司祭の言葉 5/15

復活節第5主日C年

 結婚式の時、新郎新婦の経歴と出会いが紹介されたのち、それぞれの両親に花束が手渡される場面があります。両親にとっては、長年の苦労が報われる時、栄光の時です。
 オリンピックの競技などでメダルを取った選手が、両親の首にこのメダルをかけてあげたいと感謝の言葉を口にする場面、両親にとって誇らしい栄光の時でしょう。
 今月30日の月曜日、浦和教区カテドラル教会で叙階式があり安神父が誕生します。コロナ下で式は司祭助祭のみで行われ、信徒の参加は認められず、ご両親もリモートでの参加と聞いていますが、それでもご両親にとっては大きな喜び、栄光の時であると思います。

今日のみ言葉はヨハネ13章の31節から35節、イエス様と神様の栄光について語られています。

 13章の冒頭では「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。」と弟子たちの足を洗ったことが語られます。聖木曜日の洗足式の原型となる出来事です。

 そして今日の朗読は、ユダが出てゆくところから始まっています。
ユダが出てゆくとイエス様は「今や人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった」と語り始めます。何故でしょうか?

 ユダが裏切りを実行するために出て行ったことによって、ご受難の幕が開いたのです。
 イエス様にとっての栄光は、十字架です。父の聖心への完全な従順を示すことによって、全人類の罪を購い、アダムの不従順によって失われた全宇宙の調和を取り戻し、神に栄光を帰したのです。
 イエス様の十字架は、私たちを愛しぬいて・・・愛しぬいて受ける事を決意したものでした。
 その愛を、新しい掟として、イエス様の後に続くものにも求めます。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネ13章34節

 この新しい掟が、私たちのための唯一の掟なのです。
 イエス様が愛したように、私たちも互いに愛し合うことを望みながら、イエス様は父なる神に栄光を帰するために、十字架に向かいました。
 わたしたちもまたこの掟を大切にすることによってイエス様に栄光を帰することができ、その結果としてイエス様は私たちに栄光をくださるのです。

 イエス様によって購われた世界ですが、人々はいまだに争いを重ね、許すことを知りません。せめて私たちキリスト者は、イエス様が愛したように、愛することを努力するものでありたいと思います。

 今年の待降節から始まる新しい典礼の、復活節の祝福の言葉を送ります。

ひとり子の復活によって皆さんをあがない
ご自分の子としてくださった神が
皆さんを祝福し、喜びで満たしてくださいますように。 アーメン。