司祭の言葉 1/23

年間第3主日C年(ルカ1章1-4節、4章14-21節)

 皆様おはようございます。年間第三主日のホミリアです。
 今日の福音ははじめにルカ福音書の序文が述べられ、ガリラヤから宣教が始まった次第を述べています。「多くの人々が既に手を着けています」とあります。マルコ福音書が最初に書かれたと思われますので、ルカはその内容を知っていて、満足していない様子が見て取れます。そして自分なりに満足できるものを書こうと思い立ったのでしょう。
 「テオフィロ」という名の人物に向けて書かれたように見えますが、その存在はわかっていませんので、この名前が「神を愛する人」「神に愛された人」ですので、わたしたちすべてに向けて書かれたもの・・・そう考えられています。

 ヨルダン川での洗礼の時から、イエス様の活動のすべては、聖霊に導かれていたことが強調され、御霊の力に満ち溢れてガリラヤから宣教が始まったことが強調されています。

 イエス様の活動はガリラヤの会堂から始まりました。会堂では聖書(旧約聖書)が朗読されましたが、朗読者を頼むのは会堂司役割でした。当時の書物は巻物でしたので、イエス様はたまたま開いた箇所をお読みになったことになります。

 わたしは、聖書の箇所を探すときには、コンコルダンスという書物を使います。例えば、捕らわれ人・・・その言葉を探すと、関係ある聖書の12のヶ所が全て示されていますので、容易に探したいところを見つけることが出来ます。
 でも、イエス様の頭には全ての聖書の箇所が入っていたことでしょう、ですからイザヤ書が手渡されたとき、とっさに読むべき箇所を頭に思い描き、そこを開いたのかも知れません。

 イエス様が朗読したのはイザヤ書56~66章までの「第三イザヤ」と呼ばれる部分です。この箇所は本来、第三イザヤと呼ばれる預言者が自分自身の召命について語っている場所です。しかし他方、「油を注がれる」と言う言葉はクリストス・・「キリスト」を意味する言葉でもありますので、イエス様の時代にはこの箇所が「来るべきメシア」についての預言と考えられていました。そしてイエス様は、この言葉が今日実現したとおっしゃったのです。人々は驚きをもってこのメッセージを聞いたと思います。

 イエス様のメッセージは「神の哀れみ」をつげることでした。今日の福音はそのことを強く語っています。

 イザヤ61章1-2からの引用ですが
捕らわれている人に解放を ・・・・ 圧迫されている人を自由にし

・・・そしてそれは恵みの年を告げるため・・ ということになります。

 恵みの年とは・・・ヨベルの年で、50年に一度やってきました。負債を帳消しにする年でした。(このことから全免償の与えられる聖年は50年ごととされましたが、のちに、 みんなが一生に一度は参加できるように25年に一度とされました)

 そして注目すべきはイザヤ61章の2節を、途中でやめていることです。
 省かれた言葉は  →  わたしたちの神が報復される日を告げさせ・・というところです。
 この部分を読まなかったのは、イエス様の任務は哀れみであり、報復ではなかったからだと思われます。

 わたしたちが在籍していた、東京大神学校の院長は、哀れみの人でした
 神学生が夜遅く騒いで飲んで帰ってきてもそれを許し、(もちろん説教はされましたが)司教に対しては神学生を守るために体を張りました。神学生はずいぶんと迷惑をかけました。
 修道会では、会に合わないと判断されると、いつのまにか家に帰されました。別れの言葉もなしに。

 私たちもまた、守られて司祭になって、それぞれが教会で働いています。

 イエス様が与えようとしたのは、愛であり怒りではありませんでした。

 「貧しい人」は経済的に、またその他の理由で圧迫されている人のことで、後に出てくる「捕らわれている人」「目の見えない人」「圧迫されている人」すべてを含む言葉です。
 「福音」は「よい知らせ」と言う意味ですが、一言で言えば、「神による圧迫からの解放」だと言えると思います。
 人間を縛っているあらゆるものからの解放、その根っこにある罪からの解放、これこそがイエス様の使命であり、福音だと言うことが出来ます。

 私たちはイエス様に習おうとするなら、政治団体ではないけれど、人々の解放のために働かなくてはならないのです。  

 今日は特別献金の日です。 子供たちのうちから、哀れみの心を養うためにこの日が設けられています。そして、世界中の子供たちに目を向けるように。

 新型コロナウイルス オミクロン株の広がりのために、ミサの一般公開は今日23日から来月の27日まで休止となる旨司教様から通達がありました。パンデミックで苦しむ世界中の人々を覚え、夫々の場で祈りを捧げましょう。

 司祭はミサのうちに皆様のご家庭を覚え、お祈りしております。

 主の祝福が皆様の上にありますように。        司祭 鈴木三蛙