司祭の言葉 5/14

説教:復活節第6主日(A年・2023年5月14日) ヨハネ14:15-21

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。」

主イエスは最後の晩餐で、ご自身の十字架の死を目前に、この不思議なことばを弟子たちにお語りになりました。しかし、これはいかなることなのでしょうか。十字架の死の後、主はいかにしてわたしたちのところに戻って来られるのでしょうか。

実は、主イエスはこのおことばの前に、すでに次のように仰せでした。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」

主イエスは十字架の死の後、わたしたちを「みなしご」すなわち十字架の下に一人蹲ったままにはされません。その保証に、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と仰せでした。「弁護者」ご自身であるご復活のキリストの「別の弁護者」とは、「真理の霊」つまり「聖霊」です。

ご復活のキリストご自身および「聖霊」は、新約のギリシャ語でともに「弁護者」と呼ばれます。ここで「弁護」とは、いかなることなのか。「弁護」とは、(助けを要する人の)傍らに来て助ける」ことを意味する言葉です。旧約のユダヤの言葉および新約ギリシャ語での「復活」すなわち「助け起こす」「再び生かす」と同じ内容です。

そうであれば、「別の弁護者」と呼ばれる「聖霊」は、実は「弁護者」ご自身であられるご復活のキリストの目に見えない、しかし確実にわたしたちを助けてくださるお姿に他なりません。実際、「別の弁護者である聖霊」は、主ご自身によって「真理の霊」とされますが、ここで「真理」が主ご自身であることは、すでに先週の福音で、主が「わたしは道であり、真理であり、いのちである」と仰っておられた通りです。

したがって主イエスがわたしたちに「真理の霊」をくださるとは、「真理」である主ご自身の「霊」つまりご自身の「いのち」をくださるということです。つまり、十字架に死んだ主ご自身を、わたしたちの追憶の対象としてではなく、「わたしたちの傍らに来て助け起こし、再び生かしてくださる真理、つまりご自身の霊・聖霊」として、わたしたちにお与えくださると言うことです。今日の福音で、主は次のようにも仰せでした。「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見るわたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」

「真理の霊」は、「生けるキリストご自身の霊」、すなわち「キリストのいのち」です。それは同時に「わたしたちを生かす神の霊」です。傷つき、疲れ切った者、さらには命を失った者に、いのちを与えるご復活のキリストご自身の霊です。「わたしが生きているので、あなたがたも生きる」(ヨハネ14:19)と主は仰せです。事実、ヨハネによる福音は次のように伝えています。すなわち十字架の死に打ち勝って復活されたキリストは弟子たちに「息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』。」(ヨハネ20:22)「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と仰せの主イエスは、十字架の後「あなたがたのところに戻ってくる」とお約束くださいました。主は、まず「弁護者であるご復活の主」として十字架の下に蹲っているわたしたちを「助け起こして」くださるために戻って来てくださいました。さらに「真理の霊である聖霊」つまり「別の弁護者」として、再び苦難の十字架の前に蹲ってしまうようなわたしたちを「傍らに来て助け起こし、再び生かして」くださるために戻って来てくださいます。

ただし「弁護者」であるご復活のキリスト、さらに「別の弁護者」である「聖霊」は、いかにしてわたしたちの許に戻って来てくださるのでしょうか。わたしたちはご復活の主と、「聖霊」・わたしたちを死んだ者ではなく生きた者としてくださる主の「いのち」を、いかにして、またいつどこでお迎えすることができるのでしょうか。

それは、待ち望まれるごミサにおいてです。カトリック教会は、古来、ご復活のキリスト、さらには「聖霊」を黙想させていただく時には、必ず、「エウカリスチア」つまり「ごミサ」、とりわけ「ご聖体(聖餐)」を黙想してきました。なぜなのでしょうか。実は、キリスト、とりわけ聖霊において生き、わたしたちを生かしてくださるご復活の主は、決して目に見えない不思議な存在などではありません。この方は、十字架の死と復活を経て、わたしたちのために「エウカリスチア(聖餐)」になり、わたしたちの内にまで来てわたしたちを生かしてくださる、生ける主なる神・聖霊なる神です。

最後の晩餐での主イエスのお約束通り、ご復活の主、さらに「聖霊」としてわたしたちを助け起こし、再び生かしてくださる主。この方を、ごミサにおいてお迎えする、さらに拝領する。これが、わたしたちに与えられる父なる神からの最大の祝福です。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。