司祭の言葉 11/13

年間第33主日C年

 今日の神殿の崩壊予告と終末の徴について語る話は、マタイとマルコにも並行個所がありますので、マルコの記述から、出だしの「ある人たち」というのが、ペトロ.ヤコブ.ヨハネ.アンデレの4人だったことがわかります。
 ある聖書学者は、ユダヤ教の神殿を手放しで賛美するような格好の悪いことを使徒たちにやらせたくなかったので、ルカは四人の名前を出さず「ある人たち」にしたのだろうと語っています。ガリラヤの田舎から来たお上りさんである弟子たちは、度肝を抜かれていたのでしょうか。
 この神殿については、歴史家のフラビウス・ヨゼフスが、その著書「ユダヤ戦記」の中で、「ヘロデは、治世第15年に神殿を修復するとともに、周囲に新しい石垣をめぐらして、神殿を2倍に広げた。はかり知れないほどの工費を投じ、その規模の壮大なことは他に類がなかった。その例証として、聖所の庭を取り囲む大柱廊と、北側にそそり立つとりでなどをあげることができよう」と述べています。
 聖書学者バークレーは、神殿の表玄関と回廊の柱は、白大理石の円柱で、12メートルの高さを持ち、それが継ぎ目のない一本の石でできていた。献納物について言えば、もっとも有名なのは純金でできた大きなブドウの木で、その房は人間の背丈ほどもあった・・・と述べています。
 しかしイエスは、「あなた方はこれらのものに見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」とおっしゃるのです。

 続く終末の徴は、「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。またそのことが起こるときにはどんな徴があるのですか?」という質問に答えるものとなっています。

 エルサレムの神殿は、福音が書かれた時すでに崩壊していました。70年ローマ軍によって。著者はこの出来事と重ね合わせながら、イエスと弟子達の会話、その頃の想いを思いおこしながらペンをとっています。

 神殿はヤーウェが自らそこに住むようにえらばれた聖所であり、「主の座」(エレミヤ3の17)と呼ばれているくらいでです。 そのエルサレムの神殿ががたがたと音を立てて崩壊するとすれば、それこそ世も末です。
 けれども、たとえ何事がおころうとも、主キリストを信じて生きる人はうろたえてはいけない・・・「あなたはわたしの名のために全ての人から憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはない。自ら堪え忍ぶことによって、自分の魂を救わなければならない。(ルカ21の17)」と、主は戒めておられます。

 いま世界は大変な苦難の中に突入しています。終末の時がやってきたかのような様相を呈しています。

 ウクライナとロシアの戦争は、まだ終わりが見えません。プーチン大統領はウクライナ侵攻を、「サタン化を阻止するための戦いだ」と正当化しています。戦術核が使われる恐れがあるともいわれています。
 また、中国の覇権主義、北朝鮮の相次ぐミサイル発射の挑発行為 オミクロン株による新型コロナウイルスによるパンデミック そして気候変動による干ばつや豪雨、台風やサイクロンの大型化 海面上昇による国土の消失。そして飢餓の問題。エトセトラ。

 今まさに国連の気候変動会議・コップ27がエジプトで、6日から18日までの予定で開かれていますが、世界は一つになれるのでしょうか。本当に心配です。

 キリスト者は傷だらけになっても、倒れても、倒れても再び立ち上がって、常にパウロのように、「私はよき戦いを戦った」(テモテ4の7)ということの出来る兵士、善戦した強者である筈です。
 私たちそれぞれにできることに力を尽くしながら、ともに、世界の平和のために祈りたいと思います。

 今日のミサの中で、コップ27の成功と世界の平和のために祈りましょう。