司祭の言葉 1/24

年間第3主日B年

 時満ちて・・・私の好きな言葉です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 ガリラヤに響いた、イエスの第一声です。 
 時が満ちた・・・どういうことでしょうか。ギリシャ語には時を表す言葉にクロノスという言葉とカイロスという言葉があります。時計の針が回ってゆく時間、流れゆく時間はクロノスという言葉が使われますが、ここに使われているのはカイロスという言葉です。いろいろな出来事としての時間でしょうか、節目とでも言うべき時間です。

 イエスはバプテスマのヨハネがヨルダン川で洗礼を授けていると言うことを知り、ご自分のナザレを離れる時(カイロス)が来たことを知ってヨルダン川に行きました。イエスはそこで洗礼を受けましたが、それは民衆と心を一つにする時(カイロス)でありました。そして荒野での試練の時(カイロス)を経て、バプテスマのヨハネの投獄の時(カイロス)を知り、ご自分の宣教の時(カイロス)が来たと知って、「時が満ちた」とおっしゃったのです。それは旧約からの積み重ねられた時です。
 同じ言葉を、パウロはガラテヤ人の手紙の中で使っています。
 「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれたものとしてお遣しになりました。」と。

 先日、「ノア約束の船」という映画をビデオで見ました。10年という歳月をかけて箱船を作ったノアは、雨が降り始め、箱船を奪いに来る群衆から逃れ箱船に戻る途中、息子ハムが助けようとした少女を見殺しにします。洪水が起こって助けを求める人々の悲痛な叫び声にも耳をふさぎます。自分の使命は動物や植物を守ることで、自分の家族も箱船に乗りますが、やがては子孫を残さずに死に絶えてゆく運命であると理解しているからです。神は不遜な人間を滅ぼし動物と植物だけの世界をつくろうとしている・・そう信じていたのです。家族以外に、一人の殺されかけて子供の産めなくなった少女が加わりますが、この少女はノアの父と出会って祝福を受け、子供が産めるようになります。そしてセムと愛し合うようになり妊娠します。それを知ったノアは「男の子なら生かすが女の子なら殺す」と言います。そして生まれたのは双子の女の子でした。ノアは殺そうとし、母親は「今は泣いているから殺すのは泣き止んでからにしてほしい」と嘆願します。やがて子供は泣き止み、ノアはナイフを振りかざしますが殺せませんでした。船は陸に漂着し、動物は皆下ろされノアも上陸しますが、ノアは家族から離れて酒浸りになります。そこに双子の母親が近づき、「ノアが殺そうとしたとき神は沈黙しておられた。それは人間が生かすに値するかどうかを見るためではなかったのか。ノアは慈悲と愛を選んだ」といいます。ノアは、「あのとき自分の心の中には子供たちへの愛しかなかった」そう言って、神は自分を試されたのだと悟り家族の元に戻ってゆくのです。洪水のカイロス、少女との出会いのカイロス、孫の誕生のカイロス、殺そうとして出来なかったカイロス、それぞれの時はカイロスとしての節目の時でした。その積み重なりの中で、救いの歴史の時が積み重ねられてきます。

 かつてダビデの王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、北はアッシリア帝国に滅ぼされ、南はバビロン帝国に滅ぼされました。このとき人々は近隣諸国に散ってユダヤ人町をつくります。これも一つのカイロスです。そしてアレキサンダー大王が世界を征服し、ギリシャ語が公用語となったという出来事、これもカイロス。さらにはヘブライ語が読めなくなったユダヤ人町からの要望で旧約聖書がギリシャ語の翻訳されたこと、またローマ帝国によって世界に通じる主要道路が舗装されたこと、その軍事力を背景にパックスロマーナと言われた平和が訪れ、安全に旅することが出来るようになった事など、それらも大切な節目としてのカイロスでした。ギリシャ語で書かれた福音は、ローマの道を通って各国に伝えられていったのです。

 神はこのような長い歴史のカイロス、時を重ねて、ちょうどすべての条件と準備が整ったときに、イエスを送り救いの歴史を完成してくださった・・その事に思いをはせ、思いを巡らしてみましょう。 神に感謝。