司祭の言葉 11/8

年間第32主日A年 2020/11/08

5人の乙女の愚かさとは

今日のたとえ話を聞いてみなさんはどのような決心あるいは反省をしますか?
今日のたとえ話は、小生には耳が痛い。先日花畑と呼んでいる友だちの家の荒れ果てた農園のパイプハウス一棟と、そこに立つ立派すぎるトイレを解体しました。農作業のできるメンバーがいなくなり、荒れ果ててしまったので、きれいに元に戻し返却するためです。このハウスには災害用の備蓄として薪を保管しておいたのですが、今はその備えもなくなりました。セウイホームの駐車場に災害用備蓄倉庫を建てようとの話は出ているのですが、まだ具体化していません。セウイの場所が周りに貝塚や竪穴式住居跡がるような高台にあるので、ハザードマップを見ても色が塗られておらず安全な場所となっているものですから、備えがおろそかになっているのです。皆さんは大災害に備えていますか? 大いに反省しているのですが、小生は気ばかり焦り、何もできていません。

マタイ福音書は24章の神殿崩壊の預言から、終末的な様相を帯びています。
今日のたとえ話の一番大切な強調点は何処にあるのでしょうか。「目を覚ましていなさい」でしょうか、ランプの油を用意していなかったことでしょうか。
目を覚ましていなさい・・この言葉は24章の42節にもあります。人の子は思いがけない時に来る・・だから・・・と。
マルコ福音書では13章の34節で、「門番には目を覚ましているようにと言いつけておくようなものだ。だから目を覚ましていなさい。いつ家の主人が返ってくるのか(中略)わからないからである」とあります。その日その時は誰も知らない、天使たちも、子も知らないとあるのは、再臨の時です。 
また、マルコでは目を覚ましているように仕事を割り当てられたのは一人ですが、ルカでは何人もいる僕たち全員が見張りをしなければならないことになっています。(12の39)
聖書学者ヨアキム・エレミアスは、「目を覚ましていなさい」という言葉は、このたとえ話のもともとの形には入っていなかったものが、勧告的な言葉として入ってきたのだと考えています。

話の本筋の強調点は、「目を覚ましていなさいで」は無いとするその理由は何処にあるのでしょうか。 
賢い乙女たちも愚かな乙女たちもみな眠っていたのです。だから、たとえ話の中心はここではないのです。油を用意していなかったことが問題なのです。

聖書学者バークレーは、パレスチナの中流家庭の結婚式では、花婿は花嫁の付き添いが眠っている間に不意を打とうとして真夜中に来ることがあること、花婿が到着したら戸が閉まり遅れてきたものは結婚式に参列できないという話を伝えています。式は一週間続きますから、その間式に参列出来ないことになります。

この話は直接にはユダヤ人に向けられたものであり、愚かな乙女はユダヤ人を指すのでしょう。ユダヤ人の歴史は神の子を迎える準備のためのものでした。しかし、彼らはイエスが来られた時、イエスを認めることが出来ませんでした。その準備ができていなかったのです。

私たちはどうでしょうか。大災害への備え、キリスト再臨への備え、よき死への備えエトセトラ・・どこから備えてゆきましょうか。
ちなみに、ボーイスカウトのモットーは全世界的に「備えよ常に」です。ご存知でしたか? それは心の備え、体の備え、技の備えをして、いつでも隣人の役に立てるようにしているのです。毎週の活動はそのための訓練となっています。