司祭の言葉 5/31

※2020年5月31日(日)聖霊降臨の祝日

罪を赦すこと    司祭 鈴木 國弘

 聖霊降臨の祝日 おめでとうございます。 先日埼玉県の非常事態宣言も解除され、今日の祝日を皆さんとともにミサを捧げて祝うことが出来るかと期待しておりましたが、司教様のお手紙では、まだしばらく公開ミサの禁止は継続するとのことでした。とても残念ですが、まだ新型コロナウイルスの脅威が無くなったわけではありませんので、クラスター発生をさけるためには解除後のミサをどうするか、対策を考えながら自粛を続けましょう。

 このたびのパンデミックの発生について、米国では沢山の死者が出て、その責任は中国にあると厳しい論調で避難しています。また医療関係者は献身的に、自己の感染のリスクを顧みず、日夜頑張ってくださっているにもかかわらず、彼らに対する差別的な言動があるとも報道されています。とても悲しいことです。

 今日の福音は、ヨハネによる福音書の20章21節から23節。復活のイエスによる弟子たちの派遣と、罪の許しの言葉です。
「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
 これはイエスの派遣の命令、聖霊を与えられた者に対する指示です。聖霊を受けた者の使命は「罪を赦すこと」なのです。ここに「赦す」と訳された言葉には「放棄する」という意味もあるそうですから、相手の罪、失敗、道を踏み誤ってしまったことを赦す、そのことによって生じる自分の権利、債権を放棄するということも含んでいます。

 この部分、ほかの訳文では
あなたたちがこだわるなら、こだわるまま残る。【本田】
 あなた方が留め置くなら、留め置かれたままである。【岩波】
 あなた方が持ち続ければ、罪は残る(保たれる)【New King James Version】
などとも訳されています。 

 主が教えてくださった祈りでは、「私たちが人を許すように、わたしたちの罪をお許しください」と祈ります。

 人を罪人だと決め付けて、罪人扱いにしたり、相手がたとえ自分に対して何か害を加えることがあって、自分が相手に対する請求権を持っていたとしても、そのように扱わない・・ということでしょうか。

 聖霊を受けた私たちの使命は、イエスの許しの言葉を伝えることにある。そのことを考えてみたいと思います。