司祭の言葉 3/6

四旬節第1主日 (ルカ4章1-13節)

 ロシアがウクライナに侵攻して、激しい戦いが続いています。超大国ロシアにあとどのくらい持ちこたえることが出来るのでしょうか。心が痛みます。
 3月2日、幼稚園の送迎バスの中でロシアのウクライナ侵攻のニュースの話が出ました。「大変なことになっているね、何もできないけど早く戦争が終わるといいね」と言う話に、年長の子から「お祈りすることが出来るよ、カトリック幼稚園だもの」と言う声が返ってきたそうです。その場にいた先生が感激して、話してくれました。子供は祈りの力を信じています。
 わたしたちも、今日のミサの中で、ウクライナの皆さんと心を一つにして、一日も早い戦争の平和的な終結を祈りましょう。

 「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」・・・今日の箇所での誘惑との戦いは、イエス様のこれからの活動、十字架の死に至る活動全体に繰り広げられることになる誘惑との戦い・・の始まりを示しています。
 そのすべての誘惑の中でイエス様は神への信頼と従順を貫きました。  

 神の助けを信頼し、生活に必要な物や、安全を手に入れることを願うことは勿論良いことです。イエス様も実際、5つのパンで大群集を満たし、多くの病人をいやしました。わたしたちにもパンが必要ですし、健康や安全が必要です。また、お金や力もある程度は必要でしょうから、これらすべてを悪の誘惑と決め付けることはできません。日ごとの糧をお与えください・・と祈ることをイエス様は教えたのです。

 苦しみをくださいと祈った女性がいます。  その意味を知らぬままに子供のころの話です。そして彼女は、精神的な病にかかったのはその祈りのせいだと思っていて、後悔しているそぶりを見せます。ですから、その話が出るたびに、私はこう答えます。 「すごいじゃん。願いを聞いてもらえるなんて、感謝しなくちゃ」 すると彼女はころころと笑い出して、その話は終わるのです。
 わたしも、まだもう少し生きさせてくださいと祈ります・・・何のために?
 歯の治療、目の治療、膝の治療をすれば、・・まだ助けを必要とする人のために働けるかもしれませんから・・・

 権力と繁栄の何が問題なのでしょうか?
 問題は、自分のためにだけそれらを求めることです。それらを求めるあまり、神との、隣人との親しい交わりを失ってしまうことだ・・と言ったらよいでしょうか。
 わたしたちの人生も「荒れ野」だと言えるかもしれません。だれもがいろいろな試練に遭遇しますから。 わたしたちはその中でいつも、神とのつながりをどう生きるか、人とのつながりをどう生きるかということを問われています。
 四旬節の初めに当たり教会は、イエス様の受けた試みを黙想させ、具体的に四旬節をどう過ごせばよいのかを考えさせようとしています。
 初代教会から教会が守ってきたこと、それは祈り、断食、愛の業 でした。

 預言者イザヤの次の箇所を、祈り、断食、愛のわざを行うこの季節にあたって、黙想するのが良いと思います。

 「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、しいたげられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
 さらに、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
 そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。
 あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。
 あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば『わたしはここにいる』といわれる。
 軛を負わすこと、指をさすこと、呪いのことばをはくことを、あなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。
 主はつねにあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる」(イザヤ58・6―11)。

 最後の誘惑で悪魔は「神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる」「あなたの足が石に打ち当たることの無いように、天使たちは手であなたを支える」と、詩編91編の11-12節を引用します。
 この詩編は確かな守りを与えてくださる神への信頼を呼びかける詩編ですが、悪魔はそれを自分のために使うように誘惑するのです。

 試練は無い方が良いのです。私たちは弱い存在ですから。だから主は、私たちを試みに合わせないでくださいと祈るように教えたのです。
 でも与えられたなら、雄々しくそれに立ち向かうことが、求められています。勿論私たちは本当に弱いので自分一人では戦う力がありません。でも主が助けて下さるならできるはずです。
 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピ人への手紙4の13・・聖パウロの言葉です。

 四旬節に当たり、全ての試練に於いて、主が助けて下さるように祈りましょう。

 ウクライナに一日も早い平和が訪れますように。アーメン(真実です・・の意)