司祭の言葉 3/20

四旬節第3主日 (ルカ13章1‐9節)

 ロシアのウクライナへの侵略はいまだ続いています。もう三週間になり避難を強いられた人々は300万人を超えています。国際社会は、まだこの戦争を終わらせることができないでいます。 幼稚園の園児も、このニュースに心を痛めています。
 昔も今も権力者が力づくで人々をしたがわせようとしますが、人々は自由を求めて戦うことをやめません。話し合いによる解決が待たれます。

 「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」とはどのような事件なのでしょうか。残念ながら資料が乏しく正確にはわからないのだそうです。
 でも、バークレーと言う神学者は事件について次のように書いています。

 「ちょうどこの頃、ピラトは深刻な問題に巻き込まれていた。エルサレムにはもっと水の供給を増大する必要があると彼には思われた。確かにそれは的確な判断だった。彼は水道の建設を提唱し、その費用を賄うために、神殿の金を用いることを要求した。それは称賛されるべき企てで、そのような支出は極めて正当なものであった。
 ところが、そのようなことに神殿の金を使うという考えがそもそも間違っているとしてユダヤ人たちは武装ほう起した。反徒が集合するとピラトは兵士たちに、密かに、そのなかに潜入するように指令した。兵士たちは戦衣の上に外套をかぶって変装していた。彼らは剣ではなく棒を持つように指令されていた。合図により反徒にとびかかり、彼らを逃散させるという手はずになっていた。だが実際になってみると、兵士たちは反徒に対して指令よりもはるかにひどい暴虐を加えたので、相当数の人がそこで殺された。おそらくそこにはガリラヤ人も含まれていたのであろう。」

 シロアムの塔の場合は全く偶然の、不慮の事故と思われますが、これについてもバークレーは、「この説の言外には、この人々がピラトの忌まわしい水道工事中に災難にあった‥ということが示唆されているように思われる」と書いています。

 古代エルサレムには町に水を供給するための地下水道があり、その出口にシロアムの池がありました。(ヨハネ9章7節) その塔が倒れて大勢の人が死んだという大事故があったようです。 忌まわしい工事に手を貸したから罰を受けたというのでしょうか。

 当時は「人の不幸はその人の罪の結果だ」という考えがありました。事件や事故の被害者を見て、「あの人たちが何か罪を犯していたからだ」と決めつけたのです。

 イエス様は、そういう考えを否定します。
 「ほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」
それは、悲惨な出来事を自分たちへの呼びかけ、警告として受け取るように、ということです。
 さまざまな出来事はわたしたちの回心のチャンスなのです。
3.11 東日本大震災から丸11年が経ちました。
この間わたしたちは何をしてきたでしょうか。

災害を最小限の被害に食い止めるための工夫
 被災地の支援 被災者の受け入れ 被災地の人たちの作ったものをできるだけ買ってあげること いろいろなさったと思いますが、・・・今でもその支援は続いているのでしょうか。

 ウクライナ侵攻は、権力者による全くの人災ですから同列に置くことはできませんが、それでも、災難にあっている彼らのために何かしていますか?と、問われていると思います。
 そして6節からは実のならないいちじくの木のたとえ話です。
 このたとえ話の「主人」を「父である神」、「園丁」を「イエス様」と考えるなら、イエス様のとりなしに甘えて、いつまでも実を結ばない私たちを戒めていると考えるべきではないでしょうか。

 第1朗読では、神様は「わたしはあるというものだ」としめされています。神の名ヤーウエはこの「ある」という意味の込められた名前であるといわれています。

 そこには二つの意味があります。神さまは何者にもよらない、存在そのものだという意味と、いつもわたしたちと共にあるといういみです。
 そしてわたしたちと共にあることを示すために、神の第二のペルソナはマリアのうちに宿り、この世においでになりました。  主イエス様を遣わされたのです。

 しかしそのことに甘えて回心を遅らせてはいけないのです。

 今日のたとえ話のポイントは、「来年まで待つ」という言葉です。

 神は忍耐してくださるけれども、今が回心の最後のチャンスだと考えなければならない・・ということが強調されています。

司祭の言葉 3/13

四旬節第2主日C年(ルカ9:28~36)

 幼稚園の警備担当者 かつては銀行に勤めた方ですが、こちらがこそばゆくなるくらい褒めちぎります。 特に服装 花粉除けに40年も前に手に入れたよれよれのレインコートを着ているのですが、すてきだ、このまま銀座に行っても様になるなどと言います。
 本人も、冬はミンクのコートを着て門に立ち、いつもバーバリーの背広やハンカチーフ、傘などを身に着けています。
 卒園式には、私も白いシャツを身に着け一張羅のスーツを着ますから、また褒めちぎるでしょう。 人には変身願望があります。幼稚園の園児も、ブロックを組み立てて銃を作り、ヒーローの真似をします。
 かつて母に、髪を染めないかと言うと一蹴されましたが、私はやってみたい方ですね。神父でなければ・・・。

 四旬節に、「主の変容」の箇所を読むのは、教会の古い伝統です。変身とは違います。
自分以外の何かになるのではなくイエス本来の姿が・・・普段見に見えない神性の輝きがあらわれた出来事です。

 ペトロの信仰告白の後、イエス様は受難の予告をするようになります。そして「私に従いたい人は自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従って来なさい」と教えます。そして高い山に登り、そこで御変容の姿が示されるのです。

 この「山」とはどこでしょうか。
  伝統的には、ガリラヤ地方エズレル平原にあるタボル山説がとられてきました。平野の中にお椀を伏せたような形で、標高は558m。そして最近多くの学者によって支持されているのが、「ヘルモン山」説です。こちらは2800m級の山々 完全に人里離れたところです。共観福音書のマタイとマルコでは、この箇所の直前に出てくる地名は「フィリポ・カイサリア地方」で、フィリポ・カイサリアとヘルモン山はそう遠くないのです。

「モーセとエリヤ」
  モーセは律法を代表する人物、エリヤは預言者を代表する人物です。「イエスの受難と復活が、聖書に記された神の計画の中にあることを示しています。

「仮小屋を建てよう」
  この光景のあまりの素晴らしさが消え失せないように、3人の住まいを建ててこの場面を永続化させよう、と願ったからでしょう。しかし、この光景は一瞬にして消え去りました。今はまだ栄光のときではなく、受難に向かうときだからです。

「雲」は「神がそこにおられる」ことのしるし。
  荒れ野の旅の間、雲が神の臨在のシンボルとして民とともにありました(出40・34)。

「これはわたしの愛する子」
  ヨルダン川でイエスが洗礼を受けられたときに天から聞こえた声と同じです(マルコ1・11)。この受難の道も神の愛する子としての道であることが示されるのです。

「これに聞け」
 この言葉によってイエス様はモーセやエリヤを凌駕するものであることが示されています。
 そして、イエス様の変容の姿は受難のイエスに従うよう弟子たち、ペトロ、ヨハネ、ヤコブを励ますものでしたが、弟子たちは結局従うことができませんでした。

 イエスが逮捕されたとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(14・50)と、マルコは書いていますし、ペトロは召使の質問に三度もイエスを知らないと答えています。

 受難予告を理解できず、最後までついて行けなかった弟子たちでしたが、ヨハネもペトロもこの出来事を忘れることはありませんでした。

「私たちはこの方の栄光を見た」(ヨハネ1の14)とヨハネは書き、
 「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちはみな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。」(Ⅱペトロ1の16~18)
と、ペトロは書いています。

ところで・・・私たちキリスト者に求められているのはどのような変身でしょうか。

 イエス様は神からの良い知らせ、福音を携え、平和をもたらすために来ましたが、いまだ世界は争いのなかにあり、平和は遠いと言わなくてはなりません。
 世界はキリストの平和ではなく、武力を背景にしたパックスロマーナ(ローマの平和)、武力を背景にしたアメリカの平和をのぞみ、これに反発するロシアは、世界一の核を準備して、ロシアの平和を進めようとしています。そしてロシアではなく、アメリカやナトーの平和を求めようとするウクライナを、力で押さえつけようと戦争を起こしています。
 武力を背景にした平和は、危ういものです。

神の愛が支配する平和、主の平和が世界に行き渡るように祈りましょう。

司祭の言葉 3/6

四旬節第1主日 (ルカ4章1-13節)

 ロシアがウクライナに侵攻して、激しい戦いが続いています。超大国ロシアにあとどのくらい持ちこたえることが出来るのでしょうか。心が痛みます。
 3月2日、幼稚園の送迎バスの中でロシアのウクライナ侵攻のニュースの話が出ました。「大変なことになっているね、何もできないけど早く戦争が終わるといいね」と言う話に、年長の子から「お祈りすることが出来るよ、カトリック幼稚園だもの」と言う声が返ってきたそうです。その場にいた先生が感激して、話してくれました。子供は祈りの力を信じています。
 わたしたちも、今日のミサの中で、ウクライナの皆さんと心を一つにして、一日も早い戦争の平和的な終結を祈りましょう。

 「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」・・・今日の箇所での誘惑との戦いは、イエス様のこれからの活動、十字架の死に至る活動全体に繰り広げられることになる誘惑との戦い・・の始まりを示しています。
 そのすべての誘惑の中でイエス様は神への信頼と従順を貫きました。  

 神の助けを信頼し、生活に必要な物や、安全を手に入れることを願うことは勿論良いことです。イエス様も実際、5つのパンで大群集を満たし、多くの病人をいやしました。わたしたちにもパンが必要ですし、健康や安全が必要です。また、お金や力もある程度は必要でしょうから、これらすべてを悪の誘惑と決め付けることはできません。日ごとの糧をお与えください・・と祈ることをイエス様は教えたのです。

 苦しみをくださいと祈った女性がいます。  その意味を知らぬままに子供のころの話です。そして彼女は、精神的な病にかかったのはその祈りのせいだと思っていて、後悔しているそぶりを見せます。ですから、その話が出るたびに、私はこう答えます。 「すごいじゃん。願いを聞いてもらえるなんて、感謝しなくちゃ」 すると彼女はころころと笑い出して、その話は終わるのです。
 わたしも、まだもう少し生きさせてくださいと祈ります・・・何のために?
 歯の治療、目の治療、膝の治療をすれば、・・まだ助けを必要とする人のために働けるかもしれませんから・・・

 権力と繁栄の何が問題なのでしょうか?
 問題は、自分のためにだけそれらを求めることです。それらを求めるあまり、神との、隣人との親しい交わりを失ってしまうことだ・・と言ったらよいでしょうか。
 わたしたちの人生も「荒れ野」だと言えるかもしれません。だれもがいろいろな試練に遭遇しますから。 わたしたちはその中でいつも、神とのつながりをどう生きるか、人とのつながりをどう生きるかということを問われています。
 四旬節の初めに当たり教会は、イエス様の受けた試みを黙想させ、具体的に四旬節をどう過ごせばよいのかを考えさせようとしています。
 初代教会から教会が守ってきたこと、それは祈り、断食、愛の業 でした。

 預言者イザヤの次の箇所を、祈り、断食、愛のわざを行うこの季節にあたって、黙想するのが良いと思います。

 「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、しいたげられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
 さらに、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
 そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。
 あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。
 あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば『わたしはここにいる』といわれる。
 軛を負わすこと、指をさすこと、呪いのことばをはくことを、あなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。
 主はつねにあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる」(イザヤ58・6―11)。

 最後の誘惑で悪魔は「神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる」「あなたの足が石に打ち当たることの無いように、天使たちは手であなたを支える」と、詩編91編の11-12節を引用します。
 この詩編は確かな守りを与えてくださる神への信頼を呼びかける詩編ですが、悪魔はそれを自分のために使うように誘惑するのです。

 試練は無い方が良いのです。私たちは弱い存在ですから。だから主は、私たちを試みに合わせないでくださいと祈るように教えたのです。
 でも与えられたなら、雄々しくそれに立ち向かうことが、求められています。勿論私たちは本当に弱いので自分一人では戦う力がありません。でも主が助けて下さるならできるはずです。
 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピ人への手紙4の13・・聖パウロの言葉です。

 四旬節に当たり、全ての試練に於いて、主が助けて下さるように祈りましょう。

 ウクライナに一日も早い平和が訪れますように。アーメン(真実です・・の意)

司祭の言葉 2/27

年間第8主日C年

 今日の福音はルカの6章39節からです。平地の説教とわれています。これに対しマタイ福音書の5章は山上の説教と言われ、そこには「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」という、皆さんご存知の言葉があります。残念ながら平和は遠いと言わねばなりません。世界中が危惧する中、24日ロシア軍は隣国ウクライナに軍事侵攻しました。世界中で、ロシアでも50以上の都市で、若者を中心に「戦争やめろ」のデモが起きているということです。今日のミサで平和のために祈りたいと思います。

 今日の最初の言葉は、「盲人が盲人の道案内をすることができようか」という箇所です。
 マタイ福音書では、パリサイ人と律法学者が「あなたの弟子たちは食事の時手を洗わない」「昔の人の言い伝えを守っていない」と言ってきたとき、イエス様は「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚す」と答えます。弟子たちが、先生「彼らが先生の言葉に躓いたのをご存知ですか」というと、イエス様は「そのままにしておきなさい、彼らは盲人を道案内する盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」と答えています。

 聖書学者のエレミアスは、イエスのたとえ話の多くは、当時ユダヤの指導的な立場にあったパリサイ人や律法学者に対する批判であったと述べていまが、平衡個所をマタイ福音書で見たときにそのことが理解できると思います。
 今日の個所はいずれも短い言葉です。実際はイエス様が様々な箇所で、その場の状況で語られた言葉のうち、印象に残った言葉だけが集められ、弟子たちへの教訓として編集された‥そのようにみることができます。
 当初はイエス様に反対する者たちに対して語られた弁明の言葉が、教会が誕生し、イエスの言葉として伝えられる中で、その対象が信者さんたちに取り替えられ、教訓として示された来たということができます。

 最初はパリサイ人たちに対する弁明としての意味合いがあったとしても、初代教会の信者さんたちが受け取ったように、わたしたちも自分たちに向けて語られた言葉として受け取るならば、ルカの編集の思いを受け取ることになると思います。
 さて皆さんにはこれらの言葉のうちどの言葉が最も印象深いものだったでしょうか。

 小生にとっては「おがくずの譬え」です。「あなたは兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」 いつもイエス様にそういわれているような気がします。ですから説教などはとてもできないと思います。
 幸いなことに司祭が日曜日にするのはホミリアです。その日の福音の理解を助けるように語る言葉です。福音の言葉の解説だったり、当時の人々の置かれていた状況だったり、あるいはイエス様の語られたアラマイ語の意味だったりです。イエス様の語られた言葉はギリシャ語に翻訳されています。この時点でもうイエス様の言葉は、説明をすることが必要になっていると言えます。当然翻訳しきれないニュアンスもあります。
 おがくずとは小さな罪、丸太とは大きな罪でしょう。他人の小さな欠点をあげつらい、自分の大きな欠点に気が付かない、他人の小さな罪を問題にしながら、自分の大きな罪に気づいていない・・そのような状況だと思います。
 小生の目には丸太があります、当然他人のおが屑を問題にすることなどできないのです。この丸太を何とかしたい・・いつもそう思う自分です。

 平和のために祈りましょう。

春日部教会 司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 2/20

年間第7主日C年

 皆様いかがお過ごしでしょうか、かなり新規感染者が少なくなってきました。でも重症者は増えているようです。もう少しの辛抱でしょう、そうすれば共に集い共に主を賛美することができます。

 今日の福音はルカの6の27から38節までです。
 イエス様の今日のみ言葉をどう聞くべきでしょうか。文字通りに受け取るべきでしょうか、それとも、出来るだけそうすべきだという心構えとして聞くべきなのでしょうか。取り方は人それぞれでしょう。でも一つだけ体験したことがあります。
 高校生の時でした。クラスメートから誰もいない図書室に呼び出された事がありました。そして、「お前は生意気だ」と言いがかりを付けられ、平手で頬を打たれました。教会に行き始めて3年ほどでした。今日の聖書の言葉を思い出し、もう一方の頬を向けました。「何だ」そう言って相手は驚いた顔をしました。「さあ、こちらも打て」と言いますと、予期しない言葉に相手は戸惑った様子でした。「さあ、いいから打て」「いいのか?」「ああ、いい、こちらも打て」「よし殴るぞ」そう言って相手は殴ってきました。でも防衛本能があるのですね、こぶしが飛んできたとたんに身をかわしていました。相手は憮然とします。「悪かった、今度はよけないからもう一度やってくれ」そう言って今度は目をつぶって拳を受けました。」ガツンと衝撃が走り、目に火花が飛びました。火花が飛ぶというのは本当なのですね。
 そしてその時、私の中でつきものが落ちるように、スーッと相手に対する腹立たしさが消えました。最初、絡まれ平手で殴られた時には、胸の中に相手の理不尽さに対する怒りがこみ上げていました。でも、もう一方を差し出して殴られた時には、それは自分から殴られたのですから、その責任は自分にあります。相手を恨む筋合いはないのです。イエス様の言葉通りにしたら、相手に対する怒りと恨みが消えた・・という体験を通して、イエス様の言葉の意味を一つ、悟った一瞬でした。そして二度と絡まれる事もありませんでした。

 敵を愛する・・・それは感情的には無理でしょう。憎しみの感情も沸くかもしれません。でもイエス様が許したのですから、それに倣って、自分も意志をもって「許すと決める」ことはできます。

 川崎の高校での中間期を終えて、大神学校に戻って間もなくのことです。(昔は大神学校に入る前に3年ほど社会に出て仕事に就く必要があり、その時期を中間期と呼びました)
 勤務していた高校付属の中学校の一年生が、同級生の友人を殺し、その首を切り落とすという事件がありました。仲が良い友人同士であったと聞きますが何があったのでしょうか。その衝撃もさることながら、さらに驚かされたのは、神学校に送られてきた被害者の両親からの手紙です。子供のことで多大な迷惑をかけたと謝りながら、加害者となった少年のために、寛大な裁判判決を求める署名を求めてきたのです。一人息子を殺された悲しみの中にありながら、加害者となった少年を恨むどころかその未来を案じている、その心の深さに胸を打たれました。許すと決めるまでの心の葛藤はいかばかりであったかと思います。
 この方のうちに働く神様の力を深く感じるとともに、その信仰におののきました。

 膝が痛い、腰が痛いと言っては泣き言をいう自分です。到底迫害などには耐えられそうにありません。十字架を背負ってイエス様の後に続くのはしんどすぎる・・そう思います。いつも弱音を吐きますが、主の助けがあればできるのでしょうか。
 コロナ下で石油の元売り価格が上昇し、その影響が私たちの生活に及び始めています。軒並みモノの値段が上がっています。もう何とかしてください・・と叫びたいですね。
 神様に助けを願いつつ、今日の福音を黙想しましょう。

 3月2日から四旬節に入ります。当日は灰の水曜日、10時と19時にミサを捧げたいと思います。それまでに、お持ちできる方は教会の玄関に古い枝をお持ちください。

 皆様の上に主の祝福がありますように。

春日部カトリック教会 司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 2/13

年間第6主日

 皆様おはようございます。
 年間第6主日のホミリア(説教)をお届けします。昨日は雪となりましたが、今日は暖かな日差しが降り注いでいます。皆様にはお変わりございませんでしょうか。
 オミクロン株の勢いは収まらず、埼玉県の新規感染者は今日も5947人となり、蔓延防止措置も3月6日まで延長される見通しです。
 主日のミサの再開もまだ司教様から新しい指示は出ていません。平日のミサは参加者が少ない場合は許可されていますが、当教会は平日の参加者が20名ほどおり、主日のミサのない今、平日のミサをすれば30人ほどになると予想されます。したがって残念ながら、平日のミサも引き続き中止とさせていただいています。先日も教会で幼児の洗礼式をする予定でしたが、参加予定者の中に感染者が出たとの知らせがあり、中止といたしました。まだしばらくは自粛が必要です。

 今日は平地の説教と言われているものです。マタイ福音書では山上の説教と言われているものと同じ内容を含んでいます。この説教は大きな驚きをもって迎えられたと思われます。当時のユダヤ人たちの価値観をひっくり返すようなものだったからです。
 貧しい人が幸いだなんてとんでもない・・・当時のユダヤ人ならみなそのように思ったことでしょう。 豊かさこそは神の祝福であり、貧しさは神の罰と考えられていたのですから。

 皆さんは司祭のホミリアを聞いて、なるほどと思いながらも、でもその通りには受け取ることができないでいると思います。

 「貧しい人は幸いである…」というと一つの叙述文ですが、原文の語順どおりに訳せば、「幸いだ、貧しい人々よ。なぜなら、あなたがたのものだから、神の国は」となります。これは目の前の人に向かって、おめでとうと語りかける祝福の言葉なのです。
 「貧しい人」「飢えている人」「泣いている人」がなぜ幸いなのでしょうか。それは「神の国はあなたがたのもの」だからです。神は決してあなたがたを見捨ててはいない、神は王となってあなたがたを救ってくださる、だから幸いなのです。
 「あなたがたは満たされる」「笑うようになる」も神がそのようにしてくださるということを意味しています。これこそがイエス様の福音(よい知らせ)なのです。

 幸せになりたい、これは万人の切なる願いです。
 人はみな生きる権利を持っているのと同じように、それぞれは幸せを追求し、幸福になる権利を持っています。けれども人間を真に幸せにするのは何でしょうか。
 財産があれば将来は困らない、と一応は安心できます。けれども、いつ何処で短いローソクが消えるかは誰にもわかりません。草は枯れ、花はいずれしぼむのですから。

 ここには衝撃的な言葉があります。
「しかし富んでいるあなた方は、不幸である。あなた方はもう慰めを受けている。」(ルカ6の24)とイエス様は言います。
 ここで言う「受けている」という言葉は、支払いをそっくり受けているという商業上の言葉です。領収書などに書かれる言葉で、「もう後に受け取るものは何もありません」という意味です。バークレイという神学者はこの言葉を解説して次のように言います。
 「イエスは次のように言いたかったのだ。あなた方は全身全霊を注ぐなら、この世が価値を認めているものを皆得ることができるだろう。しかし、あなた方の得ることのできるものはそれだけしかない。」

 心が冨によって満たされている人は・・・・一切は冨によって解決できるという錯覚に陥り、本人自身がそれに気づかないままにいつのまにか、傲慢な人間になって行きます。
 一方、貧しい人は神により頼み、神に信頼して生きて行きます。キリストはこのようなまずしい人々には神の特別な祝福があることを保証しておられるのです。

「2021年、世界上位1%の超富裕層資産が、世界全体の個人資産の37.8%を占めたことが、経済学者ら100人超による国際研究で分かった」・・・との記事が埼玉新聞に掲載されました。記事は、不平等は今後も広がり続け、巨大な水準に達すると懸念していました。日本も富の分布は、「西欧ほどではないが非常に不平等だ」と指摘しています。

 イエス様の今日の説教をキリスト者はみな知っていますが、みな他人事のように聞いています。
 教皇フランシスコは、回勅「ラウダートシ」の中でいま私たちが行動を起こさなければ、世界は大変なことになると繰り返しています。富に対する執着を絶たなければ、人類の未来はない…というところまで来ているといいます。

 私たちの重大な過ちは、「貧しい人」という言葉を、自分に置き換えて聞いていることです。イエス様がこの言葉を語られるとき目の前にしたのは、ユダヤの、日々の糧にも事欠く貧しい人たちでした。彼らにイエス様は幸いだと言われたのであって、私たちにではありません。私たちは彼らのように貧しい人の部類には属していません。多少の貯金もあり、その日暮らしではないからです。アフリカやシリアの難民ならそうでしょう。彼らはその日暮らしですから。
 また今日の日本を見るなら、入国管理事務所から仮放免されている人たちが当てはまると思います。収容所からは放免されましたが、働いてはいけないというのです。どのようにして生活してゆけばよいのでしょう。保険にも入れない上に収入の道もない。大きな病気になれば死を待つばかりなのです

 覚えてください。私たちはイエス様の弾劾する、お金持ちのほうにいるのです。私たちは「災いだ」と言われているほうに位置しているのです。そのことをわきまえてきょうのことばを聞くべきなのです。

 貧しい人は幸い、逆説的な、この言葉の意味をしっかりと悟らせてくださるように、そして今何をなすべきかを悟らせてくださるように祈りましょう。

司祭の言葉 2/6

年間第5主日C年

 皆さんは、つりはお好きでしょうか。
 ペトロのDNAは、ペトロの後に続く司祭達にも受け継がれているのでしょうか、さいたま教区の司祭方は、普段は宣教と司牧の話に激論をとばしますが、昼食の時はよく釣りの話をしていました。皆さんすでに亡くなられましたが、猪俣神父さん 篠原神父さん 山根神父さん 島本司教さんは、新潟、仙台、さいたまの3教区の研修会で佐渡島に行ったときは、釣り船をかりて沖まで行き、小ぶりのタイをたくさん釣りました。
 ある時は、野上神父さんが伊豆のほうに良い釣り場があるというので、みんなで猪俣神父のキャラバンに乗って出かけました。この先の角を曲がるといい場所があるんだよ、その言葉に皆心躍らせました。そして岬の角を曲がった時野上神父さんが叫びました「あれ、海がない」。・・・歳月が過ぎていて、埋め立てられてしまったようでした。そのあと目的地を変え戸田の港に行き防波堤から釣りをしましたが、サバが入れ食いで面白いほどに取れました。でも残念なことに私にはペトロのDNAが受け継がれていないようで、後で手についた魚の匂いに悩まされました。

 本題は、ペトロ達の漁の話です。彼らは夜通し、長い底引き網をおろして奮闘していました。しかし、網は空っぽでした。湖のその辺りからは、魚は全く居なくなってしまったかのようでした。もしほんの数匹でもかかっていれば朝食には事足りるはずでしたが、ペトロには、もう一度網をおろしたとしても、まず魚は一匹もかからないと思われました。
 だがそれにもかかわらず主は、もう一度網をおろして漁をするように命じました。大量を望める時間帯は、日中ではなく夜間だということを誰もが知っていました。そして、一晩かけても何もかからなかったのだから、もう網をおろすポイントがないことを漁師達は長い経験から知っていました。

 そこに、信仰が入り込んだのです。信仰とは、何なのでしょうか。 人間の観点からは不可能と思われることでも、神にできぬ事は何もないと固く信じることなのです。

 イエス様がペトロを選ばれたのは、弟子達のリーダー、大黒柱にしたかったからです。ペトロが試されたのは、彼が、自分の判断の方が理にかなっていると思ったとしても、それを置いて、師の判断に全面的により頼めるかどうかと言う点でした。

 アブラハムもまた同じ方法で試みられています。 そして、その試みに耐え、後に続く者の偉大な信仰の模範となりました。彼は主の言葉に従い、行く先も知らず、自分の親族と故郷を捨てて、果てしない約束の地を探す旅に出ました。70歳の時でした。果たして私たちに、70歳にして行き先もわからない旅に出ることが出来るでしょうか。

 ペトロもまた試みに合格しました。「先生、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」それは、人間的な判断によってではなく、イエス様がペトロにそうするように命じたから、その言葉に従っての言葉でした。ペトロは神に全てを委ねることのできる、信頼に足る人物であったからこそ、ほかの弟子たちの模範となるべく試される必要があったのだと思います。彼は網をおろしました。そしてその結果は、とてつもない豊漁でありました。

 この出来事は、素朴な正直者であった彼に、大変な衝撃を与えました。神の力の現れを目の当たりにした途端、彼は自分の罪深さに気づかされたのです。

 試みにあって居るときに、神がわたし達や教会に何を求めているのかを見抜くのは容易なことではありません。しかし神は「悪いたくらみも善に変える」(創50の20)事のできるお方です。
 試練のあとに、神は必ず祝福をもって報いて下さるという強い信仰が与えられるように祈りましょう。

 今日、東京のオミクロン株新規感染者の数は2万人を超えました。埼玉県も連日4000人越えです。まだまだ感染者の数は増えて行きそうです。大宮のカトリックみどり幼稚園は先週末、年長組に二人の感染者が出て、水曜日まで二つのクラスが学級閉鎖となり、濃厚接触者の先生3人がお休みする事態となりました。27日まで公開ミサを中止としたのは、司教様の適切な判断だったと思います。

 ミサに参加することのできない皆様を覚え、一人ミサを捧げながら、皆様のご家族の上に主の祝福をお祈り申し上げます。

カトリック春日部教会 司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 1/30

年間第4主日C年

 今日のお話は故郷で受け入れられなかったイエス様の。お話です。なぜ受け入れられなかったのでしょうか。 イエス様の宣教はカペナウムから始まっています。

 今日のルカによる福音書では、受洗後すぐナザレに行ったかのように記されています。
でもマタイとマルコを見ますと、ガリラヤ湖の湖畔でシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを召し出し、カナの結婚式に出席し、それからエルサレムに上って宮きよめを行い、ニコデモと対話し、再びガリラヤに戻る途中ではサマリアの女と対話しています。

 それからカナで王官の子を癒し、ガリラヤ湖での大漁、カペナウムの会堂での悪魔付きの癒し、ペトロの義母の癒し、全ガリラヤをめぐる宣教、重い皮膚病の癒し、中風患者の癒し、マタイの召命、断食問答、麦の穂と安息日、会堂での片手萎えの人の癒し、12使徒の選びと派遣が行われ、そのあとイエスを取り押さえに来た身内の話、山上の垂訓、種まきの譬え、毒麦の譬え、ゲラザの悪魔付き、ヤイロの娘のいやし・・・と話が続き、そのあとに郷里に行くのです。

 ナザレではなく、カペナウムで宣教をはじめたイエス様、そして聞こえてくる噂・・人々は憤慨していたのではないでしょうか。 イエス様がよそで行いはじめた奇跡を、最初にうける権利が自分たちにはあると感じていたかも知れません。
自分たちこそ優先されるべきであったと。
 この憤りが彼の主張に対する疑念を生み出し、この疑念が、この人はヨゼフの子ではないかという問となりました。イエス様は彼らの町の大工であり、彼らと同じ普通の労働者として生活していました。マエスタのような特殊技能もなければ 、ファリサイ人のような高等教育も、宣教者としての養成も受けていませんでした。彼はナザレに生活する間、何ら卓越したところを見せなかったのです。
 百歩譲って、イエス様の知恵と学問を認めるだけのことなら、故郷に錦を飾った青年として受け入れたかもしれません。しかしイエス様が一介の労働者の分を越えて、イスラエルを解放すべく、神からつかわされた者のごとく振る舞っている・・と見なしたのです。
 メシアと名乗るような、大それたことは認めるわけにはいかなかったのです。
 ここでは皆イエス様の出生を知っています。いい若い者ではありましたが、村人の一人でした。髪の毛に鉋屑をつけて、父親のヨゼフと仕事を探しにも来ました。先入観が邪魔をしたのです。
 そこに加えて寝耳に水の話、 軽蔑されるべき異邦人の方がアブラハムの子孫ふさわしいとまで言うとは。

 「エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」

 このイエス様の言葉は、ナザレの人々には不快極まり無かったと思います。
 自分たちの軽蔑してやまない、神が地獄の薪として創造されたと思っていた異邦人のほうが、神の目に祝福されているとまで言ったのです。

 ナザレの人々の夢見たメシアは、ナポレオンの騎馬姿のように、壮麗な額縁の中で威厳をもった姿でした。メシアは 勇者のすがたであるはずだ。人々はメシアのイメージを勝手に作り上げていたのです。
 そして怒った人々はイエス様を崖から突き落とそうとしました。この時からイエス様とイエス様に反対する人々との対立は決定的なものとなりました。故郷の人々がイエス様を完全に拒否したのです。そして十字架への歩みが加速することとなります。

 私たちもイエス様を知っているにもかかわらず、認めないことが多いのではないでしょうか。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18の20)と主は言われました。

それにもかかわらず、私たちは神を外に探し求めています。その神は私たちの中にいるのに道ですれ違っているのに・・です。イエス様は去ったのではなく、私たちの仲間内におられるのです。

 しかしながら、私たちの偏見がナザレの人々のように、自分たちの目を塞いでいるのです。
 いろいろな偏見があります。コロナ下のいまはとくにひどくなっています。それらすべての偏見から解放されるように祈りましょう。主は助けてくださいます。

主の祝福を祈ります。

カトリック春日部教会 司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 1/23

年間第3主日C年(ルカ1章1-4節、4章14-21節)

 皆様おはようございます。年間第三主日のホミリアです。
 今日の福音ははじめにルカ福音書の序文が述べられ、ガリラヤから宣教が始まった次第を述べています。「多くの人々が既に手を着けています」とあります。マルコ福音書が最初に書かれたと思われますので、ルカはその内容を知っていて、満足していない様子が見て取れます。そして自分なりに満足できるものを書こうと思い立ったのでしょう。
 「テオフィロ」という名の人物に向けて書かれたように見えますが、その存在はわかっていませんので、この名前が「神を愛する人」「神に愛された人」ですので、わたしたちすべてに向けて書かれたもの・・・そう考えられています。

 ヨルダン川での洗礼の時から、イエス様の活動のすべては、聖霊に導かれていたことが強調され、御霊の力に満ち溢れてガリラヤから宣教が始まったことが強調されています。

 イエス様の活動はガリラヤの会堂から始まりました。会堂では聖書(旧約聖書)が朗読されましたが、朗読者を頼むのは会堂司役割でした。当時の書物は巻物でしたので、イエス様はたまたま開いた箇所をお読みになったことになります。

 わたしは、聖書の箇所を探すときには、コンコルダンスという書物を使います。例えば、捕らわれ人・・・その言葉を探すと、関係ある聖書の12のヶ所が全て示されていますので、容易に探したいところを見つけることが出来ます。
 でも、イエス様の頭には全ての聖書の箇所が入っていたことでしょう、ですからイザヤ書が手渡されたとき、とっさに読むべき箇所を頭に思い描き、そこを開いたのかも知れません。

 イエス様が朗読したのはイザヤ書56~66章までの「第三イザヤ」と呼ばれる部分です。この箇所は本来、第三イザヤと呼ばれる預言者が自分自身の召命について語っている場所です。しかし他方、「油を注がれる」と言う言葉はクリストス・・「キリスト」を意味する言葉でもありますので、イエス様の時代にはこの箇所が「来るべきメシア」についての預言と考えられていました。そしてイエス様は、この言葉が今日実現したとおっしゃったのです。人々は驚きをもってこのメッセージを聞いたと思います。

 イエス様のメッセージは「神の哀れみ」をつげることでした。今日の福音はそのことを強く語っています。

 イザヤ61章1-2からの引用ですが
捕らわれている人に解放を ・・・・ 圧迫されている人を自由にし

・・・そしてそれは恵みの年を告げるため・・ ということになります。

 恵みの年とは・・・ヨベルの年で、50年に一度やってきました。負債を帳消しにする年でした。(このことから全免償の与えられる聖年は50年ごととされましたが、のちに、 みんなが一生に一度は参加できるように25年に一度とされました)

 そして注目すべきはイザヤ61章の2節を、途中でやめていることです。
 省かれた言葉は  →  わたしたちの神が報復される日を告げさせ・・というところです。
 この部分を読まなかったのは、イエス様の任務は哀れみであり、報復ではなかったからだと思われます。

 わたしたちが在籍していた、東京大神学校の院長は、哀れみの人でした
 神学生が夜遅く騒いで飲んで帰ってきてもそれを許し、(もちろん説教はされましたが)司教に対しては神学生を守るために体を張りました。神学生はずいぶんと迷惑をかけました。
 修道会では、会に合わないと判断されると、いつのまにか家に帰されました。別れの言葉もなしに。

 私たちもまた、守られて司祭になって、それぞれが教会で働いています。

 イエス様が与えようとしたのは、愛であり怒りではありませんでした。

 「貧しい人」は経済的に、またその他の理由で圧迫されている人のことで、後に出てくる「捕らわれている人」「目の見えない人」「圧迫されている人」すべてを含む言葉です。
 「福音」は「よい知らせ」と言う意味ですが、一言で言えば、「神による圧迫からの解放」だと言えると思います。
 人間を縛っているあらゆるものからの解放、その根っこにある罪からの解放、これこそがイエス様の使命であり、福音だと言うことが出来ます。

 私たちはイエス様に習おうとするなら、政治団体ではないけれど、人々の解放のために働かなくてはならないのです。  

 今日は特別献金の日です。 子供たちのうちから、哀れみの心を養うためにこの日が設けられています。そして、世界中の子供たちに目を向けるように。

 新型コロナウイルス オミクロン株の広がりのために、ミサの一般公開は今日23日から来月の27日まで休止となる旨司教様から通達がありました。パンデミックで苦しむ世界中の人々を覚え、夫々の場で祈りを捧げましょう。

 司祭はミサのうちに皆様のご家庭を覚え、お祈りしております。

 主の祝福が皆様の上にありますように。        司祭 鈴木三蛙

司祭の言葉 1/16

年間第2主日C年

 イエスの洗礼についての記述の後に3回(1章29,35,43節)「その翌日」という言葉があり、きょうの箇所に「三日目に」とありますので、全部で6日間の出来事ということになります。かなり詳しく日付を追っているのは、重要な出来事と考えたからでしょう。(2章12節以下にはこのような日付を追う表現はありません)

 ブドウ酒がはじめて聖書に出てくるのは何処でしょうか? ノアが飲み過ぎて酔いつぶれたときの話です。 それで、ユダヤ人たちはブドウ酒の作り方をノアに教えたのは神であると信じて疑いませんでした。 聖書には141回ブドウ酒という言葉が出てくるそうです。
 酒屋さんの宣伝をするつもりはありませんが、聖書はブドウの汁を熱烈な言葉で称賛しました。 VINUM LAETIFICAT COR HOMINIS
 「ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ/パンは人の心を支える。(詩編104)
 「酒は適度に飲めば、/人に生気を与える。酒なき人生とは何であろうか。」(集会の書31の27)」勿論飲み過ぎについては強く戒めています。
「過度の飲酒は気分を損ない、/いらだちや、間違いのもととなる。深酒は愚か者の気を高ぶらせて足をふらつかせ、/力を弱めて、傷を負わせる。」

 金属または陶器でできた杯は大きく、問題がありました。飲みすぎたのです。 一般の言語であったアラム語で、結婚をミスティタ「酒宴」と呼んでいた程です。(イエス時代の日常生活Ⅱのp85)
 宴会の途中でぶどう酒がなくなるというのは大ピンチです。現代なら電話一本で酒屋さんからお酒が届きますし、披露宴会場で行われるから、お酒の準備は不要です。でも当時は・・花婿がかなりの量を用意しました。
 「すべての親類、全村、すべての友人、友人の友人が招かれた。祝宴は7日間、時としてその倍も続いた。」(イエス時代の日常生活Ⅰのp206)

 カナで行われた婚礼には母マリアも出席していました。誰かマリアに近い人の婚宴で、手伝いに来ていたのでしょうか。その関係でイエスも招かれていたと考えられます。

 母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言うと、イエスは母に言います。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来て いません。」 母マリアは、台所に立っていたのでしょうか、宴会がうまくゆく様に、心をくばる姿がうかがえます。そしてイエスに、まず最初にブドウ酒が切れそうなことをつげています。 しかし、マリアがせっかく花婿に恥をかかせないように気配りをし、耳打ちしたのに、なぜ、イエスはこんな冷たくとれる言葉をおっしゃったのでしょうか。
 この出来事は、まさに公生活の出発点にありました。 イエスは30年間、母マリアと父ヨセフとの水入らずの家庭生活をしていました。そして、時が来て、救い主としての役目を果たすべく公の場に出ての生活が今始まったところでした。このときの母マリアの気持ちはどのようなものだったでしょうか。我が子はこれからどこへ行くのか。家に帰って来ることはあるのか。できることなら、母としてゆるされる範囲内で一緒に時を過ごしたい。今までのナザレでの生活に近い生活を期待したい、そう思っていたに違いありません。 

 そのとき、祝宴の喜びを増すためのぶどう酒が尽きてしまいました。それを目ざとく見つけたマリアはナザレの時のように、母親らしくイエスに耳打ちします。「 ぶどう酒がなくなりました 」と。それに対して、イエスは、「 お母さん、今はナザレの時とは違います。天の御父の望みに従い、村を出て、公生活を始めたのです。だから、もはや直接わたしに言うべきではありません 」とはっきり告げたのです。                          
 では、その次の「 わたしの時はまだ来ていません 」という言葉はどういう意味なのでしょうか。 ヨハネ福音書の中で「わたしの時=イエスの時」とは十字架の時です(ヨハネ12章23,27節、13章1節、17章1節など)。それは、同時にイエスが父のもとに行く栄光の時でもあります。

 それでもマリアは、それを心に留め、召し使いに言います。「 この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください 」と。マリアはすぐに、必ず一番いい方法をとって下ると信頼しきって、イエスの言うとおりにして下さいと召し使いに告げます。
 1歩退いて、イエスの公生活を陰ながら手伝う。これこそがマリアの道です。
 世の中の人間関係のむつかしさの根本は、距離の取り方です。たとえ親であっても、ある一定の年齢になったら我が子としっかり距離を取ることの大切さを私たちは学ぶ必要があります。 

 正月、セウイで家に帰ったものは1名のみ、多くは正月帰省の問い合わせもありません。精神障害者の家族は上手く距離が取れないのです。急性期の時の様子が
トラウマになって・・・拒否するか  あるいは・・・
共依存となるか・・・部家の片づけ 下着の洗濯 一挙手一投足
          下宿しながら洗濯物を段ボールに入れて家に・・・

 月曜日は成人の日でした。彼らは、これから社会人として責任ある者として一本立ちしていかなければなりません。その前途に神様の豊かな祝福があるように祈りつつ、成人を迎えたわが子に対して、親もまた、今日の福音から大切なことを学ぶことが出来るのではないでしょうか。
  1.全面的な子供への信頼の姿と
  2.距離をとって自立の手助けをすること・・です。