司祭の言葉 3/13

四旬節第2主日C年(ルカ9:28~36)

 幼稚園の警備担当者 かつては銀行に勤めた方ですが、こちらがこそばゆくなるくらい褒めちぎります。 特に服装 花粉除けに40年も前に手に入れたよれよれのレインコートを着ているのですが、すてきだ、このまま銀座に行っても様になるなどと言います。
 本人も、冬はミンクのコートを着て門に立ち、いつもバーバリーの背広やハンカチーフ、傘などを身に着けています。
 卒園式には、私も白いシャツを身に着け一張羅のスーツを着ますから、また褒めちぎるでしょう。 人には変身願望があります。幼稚園の園児も、ブロックを組み立てて銃を作り、ヒーローの真似をします。
 かつて母に、髪を染めないかと言うと一蹴されましたが、私はやってみたい方ですね。神父でなければ・・・。

 四旬節に、「主の変容」の箇所を読むのは、教会の古い伝統です。変身とは違います。
自分以外の何かになるのではなくイエス本来の姿が・・・普段見に見えない神性の輝きがあらわれた出来事です。

 ペトロの信仰告白の後、イエス様は受難の予告をするようになります。そして「私に従いたい人は自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従って来なさい」と教えます。そして高い山に登り、そこで御変容の姿が示されるのです。

 この「山」とはどこでしょうか。
  伝統的には、ガリラヤ地方エズレル平原にあるタボル山説がとられてきました。平野の中にお椀を伏せたような形で、標高は558m。そして最近多くの学者によって支持されているのが、「ヘルモン山」説です。こちらは2800m級の山々 完全に人里離れたところです。共観福音書のマタイとマルコでは、この箇所の直前に出てくる地名は「フィリポ・カイサリア地方」で、フィリポ・カイサリアとヘルモン山はそう遠くないのです。

「モーセとエリヤ」
  モーセは律法を代表する人物、エリヤは預言者を代表する人物です。「イエスの受難と復活が、聖書に記された神の計画の中にあることを示しています。

「仮小屋を建てよう」
  この光景のあまりの素晴らしさが消え失せないように、3人の住まいを建ててこの場面を永続化させよう、と願ったからでしょう。しかし、この光景は一瞬にして消え去りました。今はまだ栄光のときではなく、受難に向かうときだからです。

「雲」は「神がそこにおられる」ことのしるし。
  荒れ野の旅の間、雲が神の臨在のシンボルとして民とともにありました(出40・34)。

「これはわたしの愛する子」
  ヨルダン川でイエスが洗礼を受けられたときに天から聞こえた声と同じです(マルコ1・11)。この受難の道も神の愛する子としての道であることが示されるのです。

「これに聞け」
 この言葉によってイエス様はモーセやエリヤを凌駕するものであることが示されています。
 そして、イエス様の変容の姿は受難のイエスに従うよう弟子たち、ペトロ、ヨハネ、ヤコブを励ますものでしたが、弟子たちは結局従うことができませんでした。

 イエスが逮捕されたとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(14・50)と、マルコは書いていますし、ペトロは召使の質問に三度もイエスを知らないと答えています。

 受難予告を理解できず、最後までついて行けなかった弟子たちでしたが、ヨハネもペトロもこの出来事を忘れることはありませんでした。

「私たちはこの方の栄光を見た」(ヨハネ1の14)とヨハネは書き、
 「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちはみな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。」(Ⅱペトロ1の16~18)
と、ペトロは書いています。

ところで・・・私たちキリスト者に求められているのはどのような変身でしょうか。

 イエス様は神からの良い知らせ、福音を携え、平和をもたらすために来ましたが、いまだ世界は争いのなかにあり、平和は遠いと言わなくてはなりません。
 世界はキリストの平和ではなく、武力を背景にしたパックスロマーナ(ローマの平和)、武力を背景にしたアメリカの平和をのぞみ、これに反発するロシアは、世界一の核を準備して、ロシアの平和を進めようとしています。そしてロシアではなく、アメリカやナトーの平和を求めようとするウクライナを、力で押さえつけようと戦争を起こしています。
 武力を背景にした平和は、危ういものです。

神の愛が支配する平和、主の平和が世界に行き渡るように祈りましょう。