司祭の言葉 11/1

諸聖人の祝日 2020.11.01

聖人との出会い

                         司祭 鈴木 三蛙
あなたは聖人と出会ったことがありますか?  聖人とおぼしき人とは?

私が出会ったのは、サレジオ会の最初の宣教師の一人 チマッチ神父 マザーテレサ ヨハネパウロ二世  三人とも握手をする機会がありました。  教皇とは東京カテドラルで マザーテレサとは、支援組織のメンバーと一緒に面会して、チマッチ師は、恩師ですから聖書を教えていただき、試験の都度、正解に誘導していただいて、ベネベネ(よしよし)といって頭をポンポンとたたかれました。

でも、握手が何になるでしょう。 アイドルやヒーローたちとファンとの関係ならそれなりに話題や羨望の対象となります。しかし、事 聖人との出合いでは・・・・論外です。 聖人はわたしたちのならうべき信仰の模範ですので、その模範にならわなくては意味がないのですから・・・。
マザーテレサについては皆さんご存じです。 チマッチ神父は、サレジオ会員として日本に来た最初の宣教師で、ドンボスコの精神を生きた人です。
→ まず、祈りの人で、夕暮れ時聖堂に行けばいつもロザリオを手に祈っていました。
→ また、いつも子供たちと共にいる教師の模範でした。サレジオ会の教師は子供よりもさきに子供たちのいるところにいなくてはいけない、職員室でお喋りしていてはいけないのですが、これがなかなかできないのです。チマッチ師は、年を取って足が不自由になっても、いつも子供たちのそばにいて運動場の小石など危険物を拾っていました。

→ 病気の時も、いつも笑顔で一度も苦しい様子を見せたことがありません。
口癖はコラッジョ(さあ、さあ 元気を出して・・)でした。

マザーテレサも、チマッチ神父も、全面的に神に信頼していた聖人たちだったと思います。

ところで今日は、山上の説教の二つの言葉に注目したいと思います。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」

イエスがすでに確定したものとして天の国を保証したのは、心の貧しい人々と、義のために迫害される人々です。
私たちにもできる一番身近な、聖人となるための手立ての一つは、心の貧しい人となることです。イエス様は繰り返し、祭司長や民の長老たちに代わって、罪びとや貧しい人が、神の国に入ると述べてきました。バプテスマのヨハネの呼びかけに応えて、悔い改めたのは彼らだったからです。
心の貧しい人とはすべての希望を神に置く人、この世のものを頼りにせず、全面的に神を頼る人を指します。私たちもそのような一人であるなら、すでに天の国は保証されているのですから、天国の聖人だけではなく、地上にあっても、今日はそのような心の貧しい人の祝日でもあるといえます。