政によって支配してきました。そして今なお、多くの国で、権力はまさに力と暴力によって行使されています。
 現在のミャンマーも香港も民衆の願いは、力によって封じ込められてきました。アフガニスタンも武力が支配し、民衆の自由は封じ込められています。
 2019年末で紛争や迫害により故郷を追われた人の数は7950万人となり、97人に一人となっているとのことです。

今日のパンフレット(聖書と典礼)の下の説明に、三回目の受難予告に続く箇所・・・とあります。イエス様はこれまで弟子達に、ご自分の生命が犠牲として捧げられるもの、であることを三度告げました。受難の予告です。しかし三度とも、この世の権力を夢見ていた弟子達には、イエス様の言わんとするところが理解できませんでした。

 戦の前に恩賞を約束し、配下の戦意を高揚させるのは指揮官の常套手段なので、彼らは「世の常にならって、わたしたちにも恩賞を約束して下さい」と願ったと思われます。

 イエス様の答は「あなたがたは、自分が何を願っているかわかっていない。このわたしが飲む杯をのみ、このわたしがうける洗礼を受けることが出来るか」というものでした。

イエスの栄光にあずかるためなら、彼らはどのような苦しみにも耐える覚悟ができていたのでしょう。二人の弟子は39節で「できます」と答えます。

「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」とおっしゃいましたが、イエス様は報いとしての地位を彼らに約束しませんでした。そして「定められた人々にゆるされる」とおっしゃいました。「神がお決めになることだ」という意味で、それはあなたにもわたしにも関係ない、と言うのです。

(ヨハネの最期は聖書に伝えられていませんが、ヤコブは後に殉教したと伝えられています  使徒言行録12・1-2)。

 他の10人は腹を立てます。自分たちも同じようなことを考えているのに、ヤコブとヨハネに先を越されたからです。 そうでなければ腹を立てる必要はありません。

 そこでイエス様は弟子達を呼び集め、他者に愛をもって使えるという教えを再度たたき込みました。 「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た。」

 しかし、神の国での権能は、他者が必要としていることに、謙遜に仕えることで行使されます。イエス様は夜遅くまで様々な病気を癒したり、長時間群衆に教えたり、町から町へ福音を宣教して歩いたり、人々の悩みに耳を傾けたり、と言った模範を示しました。

 イエス様は報酬を求めず、分け隔てをせず、何も要求しませんでした。イエス様は他者のために存在する人として生きました。そして弟子達の足を、自分を裏切る事となる者の足をも洗うことで、弟子達に、仕えると言うことの最高の模範を示す日がやがてやってくるのです。

 幸い教会ではこのイエス様の教えを生きようとする信者さん達の姿を多く目にします。
大学の校長であった人でも、病院の理事長であった人でも献金を勘定し、身分の隔てなく全ての人が謙虚に教会活動に奉仕しています・・・。そしてその気になれば、家庭、職場、学校、その他何処ででも、わたしたちも、仕えるキリストの姿に倣うことが出来ます。そしてそれがキリスト教信仰の奥義であるとおもいます。

司祭の言葉 10/10

年間第28主日(B年)(マルコ10.17~27)

 「神父さん、司祭たちの老後はどうなっていますか?」・・時々そのような質問が来ます。今は子供を神学校に行かせるにも、親はそのような心配をします。 
 わたしが神学校に行こうとした当時は、親はそのような心配よりも、「わが子が途中で挫折して戻ってくるのではないか」ということを心配していました。また、貧しかったにもかかわらず、お金の心配もしていなかったようです。当時は「老後の生活」なんて、発想もできなかったのでしょう。それゆえにお金への執着もなかったのではないかと思います。  

 勿論、お金がどれだけあるかによって、生活設計を立てているのが現実です。司祭にも自分の将来は信者さんに迷惑をかけないように、責任を持たなくてはいけないと言う考えがありますから、どうしてもお金の問題は避けて通れません。「お金の心配をしない・・それでいいのだ」という声と、「それじゃいけない」という声が交錯します。

 今日の福音に登場する青年は、なんと真剣なんだろう、と思います。「永遠の生命を得るためにどうしたらよいのですか」この質問に善良な青年の姿を感じます。
 この質問に対して、イエスさまは「おきてを守りなさい」といわれます。「殺すな。姦通するな。盗むな。偽証するな。欺きとるな。父母を敬え」と。十戒の初めの神に関する三つの掟を除いた項目で、人との関係性を示す掟の部分です。これで、永遠の生命に入ることができるといわれます。
 言い換えれば、神を知らない人も救われるという教えが述べられています。周りを見渡せば、親族友人の中でも、神を知る機会もなく、命を神に返す人がほとんどですから、大きな慰めです。

 青年が(マタイでは青年と言っています)その全てを守りましたと答えると、イエス様は一つだけかけていることがあると指摘し、「財産を売って貧しい人達に与えなさい」と教えてから「さあ、わたしに従いなさい」と招きます。

 イエス様は、永遠のいのちを相続するために十戒では不十分であるから、施しという新しい掟を加えたのではありません。むしろ、十戒はほどこしをもふくんでいるのですが、掟を守ることに懸命な青年の視野には隣人の姿が入らない。しかし、十戒は人が隣人と共に生きるために与えられた神の指示です。
 イエス様にとって隣人とのかかわりを欠いた十戒は無意味なのです。
パウロも、「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」そのほかどんな掟があっても「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます(ロマ13の9)と述べて、イエス様の考えを受け継いでいます。十戒を真に生きる者は、施す者になるのです。

 ただし、だからと言ってイエス様の呼びかけに応えられない自分はダメだと決めつけるべきではありません。 「慈しんで」(agapao」)という言葉には、イエス様の深い愛が感じられます。
 イエス様はすべての人に、このような強い要求をしているわけでもありません。
ルカ19章1-10節に徴税人の頭(かしら)で金持ちであったザアカイの物語があります。ザアカイはイエス様に出会い、救いを受け取ったとき、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。 イエス様はザアカイのこの決意を良しとしています。

 なぜ、きょうの箇所ではすべてを捨てて、貧しい人に施す、ということが要求されているのでしょうか?

 イエス様はこの男に「あなたに欠けているものが一つある」(21節)と言います。それはこの人の生き方の問題に気づかせるためだったのではないでしょうか。
 イエス様の言葉を聞いて、彼は「悲しみながら立ち去り」ました。
 こうして、彼が「自分の財産」に全面的に頼りきっていたことが明らかになってしまうのです。 そしてこのことは、私達みなが絶えず反省すべき事だと思います。

 私もあまりに金に頼りすぎてはいないでしょうか。 あなたの心は私のうちにない・・そうイエス様はおっしゃって、嘆いているかもしれません。
 イエス様の言葉です。「あなたの宝のある所にあなたの心もある」(マタイ6の21)

司祭の言葉 10/3

 年間第27主日B年 (マルコ10章2-16節)

 ようやく今日から公開ミサ再開です。ともに聖体祭儀の出来ることを感謝したいと思います。そして引き続き主の哀れみを願ってともに祈りたいと思います。

 熟年離婚が多くなっていますね。ご主人の定年退職後、奥さんの常日頃の不満が爆発。いつも一緒にいるのは耐えられないと・・。 ご主人のほうも奥さんに対する不満があります。部屋の片付けができていない。よく料理を焦がす。遊び歩いてばかりいる。それらも離婚の原因になるのでしょうか?
 女性の社会進出は目覚ましいですね。 幼稚園で運動会の日、ご老人が倒れて、お医者さんがおいででしたらお願いしますというと、女医さんも含め3人が駆け付けました。
 数年前、東京大学医学部では女性の点数を低く抑え、差別をしていたことが明るみにでました。女性の成績がよく、女医ばかりになってしまうと言うのが理由でした。女性の社会での地位は日増しに向上していますが、まだ十分ではありません。国民を代表する国会議員の女性比率は9.9%ですから・・。
 春日部教会は違います。女性の皆さんが大活躍しています。

 ファリサイ派の人たちが離婚の問題をイエスに突きつけたのには、どのような背景があるのでしょうか。
 ファリサイ派の人たちはイエス様がモーセに律法と矛盾したことを言うのを聞きたいと思い、それによってイエスを異端者として、訴える口実を作ろうとしたのでしょうか。
 あるいは、その妻と離婚し別な女性と結婚したヘロデ王をバプテスマのヨハネが糾弾し、捕まえられ首をはねられた、その問題に引き込み、ヘロデ王との敵対関係に持って行こうとしたのでしょうか。
 申命記にはこう規定されていました。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申命記24章1節)。
 日本でも江戸時代に、三行半という離縁状が夫から妻へ、あるいは妻から夫へも渡されることがありました。離別状あるいは去状、暇状とも言います。
 三行半とは、離縁状の俗称です。離縁状の内容を3行半で書く習俗があったことから、このようによばれました。もっとも、必ずしも全ての離縁状が3行半であったわけではありません。多くは前段で離婚文言を述べ、後段で再婚許可文言を述べるのが常でした。
 当時は字が書けない人もいましたが、その場合は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより、離縁状の文言を書いた取扱がされていたそうです。

 当時のラビたちには、この「何か恥ずべき事」のについて、二つの解釈がありました。シャンマイ派とヒレル派です。

 シャンマイ派はこの文言を厳重に解釈し、「何か恥ずべきこと」を妻の側の異性関係の問題とだけ解釈し、どんなに浪費癖のある妻でも、それだけでは離婚できないとしました。一方ヒレル派は「何か」と「恥ずべきこと」を分けて読み、この「何か」を出来るだけ広く解釈しました。彼らは妻が料理をだめにしたり、通りで紡いだり、見知らぬ男と話をしたり、夫の聞いているところで夫の身内を軽蔑する話をしたり、大騒ぎをする女で、隣の家に声が聞こえるような女だとしたと言うことです。つまり、妻のどんな小さな落ち度でも、夫が気に入らないとなれば、離縁する正当な理由になったのです。そして一般に、このヒレル派の解釈が通用していました。
 「離縁状さえ書けば、妻を離縁してよい」これが当時の一般的な考えでした。
 律法学者は皆、男性でしたから、何百年かの間に、この律法は男性に都合のいいように解釈されていきました。 ラビのアキバなどは、この意味を拡大して、男の目に、自分の妻よりも美しい女がいた場合にも当てはまる・・としたと言われています。

 しかしながら、モーセのこの言葉の後の24章の5節には、次のような言葉があります。
 「人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年間は自分の家のためにすべてを免除される。彼は、めとった妻を喜ばせねばならない。」
 そこには妻を大切にすべきことが述べられているのです。

 イエス様は当時の社会の中で、夫に追い出され、路頭に迷う多くの女性たちを見ていたと思われます。そして断固として離縁に反対します。取るに足らぬ理由で、あるいは全く理由なしに離婚されることが普通になった結果、イエス様の時代には結婚が不安定なものとなり、女たちが結婚を躊躇するような事態が起きていたと言います。
 イエス様は結婚を本来あるべき姿に回復なさろうとなさいます。
「神は人を男と女とにお造りになった」
神にかたどって創造された男女が神の前に対等であることを語る箇所です。
「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」
 そして結論として、イエス様はこう言います。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」
 妻とは、神が与えてくださったかけがえのないパートナーです。妻を自分の都合で家に置いたり、追い出したりできる「物」のように考えるのは間違っているのです・・と。 
 そして、イエスの言葉の本来の意味は「離婚してはいけない」という掟ではなく、結婚とは、「互いに相手を神が結び合わせてくださったかけがえのない相手として大切にしなさい」・・・ということであったと思われます。