「智も手も」2020年

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2020年 9月

智も手もNo387 9月号電子版 2020年9月27日発行
※2020年09月20日 年間第25主日A年
         デナリオン・信仰の恵み
                      司祭 鈴木 三蛙
 日本国内でも、とくに新型コロナウイルスによる打撃は激しく、健康で働きたくても仕事がなく働けないという現実があります。多くの方が派遣切りにあい、8月初め、失業者は265万人、戦後最悪の6%台になり、隠れ失業者517万人を含めると11%台になるそうです。さらにこれは世界中の傾向で、米国などでの失業者は、20%を超えるともいわれています。現実に、春日部教会でもこども食堂を行っていましたが、現在は部屋に招いて食事を提供することが難しく、母子家庭などではお母さんの失業や休職で、食べるものにも事欠く事態に陥っています。
 マタイ20の1〜16の今日の福音のたとえは、全ての人に働く権利があること、また働く者はその働きに対して生活できる賃金を得る権利がある事をも、示唆しています。
 今日のたとえ話でぶどう園の労働者に支払われた賃金は、私たちの社会の基準で考えれば、同じ現場で同じ労働をしていた労働者の時給が10倍近く違うのですから、これは明らかに不当な行為だろうと思います。でもイエスさまは「あなたに不当なことはしていない」のだから「自分の分を受け取って」それで満足しなさいとおっしゃっています。
 1デナリオンは本当にわずかなお金です。家族みんなのパンがやっと買える程度のお金だったのです。このお金がなければ家族は今日一日ひもじい思いをすることになります。
 たとえ話で語られる労働者は「9時ごろ」「12時ごろと3時ごろ」に雇われた人たちも、「5時ごろ」に雇われた人たちも「何もしないで1日中ここに立っている」ので雇われたのですが、彼らは「誰も雇ってくれない」のでしかたく、声をかけられるチャンスを逃さないために、働くチャンスを逃さないために、「何もしないで広場に立って」いたのです。逆に同じ賃金であったことに抗議をした最初に雇われた者たちは、あとから雇われても同じ賃金なのであれば、自分たちも五時ごろに雇われれば良かった、つまり朝から働かないほうが良かったという思いがにじみ出ています。
 ここで語られているのは社会正義ではなく神の憐れみなのです。1デナリオン、この神から与えられるものは、信仰の恵だということが大切な点です。この労働者が神から与えられるのは賃金ではなく贈り物であり、報酬ではなく恵なのです。パウロは言います。「ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。」(ロマ4の4)
 わたしたちはみな神から恵みを受ける資格を持ちません。自分で自分を義とする事のできる人は一人もいないからです。もし、人が義とされるのなら、それは、ただ、神のあわれみによるのであって、イエスがわたしたちのかわりに贖いをされた事によるのです。
 ラビの言葉に、「ある者は1時間で神の国に入り、ある者は一生かかってやっと入る」と言うのがあるそうですが、今日の福音は、神は全ての人を神の国へと招いておられ、信仰に後先はないことを物語っています。

新ホームページについて
          広報部  T.C
 昨年19年から広報部員が大幅に若返り20代から30代?の方が4人増えた。委員長にもお願いしていたがホームページを担当してくれる方はなかなか現れなかった。
 今年の7月の初めころYさんという粕壁の方が手伝ってくれるとの連絡を委員長より受けた。メールでやり取りをして初めの頃 1,2年後に新しくすることを考えている。その時は最初から始めたほうが楽でしょう。などと話していた。
 約1か月後の8月中旬ごろ新HPが出来たとの連絡があった。司祭の言葉などスマホでも見やすいので驚いた。私と違うソフトで、現在のものと互換性がなく、作り方は私もよくわかっていないが。
 現在のHPは2003年ごろ、I氏が作ったもので、上と左にリンクの枠が固定されていてリンクへの接続は速いが、画面がその分小さくなり、スマホでは見にくい。ネットの接続は当時はisdnというもので、今のほうが千倍から一万倍速くデータが到達する。従って画面の作り方も違う。教会に送られたコマーシャルメールを消すのに10分かかった記憶がある。
 スマホ全盛の時代少しでも多くの人に「司祭の言葉」を届けたいと思い、今後新HPを主体にしていくつもりだ。しかし、細かい調整や古いデータの整理などに案外時間がかかるかもしれない。安易に変えると古いデータを失う恐れもある。メールだと細かいことがなかなか伝わらないので、コロナが明けて正常に戻ったころに、全面的に新HPに移行したいと考えている。
(今月のお知らせにある図はQRコード スマホで読み取ると新url http://catholickskb.wp.xdomain.jp/が入る)

幹部会(兼・共同墓地管理委員会)報告         S.K
2020年9月13日(日) のミサ後に幹部会、兼共同墓地管理委員会を開催しました。
春日部教会共同墓地は教会として管理するということになっていますから、現状を教会委員会幹部の皆さんにも知っておいていただきたいとの思いから、今回は幹部会と管理委員会を合同で行いました。
協議事項
一.公開ミサ受付時間の変更
春日部教会では、新型コロナウイルス感染防止のために、ミサ参加者の体温チェックと、お名前、住所、連絡先電話番号及び利用交通機関などを記載していただく受付を行っております。
この1ケ月余りは受付時間を10時15分までとしていましたが、受付担当者がミサに遅れて参加することとなっていますので、それを解消するためにも、10月第二日曜日(10月11日)から受付時間を10時迄とすることといたします。10時になりましたら聖堂のドアをロックしますから、余裕をもって教会に来られるようにお願いいたします。

二.ホームページ変更の件
ホームページ担当者の希望で、手伝ってくださる方を探していましたが、粕壁地区の信徒さんにお願いして、あたらしいホームページに移行することとなりました。
新しいホームページはパソコンでもスマートホンでも容易に見られるようになります。スマホ・デビューされて間もない方でも容易に見ていただけるようになるでしょう。詳しくはHP・智も手もをご覧ください。

三.ミサ献金箱を用意します。
 現在はミサ中の献金・奉納は行われてなく、教会費や建設積立金などと一緒に振り込みでお願いしています。しかしながら、教会費の支払い習慣がない外国人の信徒の方がミサ献金・奉納しやすくするために、10月から玄関ホールにミサ献金箱を用意することにいたしました。

四.墓地使用申込、及び永代使用について
生活困窮者の共同墓地永代使用に関して協議しました。
・結果:それぞれに事情が異なることが考えられますので、その都度、管理委員会で検討することとなりました。
 
報告事項
一.2020年1月〜8月会計報告があり、了承されました。
二.教会の鍵開け締めボランテイア協力者についての現状報告とさらなる協力依頼がありました。
三.全メンバーによる「教会委員会開催」案内
10月末までに、各地区において次期教会委員長候補者を推薦していただき、11月8日(日)のミサ後に推薦をされた方々に集まっていただいて次期委員長候補者を決定することとなりました。その後、主任司祭の承認を得た上で、11月29日(日)ミサ後に教会委員会を開催し、次期委員長を正式決定いたします。

公開ミサ・他に関するお知らせ。
   
              2020年9月20日 教会委員長  A.Y、S.K
1.2020年10月第一週の日曜日(4日)からミサ参加の年齢制限が緩和されます。
基礎疾患が有って薬を飲んでいらっしゃる方でも、当日に体調が良ければ
参加できますが、新型コロナウイルス感染が心配の方は参加を見合わせてく
ださい。
また、ミサ中に介添えが必要な方もご自宅でのお祈りをお願いいたします。
また、3密状態は避けなければなりませんから、当分の間はAグループ、
Bグループに分かれて一週間ごとの参加となります。
10月4日のミサ参加はBクループ地区、10月11日がAグループ地区です。以下、各グループ交互の参加となります。

2.受付時の混雑緩和を計ります。
 聖堂入口で体温チェック、手のアルコール消毒、及び名前記入などは行って
いただきますが、受付での混雑を避けるために、教会名簿に名前が掲載されて
いる方は、お名前と利用交通機関だけを記入いただければ住所の記入は省略
いたします。
 外国人の方で教会名簿に住所などが記載されていない方は名刺サイズのカードを用意しますから、それに名前、住所、電話番号を記載して持参してください。受付では体温チェックを受けその数字をカードに記載してから提出いただければ、受付での住所や電話番号の記載が省略できます。

3.10月11日(日)より、ミサ前の受付時間を10時までと致します。
受付出来ない方はミサに参加できませんから、余裕をもってお越しください。受付方法は変りません。

4.毎月、第四週の日曜日の「主の祈り」はベトナム語で唱えることとなりました。
ベトナム人以外の方は、心の中で日本語あるいは母国語で唱えていただくことになります。

5.ミサ以外の集会は、教会委員会・幹部会など特別な場合を除き、もうしばらく
中止してください。

「ミサ献金箱」設置のご案内
教会では、教会費を始め、建設積立金やミサ献金を振込みで支払っていだたくようにお願いしていますが、外国人の信徒の方を含めて、振込での支払いが困難な方のためにミサ献金用の受け箱を用意いたします。しかし、これは振込が困難な方用ですから、振込可能な方は是非振り込みでお願いいたします。特に教会費や建設積立金の支払いは振込でお願いいたします。

日程
★あかつきの村廃品回収
 10月18日(日)ミサ前9:00〜10月31日(土)午前11時頃まで。回収品の保管場所は聖堂の最後方です。

速報——10月から、ミサ参加の年齢制限がなくなります。記事参照。

編集後記
◆勤務の実情がミサの日程と合わず、しばらく休んでいます。オンラインで毎日ミサを見ているのでどうにかなっています。(k)
75歳以上のAさん、Sさん、Yさんなどなど、はどうしているかな。コロナの終息を願いつつ。(t)
◆ほとんど巣ごもり生活。体はなまり、心は萎える。(n)
◆実りの秋、私達の信仰も良い実りがあります様に。(h)
◆コロナウィルスが終息し、ソーシャルディスタンスが早く解除されて、密になってもOKな世の中になってほしいですね。(m)

「注」智も手も印刷版のpdfの希望者へ
智も手も9月号印刷版には各種報告などがよりくわしく載っています。そのpdf版をアドレスのわかる方に送信しました。受け取らなかった方で受け取りを希望される方は、下記アドレスに地区名、氏名を書いてメールしてください。(t)

Email:cathkasu20@cathkasu.sakuraweb.com
URL:cathkasu.sakuraweb.com
〒344-0067 春日部市中央5丁目7−15
TEL 048−627-1042
カトリック春日部教会広報部


2020年 8月

カトリック春日部教会報   「智も手も」 No.386 2020年8月号 (電子版) 
                       20年8月23日発行 

※20200816 年間第20主日A年
カナンの女と子犬
                   司祭 鈴木 三蛙
 今日のみ言葉は、カナンの女のおはなしです。イエスがティルスとシドンの地方に行ったとき、女はイエスが来たと知ると、「ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめいられています。」と叫びます。でも、「イエスは何もお答えにならなかった」とあります。「何で?」と思いませんか? そして弟子たちはと言えば、うるさいからと追い払おうとするのです。これまた薄情だと思いますよね。さらに引っかかるのは「子供たちのパンをとって子犬にやってはいけない」ということば。犬呼ばわりですよ。これがイエス様の言葉・?と思ってしましませんか。            
 まず、カナンに来たいきさつから見てみましょう。今日の個所は15章の21節からですが、15章の初めには、エルサレムから来たパリサイ人と律法学士たちが、イエスの弟子たちが先祖からの言い伝えを守らないことについて、論争を仕掛けています。その前の章ではパンの奇跡と、休むために対岸に行かせたが嵐にあったというお話でした。
 イエスの弟子たちもイエスもかなり疲れていて、本当に休みが必要で、パリサイ人、律法学者たちの偽善に辟易して、足の塵を払うような形で、ユダヤから離れたところでした。
 既成宗教に対して足の塵を払ったイエスは、私たちの教会に対しても、もし辟易したら、足の塵を払われるかもしれません。
ここで一つの言葉に注目したいと思います。「子犬」です。相手を犬呼ばわりするときには、そこに強い侮蔑の意味がこめられます。でも、この子犬という言葉には優しさと愛情が含まれているのです。
 指小辞(ししょうじ)‥という言葉をご存知でしょうか。ある言葉につけて、小さい、かわいい、という意味をあらわす言葉です。今、セウイの台所のわきに野良猫が子猫を生んでいて、時々姿を見つけるそうです。かつて、やはり物置に野良猫が子供を産んだことがありますが、子猫はすばしっこく、決してつかまりませんでした。犬も野良犬は恐ろしいし、その子犬も歯をむき出して威嚇してくるでしょう。人間を犬と呼ぶのは致命的な侮辱でした。そのような犬呼ばわりは、犬はごみをあさる不潔な動物という印象でしたが、ここに出てくるのは、そのような犬ではないのです。ギリシャ語で犬はキュノスですが、ここではこの指小辞が使われていて、キュナリオンなっています。飼い主のところに愛情込めて飼われている子犬という感じです。イエス様は、いわば、愛情込めて「子犬ちゃん」と呼んでいるいうところでしょうか。
 訪れた異邦人の地、あるいはそこに信仰を見出そうとしたのでしょうか。イエスはカナンの女の信仰を試します。イエスの厳しい言葉にも彼女は耐え、娘をいやすことのできる方はこの方を置いてはいない・・その確信をもって、「子犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」とこたえます。
 カナンの女は、はじめイエスをダビデの子と呼んでいます。世俗的な呼びかけですが、あとからは信仰をもって「主よ」と呼び掛けています。
そしてイエスは彼女の信仰に応え、娘の病気をいやしたのです。

       あかつきの村資源回収
 7回目となるあかつきの村資源回収を行います。コロナ禍の中、従来の回収方法と収集場所、収集期間が異なりますので、下記を参照して、ご協力お願い致します。

あかつきの村回収日(最終日)は10月31日(土)午前中です。
★収集場所
旧図書室、出口扉付近
旧台所(旧金庫設置場所)です。
注意:信徒会館は使用しません。
★回収期間
 10月18日(日)ミサ前9:00~10月31日(土)午前11時頃まで
   2週間(厳守です。)
★[取扱い品目]
・衣類・服飾雑貨・日用品・古新聞・本・古雑誌・段ボー・CD・DVD
・毛布:洗濯済みの物 冬季、山谷へ送ります。
・不用パソコン:破壊証明書を発行、お名前の明記を。
・携帯:本体溶融でデーター破壊します。証明書はありません。
・ ・小型家電:新品・中古・壊れた家電等すべてOK
★★【不可の物】
・  ブラウン管テレビ・大型冷蔵庫など大型家電・ガラス類・陶器類・大型家 具・布団類等。
★回収物には「あかつき用」と明記の張り紙等をお願いします。
★問い合わせ
     岩槻・豊春地区 A.M
     備後・大枝地区 W.E

      教会学校みことばクラスの今
                  リーダー I.J
 2月16日のみことばクラスを最後に、イースターも四年間お世話になった薫神父との別れできないまま、今日を迎えています。6月21日からミサに預かれるようになりましたが再開までにはまだ時間がかかりそうです。毎年4月に申し込みを受け(対象年齢5才から17才)活動してきました春の遠足と夏の東ブロック合同キャンプが毎年の行事でしたが今年は中止となりました。そこで先日昨年まで参加していた子供達にハガキを送りました。

みことばクラスの子供達へ
+主の平和
 教会で会えなくて、もう半年が過ぎようとしています。その後お元気ですか。遠足もキャンプもできなくなり、これからどうなるのかもわからない日々ですが、私たちはみんな神様に望まれて、今を生きています。
 どんな時も希望を失わず、1日1日を大切に過ごしましょうね。また会える日を楽しみにしています。
祈りのうちに   リーダーより。

 それから参加希望の子供や質問などがありましたらいつでもおたずねください。

鈴木神父様の写真(アルバム参照)
地区委員に鈴木神父様の写真を載せて欲しいと要望された方がいて、ミサ後マスクを取っていただいて撮影しました。最近はマスクなしの写真はかえって珍しいですね。思えばお顔のわからない方も多いかも。

  春日部教会共同墓地が完成しました(アルバム参照)
 昨年の夏から具体的な準備をしていましたが、新型コロナウイルス感染症問題で、スエーデンからのいい墓石の入荷が大幅に遅れ、本年7月後半にやっと完成しました。
 7月25日に大雨の中、墓地に会員が参集し、鈴木神父に祝福をしていただきました。墓地管理委員長からの挨拶は「立派な墓地が出来たからといって、決して入るのを急がないように」ということです。( ´艸`)

写真1:鈴木神父による祝福の祈り  

写真2:共同墓地全体図です         

写真3:正面図です。鏡のように輝いていますから、バックの
風景が写ってしまいました。 
 正面の十字架の下に三列に渡って
「主よ 全てを御手に ゆだねます」と刻印されています。
カメラマン(women)は傘をさしながらの撮影でした。

            駐車場注意
スーパーたいらやが8月23日から10月末まで改装工事に入るそうです。
その間は駐車場が使用禁止となります。車で来られる方はご注意ください。

        智も手も8月号の発行について
                      S.K
□例年ですと8月は「智も手も」の発行はお休みしていますが、教会に来たくても来られない方々に少しでも情報をお届けしたいと思い、広報の方に無理をお願いして発行しました。
□皆さんにお知らせしたい事柄がありましたら、広報部長か委員長にお寄せください。  

       聖母被昇天(8月15日)ミサ報告(アルバム参照)
                              A.Y
まず、最初に「コロナ禍で見えた春日部教会の強さ」を最近感じています。
新型コロナウイルス感染症の影響が長期化する中、信徒の皆さんの高い使命感
を持って円滑な教会運営を支えて頂いているミサに参加できない高齢者や基礎疾患のお持ちの信徒の皆さんの忍耐に深く感謝申し上げます。
新型コロナウイルス感染症は、私たちがこれまで「当たり前」だと信じてきた常識や価値観を根底から揺さぶりました。
人との接触の自由が奪われ、移動が制限され、日常が急激に変化する中で
「教会のあり方」も変化してきました。
今回の聖母の被昇天ミサは、当初は、45名の日本人と外国籍の10名の計55名位を予定していましたが、実際は39名の参加でした。暑さ(教会外気温39度)のせいもあり、コロナのせいもありと少ない状況でのミサではありましたが、 鈴木神父の説教が心に残った部分と私なりに感じた部分をお話させてください。

鈴木神父の説教で印象に残った話
日本と聖母マリアの記念日との不思議な関係について調べてみると、1549年に日本にキリスト教を伝えたフランシスコザビエルが、初めて鹿児島に上陸したのは、8月15日でした。
そこでザビエルは、日本を聖母マリアに
捧げて、その庇護を祈ったと伝えられています。そのせいかどうかわかりませんが、日本の歴史的な出来事と聖母マリアの祝日は、実によく重なっているのです。
真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったのが、1941年12月8日でこの日は、カトリックの国では盛大に祝福される「無原罪の聖マリアの祝日」です。
太平洋戦争が終わったのは、1945年8月15日で、この日は、「聖母の被昇天」です。
その後、サンフランシスコ講和条約が調印されたのが、1951年9月8日で、この日は、聖マリアの誕生日に当たります。さらに日本の建国記念日の2月11日は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。
信じるすべての人の救い
聖母の被昇天について、この信仰は、マリアだけが特別な存在だと教えて居るのではないようです。聖母の被昇天は、キリストによる救いに与る人たちの象徴として、信じるすべての人達の救いへの希望を表現しています。
このことについて、被昇天のミサの集会祈願では、次のように祈っていました
「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」
「当たり前の壁」
世の中が変わり、教会のミサのあり方が変われば、私たちも、その変化に対応せざるお得ません。これまでの「当たり前」を疑い、場合によっては思い切って打ち破ることも必要です。
私は、最近教会でそう感じています。まだまだコロナ渦で終息には至っていない現在、教会ミサに参加できない方々に神の恵みがありますように祈ります。

【編集後記】
◆カトリック平和旬間が今年は行事がなく終わりましたが、今後もその精神は引き継いで行かれるとおもいます。
◆世界の人々の協力により、1日も早くコロナが終息しますように!
◆8月号は印刷は休みで、ネットの記事のみ発行予定でした。しかし記事にあるように、彼の「皆さんにお知らせしましょう。私が印刷します」との言葉に励まされ、印刷版を作ることになりました。ネットが見られない方に印刷して届けたいとの強い意気込みを感じます。
印刷に携わった方や配布の準備をされた方々にお礼を申し上げると同時にぜひじっくりと記事をお読みくだれば幸いです(t)

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URL:cathkasu.sakuraweb.com 
〒344-0067 春日部市中央5丁目7-15
TEL048-627-1042
カトリック春日部教会広報部


2020年 7月

カトリック春日部教会報   「智も手も」 No.385 2020年7月号 (電子版) 
 20年7月26日発行 ※2020年7月19日 年間第16主日 A年

        毒麦のたとえ(マタイ13章24-43節)
                      司祭 鈴木 三蛙
 今年は長雨が続いていますが、ようやく晴天の予報も入ってきました。今回の集中豪雨では各地の田畑が水に浸かる被害を受けましたが、作物を作る方は、長雨でも晴天続きでも困りますので、心配は尽きません。イエスの時代にも同じだったのだろうと思います。種をまいてから深く耕すのもその対策の一つでした。
 加えて、イエスの時代に、敵対者が毒麦をまいて作物の収穫を妨害することも実際にあったのでしょう。それも、撒いた毒麦は半端な量ではない。非常にたくさん撒いたので、根が絡み合い毒麦だけを抜き取るのは不可能なほどです。
このたとえはどうして語られたのでしょうか。ドイツの聖書学者、ヨアヒム・エレミヤスの見解は次の様です。
 イエスに付き従う人たちの中には、ファリサイ派の基準だけではなくイエス自身の基準からみても、神の前に立つにはふさわしくない人々がいました。そこに生じたのが「なぜあなたは罪びとを神の国の共同体に招いているのか」、あるいは、「弟子にしておくのか」というような批判です。そして、その弁明が今日の箇所だと考えられています。つまりイエスが譬えを語った時の直接の相手は、イエスを批判する人たちだったと言うことです。
 家の主人は、「毒麦はそのままにしておかなければならない」という考えです。その理由は、毒麦の量が非常に多いからです。収穫期には刈り取り専門の人が別に雇われます。その人たちに刈り取るときに毒麦と良い麦を分け、良い麦を倉に入れ、毒麦は束にするように言いつけます。
 ここで質問ですがなぜ束にするのでしょう。日本人的に考えれば束にせず、山にしておいて燃やしてしまうかもしれません。でも、パレスチナは木が少なく燃料が不足しているからです。ただ焼いてしまうなど無駄なことはできません。束にするのはそれを乾燥させて燃料にするためです。
 なぜ毒麦を抜かないのか。理由は二つ語られています。
 生育の初期段階では毒麦と麦が外見上とても良く似ているように、「神の民」も偽信者の間に、秘密として隠されています。それでも選別しようとすると、間違いなく誤った判断をして、毒麦と一緒に良い麦を抜いてしまうでしょう。
 さらには、神が選別の時を定めているからです。種は必ず収穫の時を迎えます。植物の話なら、毒麦はいつまでたっても毒麦ですが、「毒麦」が「罪びとのレッテルを貼られていた人」の意味ならば、「毒麦が良い麦に変わる可能性」、悔い改めの最後の機会がまだなくなってはいないのです。
 振り返って私たちの教会はどうでしょうか。教会の中から異質のものを排除しようとする誘惑はないでしょうか。私たちがパリサイ人の立場でものをいうことはないでしょうか。

春日部教会ミサへの参加について
1.下記の文を読んで、自分がA.Bどちらのグループに属するか知り、また65歳以上75歳以上の方は年齢の項目を読み、参加または不参加か決めてください。
2.ミサ前に手続きがありますので開始15分前までにお越しください。
3.グループ分け
大まかに教会より南に住む方がAグループ 北はBグループになります。
Aグループ(越谷大袋、せんげん台、武里、備後大枝)
Bグループ(一ノ割牛島、粕壁、豊春岩槻、庄和野田、杉戸幸手)
4.ミサの時間
日曜日午前10時一回のみ
 7月 26日(Bグループ) 
 8月 2日(Aグループ)  9日(Bグループ) 16日(Aグループ) 23日(Bグループ)   8月30日(Aグループ)   9月まで出す予定 以後は、追ってお知らせ予定です。
より詳しくはこのページ左上またはトップページより「今月のお知らせ」をご覧ください

聖母の被昇天ミサについて
 8月15日は土曜日ですが、聖母の被昇天ミサが午前10時からあります。(午後は加須教会)
 今回は2つのグループに分けられませんので全地区の皆さんが参加対象ですが、各地区からのミサ参加者を5名以内にお願いいたします。日曜日のミサ同様、高齢者と基礎疾患をお持ちの方はご出席できません。参加希望者は8月10日(月)までに、地区委員までご連絡ください。地区委員の方は参加人数を確認され、念のために早めに委員長にご報告ください。(S.K)

公開ミサ再開報告 
                    A.Y
 6月21日から3か月ぶりの公開ミサ再開に当たって、色々な留意・注意事項が、さいたま教区の山野内司教からありましたので、それらを考慮して主任司祭の鈴木神父と信徒幹部会で具体的な実施要領を作成し、公開ミサを再開致しました。 
当初は、一番留意すべき「ソ-シャルディスタンス」(社会的距離)を1.5mに想定しました。
 しかし、実際に椅子を並べて見ると40脚(椅子)弱になり、どう考えてもいつもの信徒数を考慮に入れると無理なため、鈴木神父から日曜日のミサを2回に分けて(9時、11時)でやりましょうか!というご提案がありましたが、その後「日曜日のミサは各教会1回のみ」という指示があり、やむなく地区をA、B 2つのグループに分けて対応することとなりました。 
 当日の朝は、案内係の方々は、9時には来て頂き、玄関前にテ-ブルを用意して、非接触体温計で体温を測り、名前/住所/電話番号/体温/交通手段などを記帳した後、アルコールで手指消毒などをしてから教会に入る流れで実施しました。(HP アルバム参照) 
 ミサは、オルガン演奏なし、聖歌なし、聖体拝領でのホスチア授与は、典礼委員の方々3人で行われ距離をとり行われ、通気性をよくするために窓を開け、飛沫感染に努めました。
 そういう意味でいつもの教会ミサと雰囲気が全く違います。本人はもとより、互いに他人と教会に迷惑を掛けない事が大前提です。 
 今後の課題としては、受付をしてからの教会入場なのに、遅く来られる方がいて係がミサに遅れてしまうことです(受付時に口頭での注意と、英語・ベトナム語でも注意文書を作成配布してミサ開始15 分前には来るようにとお願いしています)。 
 ミサ再開の主旨は『段階的に』始めるのであって、100%ではないし、教会で祈ることが全てではないのである。と山野内司教のコメントにもあります。 
高齢者の方、基礎疾患のある方には、今しばらくの間、辛抱して頂き、全員がミサに与られる日を皆さんと共に祈りましょう。 それが、私たちに課せられた宿命であり、世の中の変化に対応していくべきであると感じました。
 未来の教会のあるべき姿も日々変化していかなければならない時が来ていると、私はある本を読んで教皇フランシスコが世界の教会に呼び掛けていると感じました。 イエスキリストは、すべての罪を負って死んで下さり、復活されたように、私たち(信者)も、公開ミサ再開の現実の変化に対応して、新しい教会を司祭と一緒に協力して作り上げて行けるように
共に祈りましょう。                              

イタリア ボローニャ マリア テラコッタ
                         T.C 
 この間テレビを見ていたら、作家井上ひさしがイタリアボローニャを取材のため歩き回った昔の番組を流していた。まさかあの像は出てこないだろうと思っていたら、帰る前の日にイタリア人の日本歴史研究者が連れていきたい場所があるといって来たのがこの教会だった。
 1995年のクリスマスの頃、ツアーに参加して、ボローニャの最大の教会付近で約2時間の自由時間が出来た。その時に何気なく立ち寄ったイタリアにしては小さな教会の祭壇付近の立像に感動した話は、前に「智も手も」に書いた記憶がある。
 この機会に改めてネットで調べた。教会はサンタマリアデラヴィタ教会、像の作者はニッコロ・デッラルカ、1463年作。テラコッタ(陶器製)。いくつかの記事が出てきた。等身大と書いてあるのもあったが少し小さかった気がする。
 像はイエス様の遺体が十字架から降ろされた直後の様子を表現している。6人の人が横たわった遺体を取り囲んでいる。なんといっても驚きはそのポーズや顔の表情だ。マリア様は手を合わせて、体を曲げて顔も曇らせている、ほかの人たちも悲しみ表情と姿勢だ。特にマグダラのマリアは駆けつけて、遺体の足元に着いた瞬間のようで、口を開け悲しみの極限の表情である。作者の創造力や表現力によるのか、本当にこういうことが起こっていたんだ、と感じた。
 題は検索語である。いくつかの記事がヒットし、写真も見られる。
またボローニャに行く機会があったら是非この像を見てもらいたいと思う。

広報係より
教会のメールアドレスを変えました。下記参照。
教会委員会報告の文はネット公開はありません。金曜日に「司祭の言葉更新のeメール」を受けっとている方には添付にてお送りします。新しく受け取りたい方は地区氏名をeメールにて教会広報係あてにお送りください(t)。

編集後記
 75歳以上ということで3月よりもう5か月教会を休んでいます。教会の様子を知りたい方も多いでしょう。様子がわかる写真や文をメールで送ってください。HPや智も手もに掲載したいと思います(t)。

カトリック春日部教会広報部 
春日部市中央5-7-15 
TEL 048-627-1042 
FAX 048-877-4527 
Email:cathkasu20@cathkasu.sakuraweb.com 
URL:cathkasu.sakuraweb.com 
2020年7月26日発行 No.385        


2020年6月

カトリック春日部教会報
「智も手も」 No.384 2020年6月号 (電子版)  20年6月25日発行 
2020年6月21日(日)年間第12主日A年
   春日部の雀
              司祭  鈴木 三蛙
 春日部教会の司祭館から庭を眺め、まず目に入ったのが芝生に遊ぶ雀の姿でした。とても懐かしくうれしく感じました。前に春日部に赴任していた20年以上前は、教会の三階に寝起きしていたのですが、朝になると窓のところにいつも雀がやってきました。屋根の上に米粒をまくと、毎朝起こしに来てくれます。お米をおいてないと窓カラスをこつこつとたたいて催促?もするのです。

 昔はあれほどいたのに、最近はめっきり雀の姿を見なくなりました。雀が巣を作ることの出来る瓦屋根の家が少なくなったからです。雀は瓦屋根の下の隙間に巣を作るのです。昔から雀はとても身近な存在でした。米の実った秋の田んぼには雀が群れ集います。農家の方々は、カーバイトをつかってドカンと音を出す鹿威し(ししおどし)という仕掛けを作って、雀を追い払う工夫をしていました。そんな光景も見られなくなって久しくなります。
 今でもあるのでしょうか、上野公園の一角に野鳥料理の店があって、かつては雀の丸焼きを食べさせていました。雀は安いタンパク源でもあったわけです。

 マタイ福音書には「2羽の雀は1アサリオンで売られているではないか」とありますが、ルカ福音書では「5羽の雀は2アサリオンで売られているではないか」とあります。価値が低くて1羽では売り物にならない、あるいは1羽はおまけになっているほどの雀。そのような雀であっても、神の許し無くして地に落ちることはない・・・のです。そして私たちは比較にならないほど遙かに勝っているものなのだから、すべてを主に任せ、過度に恐れないようにしようではないか・・・そう語っているのです。

 新型コロナウイルスの世界的広がりは、世界経済を麻痺させ、人々から仕事を奪い、多くの死者をもたらしました。人々の間に恐れが広がり、教会活動もストップし、不安が蔓延しています。それでも主に信頼し、希望を持つようにと主は言われるのです。ようやく中止になっていたミサが21日から再開されることになりました。勿論まだ昔日のように全面的再開とは行かず、段階的に、まずは主日に一つのミサを再開する・・というところから始まるのですが、ともに十分に気をつけながら、三密にならないように、社会的距離を保ちながらの再開となります。
 でも、過度に恐れることなく、パンデミックの収束に力を尽くしてくださった方々に感謝しながら、主に信頼してともに進んで行きましょう。

公開ミサ再開時とその後の対応について
                   2020年6月15日

♰ 主の平和 皆様にはいかがお過ごしでしょうか!!
新型コロナウイルス関係で実施されている外出自粛制限が解除されて公開ミサが再開されることになりました。
過日に「重要なお知らせ」でお知らせしていましたが、再開にあたって山野内司教から注意事項と指示が出ました。先日、鈴木神父を交えた幹部会で内容を吟味し、春日部教会としては下記の項目などに留意して公開ミサ行うことに決定いたしましたので、下記にあらためてお知らせいたします。

1. 公開ミサは日曜日午前10時からの1回だけとなりました。
平日の公開ミサはありません。外国語(英語、ベトナム語などのミサも当分の間はありません。

2. 司教の指示により、75歳以上の方はもうしばらく自宅でお祈りしていただき、公開ミサへの参加はご遠慮いただきます。同様に65歳以上で持病がある方も参加できません。
当日、自宅を出る前に体温を計って、37.5℃以上の方もミサ参加はご遠慮ください。

3. ミサ中は、イスの間隔を一定以上開けなければなりませんので、ミサに与かれる人数に制限があります。
そこで、春日部教会では地区ごとに1週間交代でミサに与れるようにいたします。
〇 6月21日の参加地区は、越谷・大袋地区、 千間台地区、 武里地区、 備後・大枝地区 です。
     (以後の表示の便宜上、この4地区をAグループと呼称します) 

〇 6月28日の参加地区は、一ノ割・牛島地区、 粕壁地区、 豊春・岩槻地区、 庄和・野田地区 杉戸・幸手地区 です。(こちらの地区はBグループと呼称します)
〇 以後、7月5日はAグループ、7月12日はBグループという順序で公開ミサにご参加ください

4. 万が一に感染者が発覚した場合の対応を容易にするために、参加者名簿の作成が義務づけられています。
名簿には参加者の氏名、住所、電話番号、自宅での体温計測値、交通手段(電車? 自家用車? 乗り合いバス? 
などの記載が必要です。この名簿は一定期間、教会委員長が厳重に管理し、その後、破砕処分致し、個人情報が外部に流失することがないように致しますからご安心ください。
参加される方はこれらの対応に時間が必要ですからミサ開始時間より早めにお来し下さい。
ミサ開始ぎりぎりの時間に来られますと記帳に時間を要し、参列者にも迷惑をおかけすることにもなりかね
ませんので十分ご留意ください

5. 教会入口でも係の者が検温をさせていただきます、その際37.5℃以上ある方は入場を控えて頂きます。
また、マスクもご持参いただき、聖体拝領時以外は着用してください。
この暑さですから、万一ミサ中に体調不良を感じた場合は着席し、早めに隣の席の方にお知らせください。

6. ミサ中の献金、奉納はございません。春日部教会では振込用紙を用意しましたので、教会費、建設積立金、などのお振込みをお願いします。ミサ後の教会費の集金などの会計業務もございませんが、会計係の方は会計部で前週分の入金一覧表を作成しますので、それに基づいて会計カードの記入、入出金集計表、台帳記入などを通常通りお願いします。また、教会関係費用を立て替えている方にはミサ後にお支払いいたします。
7.聖体拝領は神父の承認を得た典礼部員から受けることとなります。司教の指示で「高齢の神父は聖体の授与を信徒の中から適任者に依頼するように」ということとなっているためです。ご承知おきください。
同時に拝領に際して、通常のミサで司祭が「主の体」、信徒が「アーメン」、という発声は無しでお願いします。

8.ミサ中のオルガン演奏と聖歌は朗読で行います。(通気性を考慮し、音が外に漏れると住宅地の為苦情になる))

9. その他の留意事項
◎聖堂内ではミサ前・後に関係なく、私語は出来るだけ慎んでください。
挨拶などは小さな声でお願いします。教会委員会出席者を除きミサ後の歓談は止め、早めにお帰り下さい。
◎ 「平和の挨拶」は会釈で行い、握手はしないように。

🔶 山野内司教の留意事項の1ページ目を添付いたします。このお知らせと一緒にご参照ください。(係注 さいたま教区のホームページにあります。リンクよりご覧ください)
 ※ 当日の対応は教会委員長や典礼部長の指示に従ってください。

           教会委員長:  典礼部長:
                    (文責・S.K)

春日部教会共同墓地について
                管理委員会 S.K
 2019年1月と3月のさいたま県東ブロック会議の席で「川越教会が管理されているカトリック川越墓地の永代使用権が他の教会でも購入可能」という話を聞き、早速、春日部教会信徒の有志数名にお話ししましたところ、その全員から「是非ともその話を進めてほしい」という希望がありました。そこで、有志による世話人会を立ち上げて、先にこの話を進めている大宮教会の委員長や川越教会の当時の加藤神父、及び川越教会墓地管理委員長の高平氏らに具体的な話をお聞きして、墓地永代使用権の取得やその後の管理方法に関する規則案を作成し、あらためて希望者を募って具体案を説明しました。
 その結果を、2019年6月の教会委員会で説明しましたところ、「早急に決めないと、こちらが希望する場所が取得できなくなる可能性があるのではにないか? すぐにでも動いたほうがいい」というご意見と教会で共同墓地を持つということは決して悪い話ではないが、永代に管理するには有志の管理団体ではなく、春日部教会として管理するということにしたほうがいい」というご提案があり、ほぼ総意として決定いたしました。
 それらを踏まえて、永代使用権関係費用と分担金、およびその支払い方法などについて説明会を数回開催し、2019年9月の臨時信徒総会で報告いたした次第です。
 当初の説明では共同墓地使用料と永代使用料の計で1遺骨(予定)当たり25万円と発表しておりましたが、2020年始めに開催しました共同墓地使用会員総会で「永代使用料金を少し改定したほうがいいという意見になり、完成後に新たに申し込む方から永代使用料は2万円アップとなります。なお、毎年発生する管理料はこれらの中から管理委員会が支払いますから、ご家族(ご遺族)の費用は発生しません。
 ちなみに、この共同墓地関係では、春日部教会の会計からの支援を受けずに当初に申し込まれた方々の多大なご負担で何とか出来ました。心から感謝いたしております。
 また、春日部教会共同墓地の完成は7月初旬を予定して工事が進んでいます。完成しましたら写真入りでご紹介の予定です。

宇宙飛行士は宇宙で何を思ったか! A.Y
 ある本を読んでいたら、アメリカの宇宙飛行士の中で、地球に帰還した後に、宗教の道に入る人が少なからず存在することです。宇宙飛行士は自分の生まれた地球を宇宙から眺め、宇宙とは、中世までは神の領域の世界でした。その宇宙から自分が生まれ育ってきた青い星を見ることは、人間に何を考えさせるのか?それは人それぞれだと思います。けれども多かれ少なからず、生きるということについて思いを巡らすことになると思うのです。そして万が一、宇宙ステーションが故障すれば自分自身が星のかけらに還ってしまう環境にいることも、肌で感じるのではないでしょうか。宇宙飛行士の中からもう一度、神について考えようとする人が出てくるのは、必然的なようにも思われます。けれども人間はいろいろな事がわかってきても、相変わらず失恋したり、殴り合いをしたり、数千年以前と同様の生き方を送っています。そういう普通の人々にとって、地球の寿命がわかり人類の誕生と滅亡に至る過程までわかってしまった事は果たして幸福なのでしょうか。不幸なのでしょうか。人類が宇宙に飛行して、月面に着陸する時代です。「地球は青かった」というガガーリンの言葉は、人類が初めて自分の星を宇宙から見て発した言葉です。
世界とは?人間とは?そのような事を一所懸命考えていた時代に天国と地獄が生まれ、でも今は天国と地獄のかわりに、星のかけらから生まれ、地球の水が枯れ果てたときに人類は、必ず絶滅するという知見も有ります。
どちらが楽しいかは無意味ですよね!
 それは、人間の脳みそと人工知能と、どちらを採るかという技術論になっているからだと思います。どちらを採っても、人間が生きて病気になって老いて死んで行く、そのような事実については何も解決してくれないのです。
 宇宙飛行士が宗教の扉を叩き、最先端のアメリカで新興宗教が急増しているのは、大きく成長した科学や哲学とは、無縁に生きてきた人たちの、生きる支えを探す為の正直で切実な行動ではないでしょうか。                   

智も手も電子版印刷物不要の方募集
 この電子版を見られない人のために、印刷して配布、郵送を計画中です。その他の印刷物も地区委員を通して郵送する計画もあります。そこでネットで見るので、郵便物不要の方を募集します。郵送の手間、金額を減らすためです。印刷物郵送不要の方は地区名氏名を書いて、下記教会のアドレス宛にmailをしてください。また郵便振り込みも郵便貯金よりネットで送金できて手数料も数回無料です。手続きが必要ですが、検討するのも良いと思います。(T,C)

編集後記
◆昨日24日埼玉で9名、東京で55名の新規感染者。コロナは今後も長く続くかも。
気をつけましょう。(t)

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2020年6月28日発行 No.384 


2020年5月

カトリック春日部教会報  「智も手も」 No.383 2020年5月号 (電子版)

わたしはまことのブドウの木、あなたがたは枝である。わたしにとどまっている人は、多くの実を結ぶ。アレルヤ。

                          司祭 鈴木 國弘

  春日部教会の皆さん、主の復活おめでとうございます。教会に集うことのできない日々が続き、仕事も日々の生活も強く制限されていることに、苦慮しておられることと存じます。

 新型コロナウイルスの感染爆発阻止のため国家が出した非常事態宣言、これに呼応し、教会は5月30日まで公開ミサが禁止となりました。そして聖香油ミサは無期限延期となり、聖週間の典礼も、復活祭も、今月末のご昇天、聖霊降臨のミサも不公開となりました。そのため、この復活祭後小生は春日部教会に転任となりましたが、まだ教会の皆さんとご挨拶もできておりません。今回Tさんから「智も手も」への原稿依頼がありましたので、メール上にてご挨拶させていただきます。

 小生は、さいたま教区司祭、1974年11月23日に故猪俣一省神父とともに大宮教会で叙階された鈴木國弘です。洗礼名がミカエルなので、通称「三蛙」で通し川越、浦和、大宮、古河と担当する教会が変わり、今回加須教会の主任司祭と、再び春日部教会の主任司祭を拝命いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。

 叙階によって頂いた司祭の主な任務は教職、祭職、牧職と言われています。教職は預言職ともいわれ神のみ言葉を伝えることが主です。祭職は神と人々の間にあって祈りを捧げ、神の祝福を願うことが主。牧職は王職ともいわれ、神の民に仕えることが主な任務です。

 このような事態にあって司祭には何ができるのか、今一人教会で祈りながら、これまでにない体験をしています。信徒の皆さんのお宅を訪問することや病院を訪問することもできません。主日も信徒の皆さんとミサを捧げることが出きませんので、当然神のみ言葉を伝えることも出来ません。もちろん教会は10時ころから5時ころまでいつでも聖体訪問が出来るように開けています。でも、ミサには参加することのないように、司祭はお聖堂ではなく、自室で、独りでミサを捧げるように司教様から強く言われています。教会法906条には「正当かつ合理的理由がない限り司祭は、少なくとも一人の信者の参加も得られない場合はミサを挙行してはならない」とありますから、「信者を一人も入れないでミサをするように」と言う指示は、本当に例外中の例外と言うべきかもしれません。ただ一つできることは祈り、且つ祝福を願うことです。司祭が主日に捧げるミサは、ミサ・プロ・ポプロと言われていて、担当する小教区の皆さんのために捧げるミサになっています。ですから皆さんがおいでにならなくても、司祭は皆さんのために、また皆さんの家族のために、また亡くなられたご家族のために、主の祝福を願いミサを捧げています。 朝、昼、晩の教会の祈りも、同じ意向で祈っています。ともに新型コロナウイルスに負けないで、この難局を乗り切ってゆきましょう。

 今日は、5月10日復活節第5主日の福音の要点をお伝えしたいと思います。

 福音はヨハネによる福音の14章1節から12節。イエスが弟子たちに「あなた方のために場所を用意しに行く、その道をあなた方は知っている」と言い、トマスが「どうしてその道を知ることが出来るでしょうか」尋ねる箇所です。このときイエスは「私は道だ」とおっしゃいます。

教会にいると時々、教会までの道順を尋ねられることがあります。

春日部駅からですと、西口に出て駅を背にして藤通りをまっすぐに歩いて、右手にジョナサン、左手に歯医者さんのある信号のない十字路を左折。そのまままっすぐ歩いてくると左手に「たいらや」と言うスーパーが見えたら、その手前右側が教会です。そう説明すればたどり着けるでしょう。

 しかし、「道を聞いてそのとおり歩いたけど目的地にたどり着けなかった」と言う経験もおありだとおもいます。

 皆さんの中に歩いているときに道を聞かれ、ただ教えるだけではなく道案内をして連れて行ってあげたことのある人はおられますか?

 最近は家電売り場など大きな店が多くなりました。どこに何があるのか探すのに苦労しますが、でも、場所を聞いたときに、その場所まで案内してくれる店も多くなりました。そんな時はとてもうれしいですね。

 もし道を尋ねられた人が「わたしがご案内いたしましょう」と言うなら、その場合案内をしてくれる人はわたしにとって道であり、わたしが道に迷うことはありえません。これが、イエスがわたしたちにしてくださったことなのです。

 イエスは単にわたしたちに助言や、指示や、忠告を与えるのではありません。イエスは手ずからわたしたちを導き、わたしたちと主にあゆみ、そしてわたしたちを個人的に日ごとに強めてくださるのです。イエスは道について語りはしない。イエス自身が道なのです。私たちも同じようにできたらいいですね。

 皆様の上に、主の祝福がありますように。アーメン、アレルヤ
短信テモテ

★鈴木神父さん。おかえりなさい。                  
 1996年4月に春日部教会を去ってから実に24年ぶりにまた戻ってらっしゃいました。前号の記事、およびHP組織と沿革のなかの教会史参照。こんなこともあるんですね。その間に2,3回春日部教会にいらっしゃったことがありましたが。
 コロナ渦でまだお会いしていませんが、終われば、またミサにあずかれるとはと何か不思議な気がします。神父さんはいまでも1週間に4,5か所?飛び歩いていらっしゃるようです。健康に恵まれて、私たち信徒を今後よろしくお願いします。(T.C) 

★教会のHPのURLが5月1日よりPLALAからSAKURAに変更になりました。下記参照。カトリック春日部教会で検索しURLが正しければそのページを見る。またはさいたま教区のHPに行き春日部教会のWEBを見てください。メールアドレスの変更はありません。

[編集後記]
◆神父さんが、毎週主日の福音の記事を書いてくださいます。
トップページより司祭の言葉へリンクしていますので、ご覧ください。
全国的には緊急事態が緩和されてきた県も出てきましたが、この地方は緩和されておらずに
当分自粛が必要です。(t)
◆コロナに勝つために今は我慢しよう。(o)

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2020年5月17日発行 No.383 


2020年4月

カトリック春日部教会報  「智も手も」 No.382 2020年4月号 (電子版)
 
これでも…ご復活おめでとうございます!

                  司祭 藤田 薫
 私たちは互いに集まることなく、顔をあわせることなく、祝いの雰囲気に満たされることなく…主のご復活を迎えました。まあこういうこともあるよと気軽に受け流したいところですが、現実はそんな簡単に収まらないようです。
 あたりまえな日常が奪われたままで、ご復活をお祝いする。これが今の私たちです。
このような時に響いてきます。『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。』(1テサロニケ5;16-17)。
 だいたい私の場合、このみ言葉が響いてくるのは現実を受け入れたくない時なんですけど。でもいかなる現実に置かれていても、永遠につながる喜びとはこれなのです。十字架の死によってもたらされた復活ですから。その喜びはいかなる現実をも超えるものです。
 キリストを信じる私たちはいつでも喜び、祈り、感謝できるのです。
皆さんと空間をともにしてご復活をお祝いすることがままならず、大半の方々とお別れの挨拶も出来ずに去る事態となりました。さっさと出て行きたかったのなら素で喜んで出て行けたでしょう。そうではないので後ろ髪を引かれる気分です。…まぁ私に引っ張られる髪はありませんが。色々語らなければならないことがあったかもしれませんが、出てきません。言葉にうまくできません。皆さんの上に豊かな祝福がありますように!

★主任司祭の交替
新型コロナウィルスの感染防止のために全ての教会活動が停止されている中で復活祭を迎え、予め発表されていた予定通り、主任司祭が交替となりました。
藤田薫神父は熊谷教会主任(行田教会主任を兼務)に転じられ、代わって、1987―96年に当教会主任司祭であられた鈴木國弘(三蛙*)神父が、再び当教会主任(加須教会主任を兼務)として着任されました。
* 霊名の「ミカエル」に漢字を当て、「号」のように名乗っておられます。

★藤田薫神父本庄・深谷へ転任
当教会出身の藤田薫神父は、栃木県の峰教会主任から、埼玉県の本庄教会主任(深谷教会主任を兼務)に転任されました。

★電話番号の変更
当教会の電話番号が4月20日から下記のように変更されました。
(電話) 048-627-1042
(FAX) 048-877-4527

★ホームページのURLは4月中は使えます。5月1日より変更になる予定です。
 新url: cathkasu.sakuraweb.com です。 
メールアドレスは当分使えます。

★ミサの休止ー新型コロナ対策
5月24日(日)までミサの休止を延期する、との通知が4月26日に電話連絡網でありました。

★ネット詐欺に注意
ネットを見ているときに、突然画面が停止して、あなたのパソコンはウイルスに感染しました。OOOO番に電話してください。という画面が出た。スマホにその番号を入れると怪しいサイトとの記事があった。microsoftの記事のよそおっていたり,PCを止めずにすぐ電話のような文字もでていた。この様なときには絶対に電話しないでください。
swichの長押しでスイッチをきり、4、5分後にスイッチを入れたら大丈夫でした。(t)

[編集後記]
◆3月のミサ、4月の復活祭のミサもなく、皆様とお会いできません。いかがお過ごしでしょうか。
教会ではその間いくつかの出来事がありました。まずに神父さんの交代です。例年なら送別会や歓迎会があるところですが。また電話会社も交代。電話番号が変わりました。この機会にホームページも4月中に引っ越しを決めましたが、素人には意外に難しく、電話での問い合わせが出来ない会社も多く、4月中に引っ越し先が決まるかどうか。心配しましたが上記のように決まりました。なおメールアドレスは当分変えないつもりです。(t)
◆早くコロナが終息しますように(K) 
◆コロナが終息し平穏な日が早く訪れますように(o)

カトリック春日部教会広報部 
春日部市中央5-7-15 
TEL 048-627-1042 
FAX 048-877-4527 
Email:cathkasu22@blue.plala.or.jp 
URL:www10.plala.or.jp/cathkasu/ 
2020年4月26日発行 No.382 


2020年3月

カトリック春日部教会報  「智も手も」 No.381 2020年3月号 (電子版)

このような時こそ
                             司祭 藤田 薫
 これまで私たちが経験しなかったような事態の四旬節を迎えています。
ながらく頻発し続ける自然災害。私たちは非常事態に対する耐性は付いてきているのではないかと思います。多くは短期間にまとまって来るものだったので、(被害が甚大だった地域は違いますが)その期間および、その後、事態が平常化するまでをやり過ごせば大丈夫な状況が多かったでしょう。
 今回は災害のもたらす被害状況の悲惨さを目の当たりにするような状況とは違う。しかし生活が大きく制限され続けている現実。まだ出口は見えません。私たちは包囲からの解放を願いながら籠城する持久戦のような様相で今の事態に向き合っているようです。
 充分の満たされている時には気づけないことが、欠如することで見えてくることがあります。キリストの受難に身を重ねて黙想することはキリスト者には必要な事です。2000年に及ぶ歴史の中で数多の聖人たちが好んでそうしてきたようです。昨今のキリスト者である私たちには、ソフトに受難の黙想をすることはあっても、リアルな受難や苦難を身に負って祈り、黙想しキリストに近づく姿は、自らも身近にも容易に見出すことはないかもしれません。ただし視点を変えれば受難苦難の中に身を置いている人たちは近隣から遠い国まで現実に世界中至る所に存在し続けています…。
 今回はありがたくない共有の災いが私たちを包む世界で現実に起きてしまっています。それは最も大切な交わりのために集まることを妨げる事態となりました。この未体験の現実を前にすると果たしていつまでこの状況が続くのだろうかと途方に暮れそうな気にもなってしまいます。短気に走るは利便に慣れ親しんだ現代人の愚かさか…。
 危機的状況が迫る中で神からの言葉が告げられる出来事として、インマヌエル預言として知られるイザヤ書7章の御言葉があります。2節後半「…王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」。この状況に対してイザヤを通して語られる神の言葉の第一声が「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」です。
 巷ではこのような時ならではの残念な話も色々聞きますが、その反対に良い話も耳にします。春日部教会でも信徒の方々の中でキリストの愛に結ばれている様子を垣間見ることが(直接会うこともないまま)あり、福音となっています。色々あって具体的に分かち合えないのが少々残念ですが…
 主よ、どうかこの状況を照らし導いてください。
                                  

YouTubeで話題の「高原剛一郎講演会」を聞いて
                       A.Y
 2月に私の友人夫婦と今YouTubeで話題のキリスト伝道者高原剛一郎さんが埼玉に講演に来るというニュースを聞いて、滅多に生(なま)で聴けないので、一緒に誘い行って来ました。いつもYouTubeで聴いている方が目の前にいる現実に幸せ感を覚えました。
 この方は、日本全国、海外でも聖書の講演をされています!「聖書と福音」と言うテーマで専任伝道者として活動しています!
講演のテーマは「生きる勇気と聖書の力」で話をして頂きました。
高原先生が最近定期的に読んでいる本にネガポジ辞典というものがあり、ネガティブな言葉を ポジティブな言葉に言い換える辞典で、例えば、「しわ」をビィンテージライン、「老けてる」を風格がある、「引きこもり」を蝶になる前のさなぎ、などこれは誰が作ったかと言うと、北海道の女子高校生たちだそうです。どんな習慣でもいじめる人といじめられる人はいますよね、傷つけられる人の為に何とか癒す為、考えられたそうです。
 聖書が語る神と私たち日本人が語る神はまるで違う。中国語で漢の字を日本に輸入した漢字ですが、文字は同じでも意味が違う言葉として、「手紙」はレターですが、中国では、トイレットペパーの事、愛人は、日本では、不倫などを連想してしまうが、中国では、妻や夫の事だそうです。
同じように神と言う言葉は世界中に存在しているが聖書にある神と私たちが思っている神と違う!何が違うかと言うと「人間が作った神々」の事を日本では神とよんでいるが、今日本では、26万6千の神々(宗教)があるそうです。人が作った宗教です。しかし、バイブルで語る神は、「人を作った神」あなたの作者、魂の親である方、全宇宙の第一牽引者の方を創造主としての神です。その創造主である神が私たちにどうしても聞いて欲しいメッセージがあります。
 それを福音と言います!その代表的な福音がヨハネの福音書14章1節に「心を騒がせるな、神を信じなさい。そして私をも信じなさい。」いつ言われたかは、十字架につけられる前だそうです!心を騒がせるとは、心配や不安の状態でも、美味しい物を食べていても、味がしない、美しい音楽を聴いても心に残らない。素晴らしい出会いがあっても気が付きません。人生を充実させたいと思ったら、キリスト者は、心を騒がせてはなりません!
 では、私たちはどういう時に心が騒ぐのか?3つ紹介されています。
 まず第一番目に人生の目的が分からなくなった時、何の為に生まれて来たのか?どうして生きているのか?生きている時、財産を増やし友人を増やし、生きてきても最後は全部置いて行かなければならない。何故苦労して、嫌な思いをして生きているのか?人生の意味が分からなくなる時、心を騒がせる!人間を作った神に聞いて初めて何の為に生きているかがわかる。あなたは、神の為に作られたのです。神様の栄光を現すために作られたのです!所が神様がいないと言う人生感で生きていると永遠に分からないまま、終わってしまう。これを聖書は罪と言う。罪が人の心を騒がせている事が原因である。自分の作者である神を信じない。
 第二番目私たちは、どういう時に心を騒がせるか?自分自身の悪とか醜さとか、に向き合う時、向き合うざる負えない時、自責の念に駆られる。罪責感を持つ人は、幸せになってはいけないと考えるので、それを解決しないとチャンスがあっても生かせない。自分が幸せになる事を禁じるのです!全ての人が必ず罪と向き合う事が。聖書は最後の審判時に、一人一人の人間が神聖なる神の前に立って、自分自身の生涯に対して弁明しなければいけない。人間は死んで終わりではないのです!その創造主の前で心を騒がせています。その騒がせている罪を永久処分する為にイエスキリストが来て下さった。あなたの罪を償う為にあなたに代わってこの世界に来て下さった。だから、神を信じ私をも信じなさいと。
 第三番目、私たちはどういう時に心を騒がせるか?死に向き合う時。死には、一人称、二人称、三人称があり、三人称は新聞で有名人が亡くなられた時、例えば、野村克也元監督として、惜しい人を亡くなられたと思い、その晩寝ても覚えていない。彼の死だから!二人称の死は、あなた、君、お前、など絆の深い人が死んだ時、また、伴侶が亡くなる時、子供が亡くなる時、自分の親が亡くなる時、その喪失感は経験して見なければわかりません。もっと切実なのは、一人称なのです。私の死です。私も一度死ななければいけない。死については、日頃考えないように生きているので、まるでいつまでも生きているかのように生きています!しかし、いつ死ぬか?不確実ですけど、死ぬということは一番確実である!
 日本に最初に聖書を持ち込んだ人は、1549年にフラシスコザビエルが、鹿児島県に来て、11カ月間滞在しますが、日本語が十分ではないので通訳を使う。その通訳が やじろう と言う!その薩摩藩の人が南蛮船に潜り込んで亡命する。そして、日本の管轄圏に及ばない所に逃げたら、安心して暮らせると思い、フィリピンまで行くが、彼は、人を殺してしまったと悶え苦しむのです!ある時、ザビエルに紹介され、イエスキリストの福音というのがあるよ!そうして、信じるのです。その方は頭脳明晰でラテン語、スペイン語、ポルトガル語などができ、ザビエルが日本に行く時、通訳として付いて来てくれ!と頼むが、もし日本に帰ったら、罪を犯しているから、決心がつかない、「帰ろうか、帰ろうか?帰ろうか?」いても立ってもフラフラして、決まらない、この彼の態度から出来た おもちゃが、「ヤジロベエ」です!??  キリストはあなたを失いたくない、永遠の裁きではなく、地獄ではなく、故郷に上陸させたいのです。この故郷である神の元へ!どのようにして帰るか?イエスは彼に言われた、「私が道であり、真理であり、命なのです、私を通らなければ、誰も父のもとに行く事は出来ません。」父のもとは、故郷です。父はあなたを作った創造主です!言い換えれば、私を通らなければ、どんな人でも罪を犯しても父のもとに行けます!永遠の命が与えられます。私が道とは、ヘブライ語で「デレク」と言う、踏みつける と言う動詞を名詞化したものだそうです!つまり、道は踏まれるもの!皆さん、人に踏みつけられた事は有りますか?もし、踏みつけられた事があれば、将来忘れる事ができないでしょう。キリストが十字架にかかる時、キリストは人々から踏みつけにされ、弟子たちからも裏切られた。道とは、道を踏んで行くもので目的地に届けるものです。あなたの父のもとに届ける為に、あなたより下になってへり下って、罪人のように扱われながら十字架にかかって下さった。神が貴方達に差し出された道なのです。私たちの死に至るまでガイドとして同伴者として人生の道案内として、共に歩んでくださる方なのです。
人生のすべての出会いの背後に神の配慮と恵みがある事を発見する事ができる。ああ、人生の意味とは、こうだったのか!味わいながら、最も良い所に進んでいる。人生の一番最後に嫌な事が待っているか、一番良い事が待っているか?で生き方が違うはずです!キリストは私が道であり、真理であり、命なのです!イエスキリストを信じていれば救われます。
 私は、この講演会で、改めて、人生とは、信じるとは、と言う意味が少しは分かったような気がしました。本当に有意義な時間を過ごす事ができて神に感謝です。

こんにゃく物語149
—嬉しい春というのに新コロナ、心ならずもひきこもり—-
                       S.M
 1月中旬、私は坐骨神経痛になった。2月初旬の火曜日に例によって、目の検査のために、いつも連れて行って頂くN先生に電話するが、新型コロナのせいで自宅待機になってしまった。
 加齢と共に病気の問屋になった私は、はや93歳になり随分長生きをしたものだと思う。ガタピシしているのは私だけでなく、庭の水道管の蛇口もそうで、水道屋さんに修理してもらった。
 やっと庭の植物に水をやれて、植物たちも喜んだのも束の間、蛇口を締める時にかがみ込んだ私は立ち上がれなくなり、尻もちをついてしまった。
どこについたかと思えば、アルマイトの大きなボールの中にスッポリお尻が入ってしまっていた。
ボールの中には花たちにやる肥料がたっぷりはいっていた。お隣さんに聞こえるように大きな声で「助けて」と叫んだ。そしたら近所の友人も呼んでくれて二人で抱き起こしてくれて、助かったのだった。散水機のそばには大きな庭石があり、「ここに頭をぶつけていたら、一貫の終わりだったわね」とお隣さんがおっしゃった。
 私は隣人のありがたさを心から身にしみた。
 新型コロナウイルスには恨みが数々あり、一日も早く収まってほしいと思う今日この頃です。

4月のミサ・典礼予定 (2020年3月26日変更)
新型コロナ対策のため、4月26日(日)復活節第3主日までミサはお休みになりました。

4月 3日(金) 初金ミサ 10:00
4月 5日(日) 受難の主日
ミサ 10:00
ベトナム語ミサ 14:00
4月 9日(木) 聖木曜日
主の晩餐 19:00
4月10日(金) 聖金曜日
主の受難 19:00
4月11日(土) 聖土曜日
復活徹夜祭 19:00
4月12日(日) 復活の主日
10:00
4月19日(日) 復活節第2主日
10:00
4月26日(日) 復活節第3主日
10:00
英語ミサ 14:00
※教区からの特別の指示があれば変わりま


[行事予定]
※第1回教会委員会
4月5日(日) ミサ後。
※ひつじ食堂
4月11日(土) 12:00~
※薫神父の信仰講座(最終回・予定)
第1土曜日(4/4)
10:00~12:00
於: 多目的ホール
※教会史に親しむ会(予定)
第1・4土曜日 (4/4, 4/25)
13:00~14:30
於: 事務室
※「智も手も」第382号編集・印刷
4月19日(日)、ミサ後。
原稿は4月12日(日)までに。
(※ 中止・変更の可能性あり。)

[編集後記]
*教会のミサもお休みで、家にいると世界中の新型コロナウイルスの情報が飛び込んできます。川の土手の早咲きの桜が咲いていて、ソメイヨシノも咲き始めるこの頃ですが、例年の季節感がありません。智も手もの印刷ができないので今号は電子版としてネットで発表します。(t)
*コロナウィルスが早く終息しますように。(o)
*11日は東日本大震災の9年目の日。犠牲者のために黙祷しました。(s)
*四旬節中に主日ミサが一回もない。初めて経験する異常事態。(n)
*新型コロナウイルスが蔓延していますね。早く終息する様に祈りましょう。(m)
*早く普通の生活に戻りたい。(k)
*四旬節に、諸々の苦しみが降りかかってくる中、何とか生きております。(h)

カトリック春日部教会広報部
春日部市中央5-7-15
TEL 048-736-5777
FAX 048-736-9259
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2020年3月15日発行 No.381


2020年1.2月

教会報「智も手も」抜粋記事    No.380  2020年1・2月号より
から生じた数々の反省
                         司祭 藤田 薫
 今年は年明けから北に向かう計画に誘われ、また中旬には西に向かう予定がありました。北は遊び目的で車移動5時間くらい。西は仕事関係で飛行機移動。遊びであろうと仕事関係であろうと遠方に出かけるということを想像するだけで気が重くなったものです。仕事関係のほうは無事にもどれましたが、遊びの方はクリスマスから年末年始と休みなく色々続いた疲れが出たのか、色々大変でげっそりとなり、おかげで正月太りとは無縁で済みました…。
 車移動中にカーナビのデーターをまた更新しなければと思い、戻ってさっそくやってみました。結構めんどうな手順なのでやりたくなかったのですが、先延ばししようとすれば数年はそのまま経過してしまうのが常。意を決し、とりかかったわけです。悪戦苦闘しながらあと一歩という所までたどりつきました。しかし、そこからがダメでした。製品番号、シリアルナンバー、ダウンロードIDいずれもしっかり確認して行ったにもかかわらず、「エラーコード400」という表示が出てしまいそこから先に進めません。こうなるとソフトの会社か製品の会社に問い合わせるしかありません。しかしその時は土曜日の夕方でした。電話は月~金のPM5:00までです。苛立ちを沈められぬまま月曜まで待たなくてはなりませんでした。月曜日になりソフトの会社に電話をしても「ただいま回線が込み合っております。またおかけください」。何回かけてもそれでした。製品の会社はつながったのですが、「エラーコード400でしたら、ソフトの会社の方でお願いします」と。そのソフトの会社…月曜も休んでいるだろう!と苛立ちは静まりません。この日は出かけなくてはならなかったので、カーナビの更新はあきらめて、車のエンジンをかけました。…動きません。泣きっ面に蜂。まただ!次から次へとよくもこんな!多分土曜日にパソコンと車中の往復を繰り返しているうちに、こういう事態を招く要因が生じたに違いないと思いながらも、この時点ではバッテリーがあがったかどうか不明。月曜で留守番担当の方も教会におられず、試しにバッテリー充電させて頂けそうな他の車もありません。誰か親切な信徒の方を電話で呼びつけ車で来てもらおうかなどと傲慢にも考えました。でも前の教会でこれをやって問題はバッテリーではなかったということもあったので・・やはりこういう時は業者にお願いするほうが確かであることは経験済みなわけです。保険会社に電話して業者にきて頂きました。ありがたいことに1時間も待ちませんでした。車を運ぶためのキャリアカーで来てくれました。教会の駐車スペースでは当然収まらない大きさだったので、路駐になり、お向かいのお店のお客さん方には多少なりとも迷惑になったかもしれません。…それで結局キャリアカーの出番はありませんでした。やはり今回はバッテリーでした。業者の方が(私はもとよりそこいらの信徒の方々でも及ばぬレベルの(汗))柔和で優しく感じが良い方で、今時の表現で言うと神対応だったので私は救われ、予定通り出けることもできました。
 数日後、カーナビのソフトのメーカーに電話すると今度はすぐにつながりました。確認するところを確認してもらうと、「こちらの方では異常な点は見つかりません。メーカーの方にお問い合わせください」という返事でした。仕方なくまたメーカーの方に電話を。出たのは月曜日と同じ人でした。それなら話は早い。「…ということです」と伝えました。
 相手はしばらく考えこむ様子が伝わってくる「わかりました。こちらで調べておりかえし電話しますのでいったん切りますね。」10分くらい経過しただろうか。電話が来た。「わかりました。お客様のやり方は間違ってはいなかったのですが、少々こつがありまして・・・」
 指示通りにパソコンのモニターを見る。ダウンロードIDを打ち込む画面を出す。いままでここで何回ダウンロードIDを打ち込んでもエラーコード400という表示されるだけだった。「そこです。その上にシリアルナンバー、その上に型番のプルダウンリストがあるはずです。」シリアルナンバーは間違いない。型番つまり製品番号は…そもそもそこは字が小さすぎて目に入っていませんでした。……これが違っていた。わが節穴の目、相変わらず健在。プルダウンで表示させた中から自分の型番を選ばなくてはならない所が見えていなかったのです。そしてダウンロードは開始。電話の向こうからは優しい声で「ダウンロードは20分くらいかかります。あとは大丈夫ですね。3月にはまた新しい更新データーが出ますのでよろしくお願いします。」私にはその声が福音のごとく響きました。製品の問題でもソフトの問題でもなく、ただの私の見落とし。そういえば昔、新しく買ったDVDのデッキをテレビにつないでも全く映らないし、無反応なので不良品かと業者に文句の電話を入れた時、電話窓口の人は確認の作業を私に指示してきたので「そんなわかりきったこと!全部ちゃんと出来てるよ!」とキレかけていたにもかかわらず、向こうは私をなだめるように促す。「赤と黄色と白、同じ色に差し込まれていますか?」「もちろんそんなの間違えるわけが・・・!!」見れば白と黄色が間違えて差し込んであった…この出来事を思い出しました。 
精密機器の類を、極めて初歩的で単純なミスでつまずく…
 他の事、もっともっと大切な事でこういうことをやらかしていないだろうかと考えるとそら恐ろしい。不注意や間違いなどはあって欲しくない。しかし、そういうことたいへんよく起きてしまいます。でももっと怖いのは自分が間違えていることに気が付かないこと。
 聖書の中では人が間違った歩みを続けて極みに至ると、神に打ち砕かれるという出来事が重要な場所で見られます。私もこれまで調子に乗って度々打ち砕かれ、ああなんと聖書的なんだろうと感慨深い思いをさせられています。日々自分を顧みることが、祈りの始まりに組み込まれているのですが、心を尽くして自身を顧みることを忘れると形骸化し、回心の機会を日々失うことになります。だからこそ日常的な失敗で恥ずかしい思いや手痛い目に遭い、自分の愚かさに気づかされるなら、まさに回心の機会です。
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短信テモテ
*12月15日(待降節第3主日)
森和弘司教の黙想会
 主に教皇のお言葉を中心に慈しみ深い神についてお話してくださいました。
黙想会に参加して 
 降誕祭を間近に控えて、森司教様を迎え、ミサを司式されました。
ミサ後の黙想会、懇親会では多くの信者が集まり教皇フランシスコの話や司教の生い立ちを聞くことが出来ました。まさか森司教様の講話を春日部教会で聞くことが出来るとは、とてもうれしかった。数年前「憲法9条」についての講話を聴く機会があり印象が残っていた。今回は来日された教皇様のお考え、「☆旧約の裁く神ではなく、天国の入り口で私達を心配しながら待っていて下さる神。☆神様はカトリックの神ではない」など不正確かもしれないが、そんなお話で心が温かくなるお話しだった。 (a.m)

森司教様のミサに参加して
                      S.H
 森司教様の司式のミサとは知らずに参加しました。最初はとても優しい声の方でそれなりに年配の神父様なので誰なのだろうかと思っていましたが、司教様だと分かって妙に安心しました。
 私にとって、森司教様の説教は、何も良いこともしていない自分を本当に神様は許してくれるのだろうか、と日ごろ思っていた疑問に温かい答えを頂けたものでした。
そして、もう少し頑張ってみようかと思いながら、少し安心して帰ることができました。

*12月22日(待降節第4主日)
イエズス会トマ神父が薫神父とミサの共同司式。説教とゆるしの秘跡がありました。

*12月24日 クリスマス降誕祭
 19時より。その後パーティー。多くの外国の方も参加されました。
 25日午前0時と午前10時よりミサが行われました。0時のミサは蝋燭の灯りの中、20名位参加のもと行われました。

*12月25日 こどものクリスマス
 13時から「こどものクリスマス」が催され、30名位の子供が参加しました。祭壇を囲んでのミサ後、お楽しみ会では子供たちによる聖劇が行われました。

*1月1日(水) 神の母聖マリアと
       世界平和の日のミサ
 0時と11時からミサが行われ、ミサ後新年会が行われました。割合人数も多くにぎやかな会となりました。

*1月26日(日)信徒総会
 ミサ後に開催された信徒総会をもって委員長は鈴木賢治さんと秋山良和さんが共同で引き続き行うこと、総務部はオペレーション部と名称を変えてスタートすることが決まりました。

*1月11日(土)、2月8日(土)
ひつじ食堂
 各日ともに25名位のお客様が来て下さいました。毎回たくさんの子どもたちが庭で遊び、楽しそうな笑い声があふれています。
1月のメニューは、「鮭と三つ葉のまぜご飯、豚汁、お汁粉」。お汁粉のお餅は、薫神父が庭に出したカセットコンロの上で焼き続けてくださいました。寒い中有り難うございました。
 2月は「タコライス、コーンスープ、フルーツゼリー」でした。

料理教室
                    Y.D
 11月24日(日)ミサ後 フィリピン人のチェリーさん が楽しく手際よく 同国の家庭料理「チキンアドボ」を教えてくれました。この料理はスペインからフィリピンに持ってこられて、今はフィリピン中に広がって、各家庭の味にアレンジされ、幅広く愛されている保存食でもあります。2~3日は室温で大丈夫だそうです。そのために酢が効かしてあります。 チェリーさんは この味はとても懐かしく スペイン系の祖母の味に重ねて、美味しくいただいているそうです。この日のうちに材料を買って素早く作りました 。
レシピ
A)鶏肉1 kg、 にんにく一個、 醤油 1/2カップ、 塩コショウ 少々、 ロリエ 4から5個 を1時間以上つけ置きします。 
B)玉ねぎ 大1個 みじん切りにし、サラダオイル大さじ2杯を加え、キツネ色になるまで 炒めたら取り出し。 同じフライパンで 鶏肉も キツネ色になるまで炒めます。 玉ネギを戻し、 したしたまで水を加え10分間煮ます。10分たったら 酢1/4から1/2カップを入れて、かき混ぜないでさらに20分煮ます。
C)お好みで ゆで卵や 焼き豆腐 も入れても OK。
カレーのようにご飯にかけて食べるのもよし、またパン、うどんやサラダにかけても美味です。チェリーさん本当にありがとうございました。

奄美大島教会巡礼の旅
                     A.Y
 2月5日から8日まで、奄美大島に夫婦で行ってきました。JALの飛行機で3人掛けの席で、私の隣が空いていて誰かが座るか?と妻と話していたら、偶然シスタ-が座られました。私は驚き、何かの縁かなと感じ、話かけたら、フィリピンから戻り、奄美大島の教会に行きますとの話で、機内で色々と話をさせて頂き、春日部教会や信者さんの事や、シスターの事も色々と話をさせて頂いていたら、奄美の『大熊教会』(だいくま)に行きますから、是非、来てくださいとおっしゃって頂き、何かの縁ですねーと感じてしまいました。
 鹿児島と沖縄の真ん中あたりで、気候は比較的温暖ですが、旅の期間は、比較的寒い感じがしました。奄美の中心地の名瀬市にレンタカーを借りて行き、シティホテルに着くや否や、妻が、早く近くの教会が有れば行きましょうと言うことで、ネットで探し、『カトリック名瀬聖心教会』がホテルから10分位の所に行き、平日の夕方5時でしたので、まだ開いており中に入ったら、大きい聖堂があり、偶々、信者の方が一人いましたので、声を掛けて、入らせて頂きました。妻が少しの時間、祈りをしたいとの事で、祈っている間、私は、この教会の方に、明日、朝ミサがありますか? と尋ねたら、明日は休みなので、近くに『カトリック古田町マリア教会』があり、朝6時30分からありますので、是非行ってみたら如何ですかと言われ、早速翌日朝に行き、まだ暗い時間帯なのに10人位の方々がいらして、神父様(田畑神父)とも朝ミサ後、話をさせて頂き、帰りにお土産まで頂いてしまいました。驚きです。 翌日は、シスターのいる大熊教会の朝ミサにも参加させて頂き、なんとシスターが6人来られていました。その教会の神父はベトナムの神父でタム神父様という方で、ミサ後、話をさせて頂きましたら、気さくな神父で、朝ごはんは?まだでしょう?と聞かれたのでまだです?と返事をしたら、朝ごはん食べに行きましょう。と誘われました。また、驚きでした。その夜は『聖体賛美式』が夜7時30分からあるから、来ますか?と言われたので行きますと返事をしてその夜も『大熊教会』に行き、ミサ後、10人位の方とタム神父を交えて、集会所みたいな所で一杯やりましょうと、海の美味しい魚や刺身をごちそうになり、地元の信者さんと色々と話が盛り上がり、その中で、92歳のおじいちゃんの息子は、今、川口にいるよ。また、別の信者さんは、春日部に住んでいますよ。と話され、何だか偶然と言うか、また驚いてしまいました。そして帰りにはまた、神父様から、「たんかん」という地元の果物をお土産に頂いてきました。
 また、翌日は、別の教会『奄美浦上教会』を紹介され、その教会も神父が兼務しているので、来ますか?と言われ、勿論行きます。と話して、朝6時30分のミサにまた、参加しました。大きい教会で500坪もあり、宿泊できる所があり、又来る機会があれば泊まってもいいからね。とまでおっしゃって頂き、また、驚きと感動を覚えました。翌朝、又早く起きて、朝ミサに参加してその後にシスター達の告解があるので、あなた方も告解しますか?と神父様に言われ、思わず「告解します」と言ってしまった自分がいることに、またもや、驚きを覚えました。なんだか不思議な感じでした。その教会にもあの機内で出会ったシスターも来ていてまたまた、驚きです。奄美大島の信者さんや神父様との出会いが、私たちにとって、今回の旅は、今までの中では最高の思い出が出来ました。
 それは、同じ信仰を持ち、心が通じ合える家族のような不思議な感じを受けました。カトリック信者になって本当に良かったと思う旅でした。

こんにゃく物語 148
こんにゃく物語由来記
                     S.M
 今は昔といっても昭和48年頃と記憶する。上野の山を散歩していた私は、芸大美術部の入口に「こんにゃく体操公開講座」という立て看板を見て、ふらふらと構内に入った。
 当時の世相は全体的に右肩上がりで、こんにゃく体操の指導者は一口で言えば、肩の力を抜くぶらぶら体操の勧めであった。確かその頃、私は陶芸に惹かれて、ある先生の紹介で芸大に行っての帰りであったと思う。
そのぶらぶら体操を私は気に入り、名前も面白かったので、心の片隅にその言葉が残っていたように思う。
 年月が過ぎて、教会の機関誌に記事を頼まれた時、その頃今昔物語を読んでいたので、もじって題名を「こんにゃく物語」と付け、書き始めた。
ところが、今昔物語を読めば読むほど奥が深いと感じた。
要約すればあらゆる生、喜怒哀楽が、ここにある。芥川龍之介も魅せられた説話の大宇宙!
 時代背景を言えば平安末期から鎌倉時代、武士が台頭し始めた頃の説話集。浅学卑才?の私はただただ冷汗が流れる思いであった。思えば人間の弱さ、卑しさが赤裸々に書かれ、今の時代にも全く同じだなぁーと思った。
主よ、心の平安を与えたまえ

「智も手も」」No380 2020年1,2月号 2月2日発行より)