司祭の言葉 11/1

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」

諸聖人の祭日(B年・2024年11月1日)の黙想

マタイ5:1-12a

諸聖人と諸聖徒方を11月1日2日のミサで記念するカトリック教会の伝統は、英国とアイルランドが起源ではないかと言われます。英国では現在でも11月を「聖徒の月」と呼び、ちょうど日本のお盆のように、英国の人々にとっては教会でのミサの後、教会墓地を訪う時とされ、どの墓地もきれいに清められ、花壇のように花で埋め尽くされます。亡き方々を偲ぶ人々の思いは洋の東西を問わず変わりません。

諸聖徒の祝日に先立つ諸聖人の祭日には、主イエスの十二弟子たち、さらにご復活の主ご自身から「みことば」と「聖霊」を受けた聖パウロを筆頭にすべての聖人方を記念いたします。彼らの中には、わたしたちに代って地上の生活で多くの苦しみを負い、あるいはわたしたち同様、自らの弱さと戦われた方々もおられます。

諸聖人諸聖徒の「聖」とは、いかなることなのでしょうか。聖書においては、「聖」である方は、神お一人。主イエス・キリストお一人です。このことははっきりしています。そうであれば、「聖人」とは、生まれながらに聖(きよ)い人と言うよりも、主から「みことば」と「聖霊」をいただいて、神によって「聖くされた人」ではないでしょうか。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国(神の国)はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。・・・

心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。・・・」

「心の貧しい人々は、幸いである」と、主イエスは仰せです。「貧しい人々」とは、主の他に頼る方がいない者たち、つまりわたしたちのことです。「天の国(神の国)」に関して、わたしたちは主以外に誰を頼ることができるでしょうか。わたしたちに「神の国」を約束してくださるのは、ただ「神の国の主」であるキリストお一人です。

主イエスの上記のみことばは、かつては「真福八端」と呼ばれていました。ご自身「聖」にして、わたしたちの罪を赦し「聖とする」ことがおできになる神ご自身からの八つの詩句からなる「祝福のみことば」です。神によってわたしたちが「聖とされ、それゆえに神の国を約束されること」。実は、それこそが主イエスの祝福です。

主イエスによって「聖とされ、神の国を約束される」。それは、わたしたちが「神の国の主・キリストのものとされる」こと。それを使徒ヨハネは、「御子キリストに似た者とされる」(1ヨハネ3:2)と教えてくれます。わたしたちが「聖とされ、神の国を約束される」、つまり主から祝福されるとは「御子キリストに似た者とされる」こと主に祝福された「聖人」方は、わたしたちに先立って「キリストに似た者とされた方」です。

その祝福を主イエスはいかにしてわたしたちにお与えくださるのか。それは、「祝福のことば」とその祝福をわたしたちの内に成就させてくださる「聖霊」によって「聖霊」は、主の「みことば」と共に働いて、わたしたちに「イエスは主である」と告白させてくださいます。「みことばと共に働かれる聖霊」こそ、洗礼においてわたしたちを新たに生まれさせ、ミサでわたしたちの捧げるパンとブドウ酒をご聖体つまりキリストご自身の御からだと御血・主ご自身のいのちに変えてくださる方です。

「みことばと聖霊」において、主イエスがわたしたちにくださるのは主ご自身。主はご自身をお与えくださることによってわたしたちを「聖」とし、「キリストに似た者」としてくださいます。それが主の祝福。主イエスこそ祝福そのものです。主の十二使徒を始め諸聖人方は、主ご自身、つまり聖霊を祝福として受け、聖霊によって「キリストの似姿に変えられた」方々。わたしたちすべてのお手本です。

わたしたちもミサで、諸聖人方のように、「主よ、わたしたちにみことばをください」と、主イエスに願います。主は、わたしたちにも必ず「みことば」とともに「聖霊」、つまり主ご自身をくださいます。主はどのように小さく、貧しいわたしたちにも、ご聖体において、主イエスご自身を祝福としてお与えくださいます「心の貧しい人々は、幸いである。神の国はその人たちのものである」と、主は仰せです。

わたしたちは、諸聖人方とは比べるべくもない者です。しかし、主イエスがご聖体においてわたしたちにお与えくださる主ご自身は、主の十二使徒始め、すべての諸聖人方にお与えになられた主とまったく同じ主ご自身。主は今も、いつも、代々に、一人なる同じ主であられるからです。わたしたちのような小さな者にさえ、ご自身をお与えくださる主。主イエスを、わたしたちはそのみ恵みゆえに畏れます

諸聖人諸聖徒方は、「神の国」で主イエスのみ前にみ使いと共に主を褒め称えていると信じられています。ご自身を祝福としてわたしたちにお与えくださる主への彼らの愛と感謝は、地上のわたしたちの制約された思いを遥かに超えています。彼らは、天に在ってそのことを最もよく知っておられる方々であるに違いありません。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。