司祭の言葉 10/9

年間28主日C年

 皆さんおはようございます。今日の福音は重い皮膚病患っている10人の癒しです。
 重い皮膚病とは、らい病(ハンセン病)のことです。この病気は結核よりも感染力が弱く、1943年に特効薬プロミンも作られ治癒することが可能となっていました。
 しかし、日本ではその10年後の1953年にらい予防法が作られています。この法律には,「強制隔離」規定がありましたが、「退所」規定がありませんでした。退所規定がないと、どうなるでしょうか? 死んでも出られないと言うことです。その結果、ハンセン病に対する恐怖を生み、患者に対する差別・偏見が強まることとなりました。家族は病人の存在をひた隠しにして、親子の縁まで切ったといいます。

 全国ハンセン病患者協議会の長年にわたる「らい予防法」改正要求運動により、【らい予防法の廃止に関する法律】が制定されて「らい予防法」が廃止されたのは1996年のことです。
 さいたま教区内では草津にこの病院があり、そこに作られた教会が草津カトリック教会として、巡回教会になっています。
 そこの患者さんたちがつづった詩集があります。本の名は「骨片文字」(1980年刊行)
 序文の一部を紹介します。

「いま、草津の「つつじ公園」、碑のそばに立つと、足元の赤土に白く乾いた小石のようなものの散乱を見る。掌に載せれば軽い。それは無数の骨片だ。砂礫のように小さなものが、生者と死者の共通の記憶である。それらが文字となってなお残ろうとする。日本からやがてライがきえても、すなわちハンセン氏病の人が死に絶えても、この詩集が消えることのないように、誰かの手に確実に渡されてゆくように・・」

 私は1979年インドのサンチナガールにあるマザーテレサのライ病の施設を訪問したのですが、日本との違いに驚かされました。
そこでは施設の周りに患者さんたちの家族の住む家があり、保育園もありました。患者さんたちは切り捨てられてはいなかったのです。自分たちでパンを焼き、シスターたちの支援を受けて暮らしていました。

 さて今日のメッセージについてみてみましょう・・・

 ライ病は重い皮膚病・・・と訳されています。
 ライ病をこのように訳することによって、本来の言葉の意味が弱められ、日本におけるライ病人への差別の歴史認識を、弱めることになりはしないかと危惧されます。

 イエス様の時代、この病気は全く治る見込みのない、死を宣告されるのと同じ病でした。
 毎日体の一部が死んでゆくと言っても良く、今日は指が死に、次に足の指が、鼻が、耳が落ちてゆきます。治療法もなく、伝染するので、その地域から追い出されてしまうのです。
 ベンハーという映画では、谷底の洞窟に生活するライ病人の姿が描かれています。

彼らは町の近くに物乞いに来ることもあり、その時は鈴を鳴らし、エメエメ(穢れたもの穢れたもの)といいながら歩かねばならなかったといいます。

 今日の福音のメッセージを皆さんはどのように見るのでしょうか

 特筆すべきことは、ユダヤ人とサマリア人がともに支えあって生活していたということです。
 いつもはいがみ合ってきたユダヤ人とサマリア人ですが、ともに一度かかったら治らない重い皮膚病という病気にかかり、共同体を追われて、互いに支え合い助け合って生きてきました。共通の苦しみによって結びあわされたのです。人と人との交わりには力があります。特に、苦しみを分かち合う交わりにはその力があります。    

 ライ病の人の一人がイエス様の噂を聞きました。そのことを語り合っている内に、彼らの心に少しずつ希望がわき上がってきました。今や彼らは信じるようにまでなりました。信仰の形成には、自分一人よりも、みんなで分かち合うほうがたやすいのです。
ライ病にかかっていましたがこの人々は生き抜く決意をしました。

 さらに、癒やされたサマリア人はとって返してきて、感謝しました。
 それに対しイエス様は、不思議な言葉を述べています・・・貴方の信仰が貴方を救った

 多くの人は、失敗は他人のせいにし、成功は自分の手柄にします。会社の社員は社長に感謝するでしょうか、多くの人は自分の働きで給料を得たと思います。
病気を直してもらった9人は、「みろ、俺たちはこうして治って戻ってきた。なおった姿を自慢してやる」・・そんな気持ちに支配され、感謝するのを忘れたのかも知れません。

しかし、9人のユダヤ人が戻ってこなくても、イエス様は問題にしなかったに違いありません。イエス様は心の広い人です。
 伝記を書いたルカが、イエス様の問題にしなかったことを問題にしているのではないか‥そう考える聖書学者もいます。

 なぜなら、その前の箇所でイエス様は次のように言っているからです。
「自分に命じられたことをみな果たしたら『わたしどもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい・・と。

そのイエス様が癒やした相手に、戻ってきて感謝することを要求するのはおかしい。イエス様は感謝など求めてはいない、感謝すべきだというのはルカの考えだろう・・と。

あなたの信仰があなたを救った   サマリア人の信仰とは何でしょうか。
イエス様が癒すことができるという信仰であれば、それはユダヤ人も同じでしょう。他の9人もその信仰のゆえに癒されたに違いありません。違いは感謝するために戻ってきたということであると思います。

この外国人の他には   外国人・異邦人・・・この言葉にわたしは差別を感じます。
本田哲郎訳では「民族の違うこの人の他には」となっています。
原文はアッロゲネース よそで生まれた人・・のいみです。
αλλoγενηs  αλλos(他の)+ γενos(生まれ)