司祭の言葉 6/11

説教:キリストの聖体(年間第10週)ヨハネ6:51-58

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日の福音は、主イエスの「五つのパンと二匹の魚」の奇跡。教会は、主の「パンの奇跡」を、後に十字架の前晩、主が12使徒と「最後の晩餐」で祝われ制定された「聖体の秘跡」(ミサ)先取り(しるし)として大切にお聞きして参りました。

主イエスが、十字架の死の直前の「最後の晩餐」で、「聖体の秘跡」(ミサ)を制定された時のことを想う度に、一つの言葉が脳裏をよぎります。「一期一会」。これは千利休以来の日本の茶道の心を語ることばとして大切にされて来ました。利休自身の言葉では、「一期に一度の会」あるいは「一期一席」ともされます。一椀のお茶をともにいただく出会いは永遠であり、その出会いの内に人は永遠に生きる。このお茶に命の一切を懸ける。このお茶をいただいた後、死んでも悔いはない。

事実、利休は、愛弟子との最後のお茶の直後に、秀吉から賜った死を遂げました。利休の死を看取った彼の妻も、彼の最愛の弟子であった大名・福者高山右近も共にキリシタン。利休はその最期の時、「最後の晩餐」に続いて死を遂げられた主イエスのことを想ったのではないでしょうか。「利休のお茶の背景にカトリックのミサが考えられる」と、裏千家の前家元が英語版のお茶の本に書いていました。事実、一つの椀から回し飲みをするのは、利休の濃茶とカトリックのミサ以外にはありません。

「一期一会」。弟子たちとの「最後」の晩餐。そのことは、十字架を前に、主イエスには明確に自覚されていたはずです。後に、それは弟子たちにも、「最後の晩餐」に続く主の十字架の死と主のご復活を経て、明確にされました。「一期一会」。「わたしの記念として、これを行え」と、主が、わたしたちに残された「聖体の秘跡」(ミサ)。これこそ「一期一会」の秘跡。人と人との出会いの秘義を教える利休のお茶をはるかに越えて、神と人との出会いの永遠の秘義に目を開かせ、さらにその永遠の秘義をわたしたちの身の事実とさせてくれるものこそ、ミサです。

「一期一会」。利休が、お茶としてわたしたちに残していったのは、彼自身です。彼との出会い。さらに彼個人と出会いを越えて、人と人との出会いそのものの秘義です。「一期一会」。「最後の晩餐」、すなわちミサで、主イエスが、わたしたちに残されたのも、主ご自身。主イエスにおける父なる神との「一期一会」の出会いです。神と人との出会い。そしてそれは、余りにもリアルです。ミサは、伝えます。「主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、裂いて、弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである。』食事の後に同じように杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい。』 信仰の神秘(秘跡)。」

ミサの中で司祭を用いて主イエスが、みことばと行為によって聖別されたご聖体において、聖霊によりご復活の主ご自身が現存されます。歴代の信者・殉教者たちが、聖体の内に現存されるご復活の主に彼らの生涯を託し、最後には彼らの命を捧げ、唯一人たりとも裏切られたことの無い、これがわたしたちの信仰です。

聖体における主イエスとの「一期一会」の出会いの内にご復活の主のいのちを受けた聖アウグスティヌスは語ります。「キリストのご聖体を拝領する時、わたしたちは、主をわたしたちの体に変えるのではなく、ご聖体を受けたわたしたちが、主によって主のからだに変えられますその時わたしたちの罪なる体が、キリストの栄光のからだへと変えられます。皆さんは、ご聖体によって、ただキリスト者(キリストに属すもの)とされるのではありません。皆さんはキリストのからだとされるのです。」

わたしたちの内にまで来て、「わたしたちの罪なる体を、キリストの栄光のからだに変える」ことがおできになるのは、「聖霊」なる神お一人です。聖アウグスティヌスは、ミサで、わたしたちがご聖体としてお受けするのは、実は「聖霊」に他ならない、と明確に教えてくれているのです。「福音とご聖体において、活けるご復活の主キリストにお会いさせていただく」と先のベネディクト16世教皇はミサの秘義を教えてくださいました。わたしたちはすでに、聖アウグスティヌスから、ご聖体においていただくのは、「聖霊」に他ならないと教えられていました。この「聖霊」こそ、目に見えないけれども活けるご復活の主ご自身に他なりません。

今、ミサで、ご復活のキリストが、ご聖体においてご自身をわたしたちにお与えくださる。ご聖体の内に働かれる「聖霊」は、わたしたちの内に来て、罪なる体から主のからだへと変えてくださる。わたしたちは主のからだに変えられて神の国に「過ぎ越」させていただく。これこそ確実に神の国に帰らせていただく道です。ミサで祝うのは、ご聖体のキリストにおける神と人との「一期一会」の出会いの秘義、ご聖体の主とわたしたちとの「過越の神秘」です。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。