聖家族 ルカ2:22-40
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。
マタイによる福音は、彼の伝える福音の始めに、ヨセフさまの夢の中に主の天使が現れ、次のように告げたと語っていました。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(1:21)
ヨセフさまの夢のみ使いのお告げの通り、マリアさまからお生まれになられた幼子は、「イエスと名付け」られました。新約ギリシャ語の「イエス」の名は、元来の旧約ヘブライ語では「ヨシュア」で、「主は救う」という意味です。ただし、主イエスにおいて、神はどのようにしてわたしたちを救ってくださるのでしょうか。
クリスマス夜半のごミサの冒頭、今年も教会の古い伝統に従い、わたしは幼子キリストの御像を両掌で抱かせていただいて聖堂に入堂し、祭壇前の小さな馬小屋の前に跪き、その中の飼い葉桶の稟の上に、幼子イエスの御像を安置させていただきました。そのようにさせていただきながら、後に幼子イエスをエルサレムの神殿で、その老いた腕に抱きしめた老シメオンのことを思い起こしていました。その日、老シメオンが感激の余り歌わずにはおれなかった歌を、ルカの福音は伝えています。
「主よ、今こそあなたは、おことばどおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2:29-32)
老シメオンのようにわたしたちも、マリアさまからご聖体の内に同じ幼子イエスを両の掌に受け取り、大切に抱かせていただきます。老シメオンと共にわたしたちもごミサで、ご聖体の幼子キリストの内に神の恵みの約束の一切を、すべての神の救いのご計画の成就を、わたしたちへの祝福として受け取らせていただいてよいのです。これが、主イエスにおいて神がお与えくださる救いです。老シメオンの歌ったように、マリアさまと共にわたしたちも、「神の栄光をこの目で見た」からです。
神の栄光。ヨハネによる福音は、それを次のように伝えていました。「言は肉(フランシスコ会訳では「人」)となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14) さらにヨハネは続けて、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(1:18)
確かに、「いまだかつて、神を見た者はい」ません。罪なる者が、聖なる神に見(まみえ)ることは許されていないからです。神を見ることは、罪なる者には死と滅びを招きさえします。ただしかし、自らの罪を自らで贖い切れないわたしたちは、罪を赦してくださる神に会わせていただく他に、救われる道はありません。この二律背反(ディレンマ)の中に、人は長くその身を置き続けて来ました。クリスマスの夜まで。
しかし神は、今ここに、人となられた神イエス・キリストにおいて、わたしたちにお会いくださいます。老シメオンの言葉のように、それは「(神が)万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
ただしそれは、主イエスが、わたしたちの罪を十字架で一身に負われ、わたしたちの罪を贖い切ってくださることによってのみ、わたしたちに成就する救いです。老シメオンはマリアさまに告げていました。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」
先に、「イエス」という名は、ヘブライ語ではヨシュアであると申しました。旧約でヨシュアとは、神がモーセによってお始めになられた神の民の救い、すなわち神の民のエジプトから約束の地への「過越(出エジプト)」のために、モーセと共に働いて神の民をエジプトから導き出し、さらにモーセ亡き後、モーセを継いで神の約束された約束の地に神の民を導き入れた、「旧約の過越」の成就者の名です。
明らかに主イエスの名には、旧約のヨシュアが隠されていると思います。神が主イエスの聖家族を最初にエジプトに導かれた(マタイ2:13-23)のは、後に、神が彼らを「エジプトからわたしの子を呼び出」されるため」、新しいヨシュアであるキリスト・イエスによって、新しい神の民である聖家族に、新しいエジプトからの過ぎ越し・主イエスの十字架と復活による「新約の過越」を成就させることの「しるし」でした。
「聖家族」。それは、主イエスによって「神の国」へと確実に導き入れられ、「神の国の主」キリストを主として生きる新しい過越の神の民です。洗礼によってわたしたちが招き入れられたのは、この「聖家族」、しかもその「食卓」、すなわちごミサです。
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。